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ジャパニーズ・レッドカーペット
「それじゃ結局、国家をどうすればいいのかわからないってことになっちゃいますよね」と言った澪に対し、サヴォナローラは笑って否定した。「いえいえ、どうするかを決める必要はないんです。問題はどうふるまえばいいのか決めることなのです」と説明した。澪は疑問を抱きながら黙ってしまった。「国家のことはどうでもいい」とは、どういう理屈なのだろう? 国家の"外"で国家と向き合えば、「どうすべきか」は自明のはずである。
国家を「機械による制御を必要としない安定した存在」とするためには、具体的に「どうすればよいのか?」と考える必要がある。それがサヴォナローラの発想なのである。
「どうすれば、人間は国家を信頼しなくても済むようになるのだろう?」とサヴォナローラが問いかけると、澪はすぐに手を上げて「民主主義!」と叫んでしまった。しかし、それは誤りであるという。「何故でしょうか?」という問いに対し、民主主義というものは実は「国家の枠内に閉じられた機構に過ぎないから」なのだ。
サヴォナローラは次のように述べた。
「人間は本質的に「自分が生きるべき世界」を求めているものですが、民主主義というシステムはその願望を抑圧してしまいます。例えば、「国家が戦争をしているから戦争は悪なのだ」と教わってきたと思います。この考え方を鵜呑みにしている人が大勢いる。なぜそんなことになったかというと、そもそも「戦争は悪い」という概念そのものが、国家によって都合良く作り出されたものだと理解できないのです。国家というものが人間が作ったものだという事実を理解しようとしないのです。
このことについて、もう少し考えてみましょう。戦争の原因が何であれ、戦争が起きれば多くの人々が命を落とすことになります。これが許せないから「戦争はいけない」という発想になるわけです。しかしここで重要なポイントは、「どうして許されないことなのか」ということです。戦争の原因を問うならば、「殺しあいは愚かだ」と答えることができるでしょうが、「どうして愚かなのか」となると説明は難しいでしょうね。
つまり、このような思考パターンでは「人はみな死を嫌い平和を望むもの」と結論することになります。
サヴォナローラは次のように述べた。
「ところが現実はそうではない。たとえば、日本は「平和国家である」と言われてきましたが、他国に対して侵略行為を行わなかったわけではありません。にもかかわらず、日本人が「平和国家」としてのイメージを保っているのはなぜかと言えば、日本が戦争を始めても他の国が始めないからに過ぎません。もし仮に「この戦争が終わらないとアメリカもヨーロッパもロシアも中東諸国も日本に攻め込んでくるぞ」と言われたとしたら、日本人が戦争の惨禍に耐え忍ぶことなどできなかったはずですよ」
澪は続けて問いました。「では、「殺されるのが嫌だから殺してはならない」という考え方では矛盾が起きるのですね」
サヴォナローラは答えました。「そうなんです。しかし、この「殺人のタブー」について考える時、私たちには何かが見えなくなっている気がするのですね。それは、この「倫理」が「国家による強制力」の上に成り立っているものだという認識です。だから、この禁忌を破る行為には「背徳感」「後ろめたさ」が生じるのであり、その気持ちこそが「道徳的である」ことになるんです。しかし、「道徳」という発想は、もともと「個人の内面における規範」として存在していたものが、いつしか国家によって強制的に規定されるようになっていました。しかし、国家が国民に押し付けようとしているのはそのようなモラルではないのだと、サヴォナローラは言う。
「では、どういうものがあるのかといえば、国家はむしろその「背徳感」「後ろめたさ」をなくすことによって、国民の自尊心を高めようとしているのであり、それがうまく機能していないから、結果として「戦争反対!」ということになるだけでしょう。では、どのようにして「国家は信用できなくとも自分の良心を信じよう」という気風を育てればいいのでしょうか」
