原作元曲「きみのかたち」↓
https://www.youtube.com/watch?v=-fGZzKamRMY
曲パロ2作目。
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目次
上
「……今、なんと?」
「だから、そなたを 《《あちら》》に|遣《や》ると申したのだ」
下げていた|頭《こうべ》を恐る恐る上げると、『|彼《か》の方』は変わらず、|憮然《ぶぜん》とした顔をしていた。
「まことでございますか」
「そうだ」
そして、寄せていた眉根をわずかに上げる。
「ただし、忘れるでないぞ。お前は———」
---
---
どこかの部屋に、二人の人影がある。
「それでね? この子ったら、こーゆうことしてるんだよ? 笑えるよねぇ」
好きだという本のページをぼくに見せながら、彼女はそう喋っていた。
ぼくは微笑んだ。彼女が笑っているからだ。
どこからか、少しだけ風が吹いて、彼女の横髪をなぞっていった。
髪と髪の隙間から垣間見える彼女の目は、赤く腫れている。
この世界に来て、99年と362日が経った。
この間、老いることも死ぬこともないぼくの体は、月日が経つたびに別の誰かに姿を変えて放浪している。
いろんな人と出会った。関わってきた。
生き別れても、死に別れても、疎遠になっても、未練などなかった。つらくも悲しくもなかった。そして、しばらくしたら忘れた。
そういうものだと思ってた。
———ただ1人を除いて。
隣にいる彼女の声を聞きながら、頭の中のカレンダーを呼び出す。
その日数を数えた。
それまでに。
それまでに、彼女は———。
---
「ねえ、朝だよ? ね、起きてよ」
彼女の部屋のドアを開けながら、ぼくは目を細めた。
もう朝日とは呼べない日の光が、閉ざされたカーテンの隙間から漏れている。
「ねえ、——」
「嫌……!」
もう一度声をかけると、耳を塞いだ彼女が小さい声でそう叫んだ。
「起きたくないよ……!」
目から大粒の涙が零れる。———まだ、目元は腫れているのに。
耳を塞いだ彼女の手が震えている。急速に紅と温かさが失われていく。
「大丈夫。……大丈夫。」
そっとベッドに腰かけて、彼女の髪を撫でた。
涙からか———湿ったそれが、さらさらとぼくの指の隙間から流れていく。
「ここにいる。大丈夫だよ」
呪文のようにそう呟き続ける。
しばらくして、すう、という寝息が聞こえてきた。
顔を覗きこむと、彼女は死んだように眠っていた。
目尻から、涙が つう、と流れては消える。
少しだけ漏れる日光が、彼女の頬を照らしている。
そっと髪を撫で続けた。
そうすると彼女が落ち着くのを、ぼくは知っているから。
---
彼女と、どこで出会ったのかは覚えていない。
他と、その他大勢と同じように、流れのままに出会ったんだと思う。関わった人と、どうやって出会ったかなんて いちいち覚えちゃいない。
気がついたら彼女は隣にいて、ぼくは彼女の側にいて、それが日常になっていた。
よく泣いて、|隅《すみ》で|蹲《うずくま》る人だった。
彼女のどこが好きなのかと聞かれても困る。
好きなところなんてないから。強いて言えば、存在。
ぼくに 安心を、喜悦を与えてくれる———そんな存在。
