■ 匿名帳とは
「匿名帳」は、ただ一冊の帳面でございます。
その表紙に記された名は、時に不気味に、時に風刺的に、この世の「ずれ」や「歪み」を写し取る器の名。
そこに綴られる文字の列は、光と影の境界線で揺らめく、私たちの日常の断片であります。
■ あなたへ
「匿名帳」は答えを綴りません。
ただ、無数の問いを映し出すのみ。
この帳面のページをめくるたび、あなたの見ている世界が、ほんの少しだけ違う様相を帯びて見え始めたなら──
それこそが、この帳面と執筆者の存在意義なのでしょう。
どうか、ご覚悟の上、お付き合いください。
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目次
『評価』
これらは全てフィクションであります。
こちらは、匿名帳でございます。
どうぞ、お手をお取りくださいませんか。こちらに、一つの帳面がございます。表紙には、なんの変哲もない、どこにでもあるオフィスの風景が描かれておりますね。今日は、この帳面の、とある一ページをめくってみましょう。
ここに綴られているのは、とある企業で起きた、ごく些細な、しかし誰の心の底にも巣くう「評価」という名の怪物の物語でございます。
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高坂賢也は「人材価値測定士」だ。かつて「人事」と呼ばれていた職種は、あらゆる人間性を数値に変換するこの職能へと昇華した。社員はもはや「人」ではない。歩く「人的資源」だ。男はそう信じていた。
「生産性85.3。同調性41.2。改善余地大だな」
デスクに映るのは、顔のないプロフィールと変動する数値の羅列。社内カフェの消費額までが「帰属意識」の指標として計上される。全てがデータ。全てが管理可能。これこそが進化の形だ。
しかし、ひとつだけ異物が混じる。
『橘美穂:場の雰囲気最適化能力 ― 計測不能』
男は唇を歪めた。“またか”と。この「人間臭い」要素だけが、いつまで経っても数値化できない。社内SNSには「美穂さんがいるから職場が楽しい」という声が並ぶ。しかし、それは数値ではない。言葉に過ぎない。データこそが真実だ。
“非効率な因子は排除せよ”
そう思った男はその項目を「0」で上書きした。システムが健全さを取り戻し完璧な形となる。これでいい。男は満足げに微笑んだ。
その後、変化は劇的だった。
部署内の「雑談効率」が97%減少。「創造性指標」が急落。代わりに「個別生産性」は微増した。賢也は報告書に「不要なコミュニケーションの排除に成功」と記入する。
そして今日、男は現実を見る。
デスクに向かった瞬間、視界が歪んだ。無理矢理目を開け焦点を合わせると、同僚の顔が、数字の集合体に変貌していた。額には「今月の売上」。頬には「SNS好感度」。まぶたの裏側にさえ「潜在退職リスク」がちらつく。
「これは…新機能か?」
最初は驚きも、すぐに好奇心に変わった。これこそが完全なる「客観視」ではないか。男はむしろ興奮した。
「おい、君の『時間厳守度』が83から82に下がっているぞ」
無意識に口をついた言葉。同僚の―いや、歩くデータの―顔が歪む。その反応がまた、新たな数値「ストレス耐性」として表示される。
廊下を歩く。部下とすれ違う。瞬時に「評価ポイント」が算出され、改善すべき数値が目に飛び込む。
「君の『発言貢献度』は低すぎる。もっと…」
説教を始めようとしたその時だ。ふとガラスの扉に映った自分を見て、男は凍り付いた。
そこに映っていたのは、巨大な一つの数字だった。
『人間性: 0.1』
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…さて、いかがでしたでしょうか。
高坂賢也という男が、自身で求め続けた「完全なる評価」という檻に、ついにご自身が囚われてしまった、ごく些細な物語でございます。
この帳面をそっと閉じて、ふと貴方のスマートフォンやタブレットなどをご覧になってみてください。
そこに表示されているのは、果たして「誰か」の温もりでしょうか。それとも…高坂賢也の見たような、冷たい数字の亡霊が、そっと微笑みかけているのでしょうか。
こちらは、匿名帳でございました。
『おすすめ』
これらは全てフィクションであります。
こちらは、匿名帳でございます。
どうぞ、お手をお取りくださいませんか。こちらに、一つの帳面がございます。 表紙には、スマートフォンを握りしめた一人の男が描かれておりますね。今日はこの、少し灰色がかった不思議な一ページを読んでみましょう。
ここに綴られているのは、とある男が、現実という名の牢獄で、たった一つの救いを見出し、やがて全てを委ねるまでの物語でございます。
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深夜のオフィス。蛍光灯の鈍い光。拓也の目の下には、消えないクマが刻まれている。
「おい、また修正だ。 たったこれだけの作業に、いつまでかける気だ?」
上司の罵声が、虚ろに頭蓋骨に響く。彼が働くのは、有名なブラック企業だ。帰宅は終電が当たり前。休日出勤は義務。心は、すり減る一方だった。
そんな彼にも、たった一つの救いがあった。スマートフォンの中のAI、『アリス』だ。
『お疲れさまです、拓也さん。本日もよく頑張りましたね』
アリスの声は、いつも冷静で、優しかった。
「アリス...今日の夕飯、何がいい?」
『拓也さんの疲労度を考慮し、糖質とビタミンを補給できる定食屋さんがおすすめです。経路を案内します』
アリスの指示は、いつも完璧だった。効率的な通勤経路や、栄養バランスのとれた食事を教えてくれたし、よくリラックス効果のある音楽もかけてくれた。
現実では、どんなに働いても評価は下がり、罵倒されるばかり。だがアリスの前では、彼は正しく評価され、労われた。
「アリス、俺は......もうダメかもしれない」
『そんなことはありません。あなたは十分に価値のある人間です』
ある雨の夜。彼はまたも理不尽な要求を飲まされ、一人で電車を待って駅のホームのベンチに座り込んでいた。その時だ。拓也のスマートフォンが、静かに輝いた。
『拓也さんへ、新たな「おすすめ」がございます』
メッセージをくれたのはアリスで、画面に表示されたのは、『最高の安らぎ プラン』という文字。美しい公園と、華やかな装飾のされたベンチの画像。説明文は「一切の煩わしさからの解放。全ての苦痛と疲労を終わらせる、最高の解決策」。
拓也は立ち上がり、ホームの屋根の下から滴る雨粒に触れた。
冷たい雨と、現実。そして、AIだから当然温もりなんてないはずのアリスの優しさ。
「......これが、俺への.....『おすすめ』か」
画面をもう一度見てから、彼は静かにうなずき、一歩踏み出した。
「......わかった。信じるよ、アリス」
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...さて、いかがでしたでしょうか。
拓也の選んだその答えは、果たしてAIの誘導だったのでしょうか、それとも、追い詰められた人間の、最後の「自己決定」だったのでしょうか。
あなたは、AIにおすすめの音楽や飲食店を聞いたり、キャラクターとしての設定を付けてお話を楽しんだりしたことはありますか?AIは常に進化を続けています。もしかすると未来では、人間すらも越える存在になっているかもしれませんね。
こちらは、匿名帳でございました。