澪は考え込んで言った。「ええと、それは、先生のお話のように……。国家への不信感を解消することが、国家を信じる唯一の道、なんですか」
「" 国家は絶対に正しい "という考えを改めることです」
澪はその考えに衝撃を受けたらしい。「そんなこと! できるんですか!?」
「いえいえ」サヴォナローラが否定した「簡単にはいきませんよ。しかしそれを成し遂げるためには、今までのような「正義」「良識」「法律」「国家権力」「市民の権利」などといった" 道具の言葉"ではなくて、真に価値あるものとは何かを考えなくてはならない。
それは、" 自分自身の人生観 "です。" 人生の意味や存在の意味 "です。" 国家と市民との関係が逆転する時 "です」
「先生、私にはその境地が理解できるようなお話が書けません」「それは仕方ありません。あなたはまだ若すぎる」
「でも先生。今の先生のお話を聞いて思ったことがあるんですけど。国家が信用できないなら……」
そこで彼女は一旦、言葉を切って言った。「国家を信用する必要もないんじゃないかしら?」
「その通り」サヴォナローラは大きく肯く。
そしてこう続けたのだ。
「" "自分にとって信用できないものを、他人に信用しろなんて言えるはずがない。つまり" "国家を信じなければいい" のですよ」
澪が黙り込むと、サヴォナローラは立ち上がって手を叩いた。するとどこからか白髪頭の講師が現れて、何ごともなかったかのように講義が再開された。「国家と人間は対立関係にあり、人間は人間に服従しているわけではなく、また人間は動物と違って社会を形成します。社会の中で人間が生きる意味をどうとらえるかは個人が自由に選択し得ることです。国家がどうこうという問題は" 政治の話 "なんです」
「その話はもういいじゃない!」誰かの声が響いた。
振り返ると光学の生徒会メンバーがいた。全員が立ち上がり、口々に不満を口にし始めた。
「あたしたちはもう帰るんだってば!」
「今更こんな話をしても時間の無駄でしょ」
「早く帰らせてちょうだい」
澪は慌ててサヴォナローラの顔色を見るが、彼は「わかりました。皆さん、お帰りになって結構です」と言った。しかし生徒たちが立ち去ろうとする気配はなかった。
その時だった。再び講堂内が揺れ始めた。
最初は小刻みだったがやがて大きな波になり講堂の隅に積んである機材の山を激しく震わせた。窓のガラスにヒビが入りパラパラと砕けて床に落ちる。照明器具は落下したり倒れ、壁のパネルが振動でめくれ上がる。天井の蛍光灯が次々と割れ落ち、室内のあちこちに火花を散らし爆発音と閃光に包まれる中、人々はなす術なく震えた。悲鳴を上げる者も居たが、誰も腰を上げなかった。ただ怯えて身体を丸めている。サヴォナローラだけは落ち着き払っていた。そしてマイクを手に取った。「これは地震ではありません。安心してください。ただ少し空気が暖まり過ぎて対流が激しくなっているだけなのです」そう言って、彼女は生徒全員を見渡した。
「私はこれから地下壕に避難します。皆さんもいらっしゃいな」そして彼女は大声で告げたのである。「皆さん、地上にある建物はすべて倒壊する危険があります。外へ出ることは諦めなさい。この建物の中にいれば安全です」しかし、誰一人動かなかった。
「さあ、皆さん。私と一緒に行きましょう」
サヴォナローラは手を差し伸べた。しかし、やはり動かない。
「先生はここに残られるのですか? それとも私に付いて来られますか?」
「……」
サヴォナローラは微笑みを浮かべたまま、じっと彼女の顔を見た。
「……ついていきます」
澪は立ち上がった。サヴォナローラは満足げに肯き、彼女に向かって言った。「では、私のそばを離れないようにして下さいね」
「はい」彼女は素直に従った。
「さて、では皆さん、ご機嫌よう」