冷たくても暖かくても、胸に染み込むみたいな感じだ。
姿を変えながらこの世に留まって、こんなことは初めてだった。
最近は、彼女のことを想うたびに、頭の中にカレンダーを呼び出している。
ここが ぼくのいた『無の世界』であればよいのに。この世界は、無情だ。
頭の中にカレンダーを呼び出す。
あと。———あと、1日。
今日が終わったら、今日で、ぼくは いかなくちゃいけない。
頬に、温かいような冷たいようなものが流れた。
ああ、泣いてるんだ、と気づくのに、しばらく時間がかかった。
「———ねぇ……えっ! どうしたの?」
その声にハッと我に返った。
目の前に、彼女がいた。それはそうだ、ここは彼女の部屋なんだから。
「なん、でもないよ」
そう言いながら 悟った。
もう打ち明けなきゃいけないんだって。
だって、いつまでも隠し続けられない。———もう最終日なんだから。
そうじゃないと、突然、ぼくがいなくなってしまうことになってしまう。
「嘘。なんでもないんじゃないって、顔に書いてある」
そう言いながら、彼女はベッドに座り込んだ。
やっぱそう言われるよな、とぼくは頭を掻いた。
天井を見上げる。灯りはついていない。
どうやって話を切り出そうか、と考えて。
「……ぼくが、どうやってこの世に来たか、知っている?」
そう、口を開いた。
隣を見ずとも、彼女が首を振ったのが分かった。話してないのだから、当然だ。
---
この世———という言い方はおかしいが、『無の世界』というものが存在している。
『時間』『空間』『情緒』『存在』———そのような概念が、一切無い場所だ。もしこの世界の人間が迷い込んでしまえば、一瞬で『無』と帰すだろう、文字通り。
ぼくは その『無の世界』にいた。
そこの世界の住人は、『|彼《か》の方』の許しを得られれば、『存在』を与えられて 別の世界に行くことができる。———今の、ぼくのように。
そうなんだ、じゃあ私、あなたの世界に行きたいな。
どこまでも綺麗に澄んだ彼女の声が、ぼくの鼓膜を|揺《ゆ》する。
ひゅっと息を呑んだ。胸をつかれた、そんな気がした。
しばらく呼吸を止めて、また話を続ける。
ただし、別の世界に行くには、制約がある。行く世界によって、それは違うけれど。
「……何?」
「えっと……ぼくの場合は、ここに来て100年経ったら、帰らなきゃいけない」
それで、と言う自分の声が|掠《かす》れて聞こえる。
———この先は、言いたくなかった。
言ったら、言ったら。終わりになってしまう。もう二度と、逢えなくなる。そう思った。
膝の上にきつく結んだ手に、一つ、|雫《しずく》が落ちた。
「それで、もう……99年と364日経ってるんだ」
彼女の表情は見えない。
「ぼくは、今日が終わったら———帰らなきゃいけない」
最後の言葉を、ちゃんと言えたかどうか、分からなかった。
下
外に出て、空を見上げながら、考える。もうしばらくしたら、そんなこともできないから。
『この世界』における自分の存在——かたちは、もうすぐ消える。
消えても、ぼくはまた『無の世界』に戻るだけ。消えるわけではない。謎かけみたいだ。ややこしい。
彼女の存在は、かたちは———いったい何なのだろう?
