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同じ冬は来ない。
僕の名前は”|冬《ふゆ》”だけど、冬が嫌いだった。
朝、窓を開けた瞬間に飛び込んでくる、あの刺すような冷気。吐いた息が白くなるたび、自分の存在が目に見えてしまうのが、なんだか落ち着かなかった。
それでも、冬は毎年やってくる。規則正しく。まるで自分が息をしているか確かめにくるように。
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大学の冬季休暇。都会の喧騒から逃げるように、僕は久しぶりに故郷へ帰った。
大好きな音楽の道へ行くために都会へ出たけど、僕は未だなお、周りとの格の差に圧倒され続けている。
昔は勢いでどこまでも行けるだろうと思っていたけど、最近は少し、音楽の道へ進むことに思い悩んでいる。
だから少し頭と身体を休めようとこの村へ帰ってきた。
雪深い村。空も道も、音まで凍りついているような世界。
駅から出た瞬間、足の裏が雪に沈み、世界の音が一段階減った気がした。
「……こんな静かだったっけな」
独り言がやけに大きく響く。けれど、その反響すら、すぐに雪に吸い込まれていった。
家は古く、暖房は炬燵だけ。
僕はその中に潜り込み、何時間もぼんやりと外を眺めた。
灰色の空と、白い大地。
それだけの風景が、なぜかやけに美しく見えた。
何も動かない。何も変わらない。
まるで「時間」そのものが、息を潜めているようだった。
夜、散歩に出た。
凍えるような寒さの中、吐く息が白い帯をつくり、街灯に照らされて消えていく。
村の外れの小さな池は、氷で覆われていた。子どものころ、よく石を投げて遊んだ場所だ。
しゃがみこんで、氷を指でなぞる。
その下に、まだ凍りきらない水がゆっくりと動いていた。
凍りついたように見える世界の下で、水は冷たいけれど、生きていた。
その時なぜか、胸の奥がじんと温かくなった。
帰り道に村の小学校を久しぶりに見た。
運動場は真っ白な雪で埋め尽くされ、誰も踏み入れていない。
無垢な白。それは静けさというより、「何かを待っているような」気配だった。
雪は、終わりではない。
春にすべてを受け渡すための、眠りの姿なのだろうか。
なんて、そんなことを考えていると、ふと胸の奥に積もっていたものが、少しだけ溶けた気がした。
僕は家に帰ったら、ふとあのピアノはどうなっているのだろうと思い、昔使っていたピアノを倉庫から見つけた。埃まみれのアップライトピアノ。鍵盤のいくつかは黄ばんでいて、音も狂っている。
けれど、一音鳴らすと、冷たい空気が柔らかく震えた。
低音が床を伝い、雪に包まれた世界の中へ吸い込まれていく。
僕はゆっくりと指を置き、知っている限りの音を奏でた。
音は不揃いで、指も震えていた。けれど、その不完全さが妙にしっくりきた。
完全に凍らない池のように、どこかでまだ動いているものが確かにあった。
「冬って、止まる季節じゃないんだな」
思わず口に出していた。
白く凍ったこの世界の下で、春へ向かうための静かな営みがある。
それは、誰にも見えない。
けれど、見えないからこそ、確かに存在している。
僕はもう一度、鍵盤を叩いた。
倉の外で、雪が細かく舞っている。
月明かりに照らされて、降るというより「浮かんで」いるようだった。
冬がこんなにもやさしい季節だと、今まで気づかなかった。
──冬は、息をひそめた命の季節。
音も、光も、心も、いったん凍って、また溶ける。
その循環の中で、僕はやっと、自分である“冬”を見つけた気がした。
作品のテーマ:冬と対話
作品の拘り :強いていえばタイトルの文です。
要望 :特に無いです。