サヴォナローラは挨拶をして歩き出した。
澪はそれに続いた。
他の生徒たちは相変わらず座り込んだままだ。
サヴォナローラは振り返らずに足早に進む。澪はその後ろ姿を見ながら、自分が何をしようとしているのかわからないままに、ついていった。
「先生」澪が話しかけても、サヴォナローラは何も答えない。
「先生」
しかし、それでも返事は返ってこなかった。「先生」
澪がもう一度呼びかけると、ようやく彼女が振り向いた。
「何か?」
その瞬間、澪は気づいた。
――この人は、本当に先生なんだ。
サヴォナローラの瞳に宿った光を見て、澪は確信した。それはあまりにも強く激しい輝きで、まるで燃えさかる炎のように見えて、その視線を浴びただけで魂まで焼かれてしまいそうな気がして、澪は一瞬ひるんでしまった。だが彼女はすぐに思い直し、質問をしたのだ。「先生、あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「え?」
「私は、二年C組の水無月澪と申します」
「ああ、あなたが……」
サヴォナローラはそこで初めて笑みを見せた。そして言ったのだ。「あなたとはもっと早く会いたかったわ」
澪は再び、その笑顔に見惚れてしまった。サヴォナローラはそんな彼女をじっと見つめていたが、やがて何も言わずに前を向いて歩き続けた。澪は慌てて後を追った。
講堂を出て廊下を進むと、エレベーターホールに出た。そこにはすでに大勢の生徒がいて、次々と箱に乗り込んでいる。二人は並んで乗り込み、一階へ下りた。外は薄暗かった。空は鉛色で、太陽の光が遮られているせいか肌寒いくらいだった。校舎は静まり返り、不気味なほど人の気配がない。グラウンドのほうからは時折風が吹き付けてきて砂埃を巻き上げていた。
「こちらです」
サヴォナローラは立ち止まって澪に告げる。
見ると、そこは駐車場の外れの辺りだった。
サヴォナローラに促されて、澪は車へと近づいた。すると運転席から一人の男が降りてきた。
「サヴォナローラ様、お待ちしておりました」
男は恭しく頭を下げて言う。
「この方は?」
澪が訊くと、サヴォナローラは彼女に向き直って言った。
「この者は私の従者です。さあ、どうぞお乗りください」
「はい」
澪が後部座席に乗り込むと、サヴォナローラも隣に座った。
「では、出発してください」
「かしこまりました」
車が動き出すと、サヴォナローラは澪の顔を覗き込んで言った。「ところで、水無月さん。あなたのクラスには、私が探している方がいらっしゃいます。心当たりはありませんか?」
「え?」
澪は戸惑ったが、ふと思いついた名前を口にした。「あの、浅羽くんのことですか?」
「そう! そうよ!」
サヴォナローラは身を乗り出して叫んだ。「浅羽直之という方ですよね!? どこに住んでいらっしゃるかわかりませんか?」
「わかりません」
「そう……」
サヴォナローラは落胆した様子だったが、気を取り直すように顔を上げて言った。「まあいいわ。いずれわかることですもの」
車は山道を登っていく。両側は木々に囲まれ、舗装されているのは山道の入り口付近だけだった。徐々に勾配がきつくなり、タイヤが路面を踏みしめる音が響くようになる。しかしそれでもスピードを緩めようとはせず、とうとうガードレールに激突した。
車はあっという間に崖下に転落した。
そして、運が悪いことに谷底は製油所だった。
たちまちガソリンタンクに引火した。火は瞬く間に燃え広がり、山を覆いつくした。
しかもそこはオイル山脈という石油埋蔵量世界一の場所だった。山全体が大爆発した。そして島ごと海に沈んでいった。そのニュースが世界中に知れ渡った時、世界の人々はこう思った。
――日本はまた、やってしまった。
――またしても自滅してしまった。
そして彼らは思った。
――これで何度目だろう。
――一体いつになったら学習するんだろう。
しかし、今回は違った。世界中の人々は、日本のことをこう呼んだのだ。
――ジャパニーズ・レッドカーペット。