「あ……」
ガタンと音がして、誰かの声がした。
振り向くと、彼女だった。夜で暗いからよく見えない、でも確実に薄着なのは分かった。
もう外は、ここは、冷蔵庫の中よりも寒いのに。
「どうしたの」
呼び止めようとする。———反応はない。
「ねえ」
走って、ぎゅっと腕をつかむ。|滑《ぬめ》ったような感覚がした。手がわずかに濡れたのが分かった。
「ねえ、その格好じゃ凍えちゃうよ」
彼女が やっと振り向いた。
ギュッと口を引き結んでいて、でも逆光で泣いてるのか泣いてないのか分からなかった。
でも、———握った腕の温度は、あまりにも冷たくて。
とても、ついさっきまで室内にいたとは思えないくらいだった。
「せめて何か羽織って。ほら、ぼくの上着あげるから」
言いながら彼女の肩に掛けた。
「ごめんね」
どうしてもそう言いたかった。
黙っていてごめん。逃げていてごめん。もっと早く、言えばよかったね。
「ね、何か話そう」
これで最後なんだからさ。
もう夜は更けている。
タイムリミットまで、もう1、2時間くらいだ。
---
「……ねえ」
二人で無言で歩いていて——というよりかは ぼくが腕を引いているような感じだけど——彼女が話しかけてくる。
「私も、あなたのところに行けないの?」
振り返ると、彼女は変わらず口を引き結んでいた。
何かを言おうとして、でも口から漏れるのは白い息だけだった。すー、ふー、すー、ふー、という荒い息遣いが聞こえる。
ふ、と呑み込むような音が聞こえて、やっと彼女が泣いているのに気づいた。
地面に落ちる涙が、ゆらりと光る路上の電灯の光に反射して きらりと|煌《きら》めく。
「……連れていけない。ごめんね」
ぼくは ふるふると|頭《かぶり》を振った。
「どうして……!」
嫌だ、と彼女は ぼくの腕を揺すった。
「言ったでしょ。きみが行ったら、『無』に帰してしまう。あの世界の人間じゃないから」
「っ、私は———」
歩みを止めて、ぼくは上を向いた。新月。月は出ていない。街の明かりのせいか、星も見えない。
ただ、暗闇だけが広がっている。
「連れては行けない。———きみを『無』にしたくないから」
カチャリ、と頭の中のカレンダーが、次の日付を指す。
脳に、ピリリとした痛みが走る。
もう、帰らなきゃいけないかもしれない。
「ね、おいで、もう時間がないんだよ」
---
帰るためには、制約の時までに『かえる』と意思表示しなければいけない。
制約を守るために、ぼくは『かえる』と言わなければいけない。
そうしないと、———ぼくは『無の世界』に帰れなくなる。
この世界からも あちらの世界からも、ぼくは消えてしまう。
制約を守らなければいけない。
でも———
消えたって構わない。どちらにせよ、ぼくは彼女とは逢えなくなるんだから。
もう声も聞けない、顔も見られない。
『好き』とも『愛しい』とも、思うことさえ、できなくなる。
それくらいなら、せめてもっと一緒にいよう。
———『制約』を破ってでも。
どうやってそうなったのか、ぼくたちは走り出していた。
走っているのか、逃げているのか。
逃げているのならば、何から逃げているのか。
「ねえ、ひとつだけ、言っていい?」
顔を上げた彼女の瞳に自分が映っているのを見ながら、口を開いた。
「愛してるよ」
---
スル、と何かが|解《ほど》ける音がした。
彼女の方向を見ると、驚いたような顔をしていて———そして、顔を歪めた。刹那、次から次へと、その目尻から涙が零れ落ちていく。
思わず自分の体を見て、分かった。
———四肢が薄れ、半透明になり、透明になり、消えている。
ああ。
ああ、もう、時間なんだ。
もう走れない。四肢がないから。
ぼくはその場に崩れ落ちた。
彼女が駆け寄ってきたのが分かった。
ぼくの体に触れようとして、その手は簡単に空中をすり抜ける。
泣いている。
———泣かせたくなかったのに。
ねえ、笑ってよ。
最後くらいはさ、もう一度、笑顔を見せて。
そんな願いも、祈りも、もう彼女には届かない。
残る口で歌う。歌い続ける。
胴体も、頭も薄れている。きっと、彼女には歌声も届かないだろうけれど。それでも。
形にあったのなら、きっとぼくは、彼女と同じように、泣いているんだろう。
ごめんね。
もっと早く、出会えていたら。
もっとぼくが、器用だったら。
でも。———もう、いかなくちゃ。
形にあったのなら、きっとぼくは泣いているんだろう。
幸せに楽しんでほしかった。
幸せが見えてほしかった。
幸せに死んでほしかった。
そう言って、そう泣いて、ぼくは歌い続ける。
ぼくの頭が、口が、透明になって消えていく。
きみは、どんな顔をしているのかな。
忘れないように、きみのかたちを想い描く。
空中に粒も残らず、ぼくのかたちは消えていく。
———ありがとう。