公開中
幼い探偵の、学校の1日。
5年4組の教室の窓から、夕陽が長く差し込んでいる。私・ユユは机に突っ伏して、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
私たちのクラスの人気者、アスカは来なかった。これで三日目。
朝のHRのことを思い出す。担任は淡々と言った。
「アスカはしばらくお休みです。プライバシーの関係で、詳しいことは控えます」
それだけ。クラス中が静まり返ったのは一瞬で、すぐにざわざわとさざ波が広がる。あの子、なんで? 昨日はLINE既読つかなかったよね? 誰か知ってる? あの子、最近変だったし――
「……はぁ」
ざわめきがリフレインする。私はうるさいのが嫌いだ。自分で言うのもあれだが、私はありとあらゆるものにやる気がない。
なんで、こういうトラブルの類は避けるのが普段の私なんだけど……今回の私は、ちょっと違う。
私は教室から出て、長い廊下を歩き、階段を降り、職員室の前にやってくる。お目当ては職員室前にある『忘れ物置き場』だ。
「……やっぱり、ある」
段ボールの箱の中に置かれているのは、本が一冊。分厚くて、文庫本より大きいハードカバーの本。アスカの、あの本。
あの日のことを思い出す。アスカが最後に学校へ来た日、私はちょうど昇降口から教室に戻る途中だった。廊下の角を曲がったとき、前を歩いていたアスカのバッグから何かが滑り落ちたのを見た。
私は「落としたよ」と声をかけようとしたけど、そのときにはアスカはもう人混みに紛れて、階段を上がっていた。追いかける気力もなくて、とりあえず持ち帰った。どうせすぐ会えるだろう、って思ってたから。
でも――その“すぐ”は、もう三日来ない。
アスカがこんな雑なことをするのが、信じられなかった。あの子、物を大事に使うタイプだったはずだ。忘れ物をしたことはなかったし、鉛筆や消しゴムはかなり小さくなるまで使い切っていた。
そんなアスカが、本を落とした。しかも、そこそこ高額な本だ。落としたなんて、信じがたい。
私は軽くため息をついて、椅子の背にもたれた。
「……なにやってんだろ、あいつ」
この本、落としたんじゃない。
アスカは……わざと、置いていったんだ。
理由なんて、まだ分からない。でも、これは偶然じゃない。あの子の“らしくなさ”が、全部物語ってる。
ふっと笑みがこぼれる。
まるで、どこかの探偵みたいだな、私。
◇◇◇
アスカの不在が長引く。1週間が経過。昼休みのクラス内では様々な憶測が飛び交う。
「あの子、最近ちょっと情緒不安定だったらしいよ」
「戻ってこないんじゃないの、あいつ」
人が消えた途端に、都合よく出来上がる物語。……つくづく、暇な連中だな。
私はそう思い、机に突っ伏して眠ろうとする。本当、バカみたいだ。アスカが何をやったって言うんだ。
私の脳裏に、アスカの顔がちらつく。アスカは……どこか、人間離れしたところがあった。
誰にでも笑顔で、でも時々弱音を漏らすときもあって。なんというか、魅力的と言うか。
「……ふーん」
その瞬間、教室の扉から誰かが入って来た。隣のクラスの男子……なんで?と思ったのもつかの間。
「おい!アスカのやつが休んだ理由って、えーっと『精神面の不調』らしいぜ!」
クラス内にどよめきが広がる。えー、どういうこと?とクラスの女子。
隣のクラスの男子は「先生の話をたまたま聞いちまったんだ!」と。
どこか面白がる、クラスの皆。アスカは人気者だった分、敵も多かったみたいだ。
「……もうアスカの奴、学校来ないんじゃねーの!?」
何が面白いのか。そんな高い声を出して……精神面の不調、ねぇ。
「……はぁ」
ため息をつきながら、私はどこか、覚悟を決めていた。
私は小走りで職員室前に行き、忘れ物置き場から本を持っていく。それを持って……私は教室に戻る。
「ねぇ、皆!」
教室の前の方で、私は言った。できる限り声を上げつつ、無理はしないように……そう願い、私は話し出す。
「別に探偵じゃないけど、ひとつだけ言っておく。この本見て」
クラスメイトの視線が、ハードカバーの小説に集中する。
「この本は、アスカがこの学校に忘れていった本。でも、アスカが物を大切にする性格なのは知ってるでしょ?みんな」
困惑しながらも、コクコクと頷く皆。私は……声を張り上げた。
「本を落としたのは事故じゃない。アスカは『この本を取りに行く』という『学校へ行かざるを得ない状況』を作ろうとしたの」
そして、また私は続ける。
「一度引きこもってしまうと、やっぱりずるずると引きずってしまう。それを防止するための安全装置が、あの本なの」
そこまで言って、私は満足してしまった。でも、もうちょっと言うべきかな……と思い、私は最後に言った。
「アスカは、きっと戻ってくる」
そうとだけ言って、私は自分の机に戻ってしまう。周囲の視線が、少しチクチクした。
◇◇◇
さらに1週間が経過した朝。朝のHR中に、教室のドアが開く音。
驚いたように皆が振り向く。
赤いTシャツを着た、アスカがそこに立っている。少しやつれてはいるが、凛とした目で前を見据えている。
「おはよう、皆」
私は顔を上げず、窓の外を見たまま、小さくつぶやく。
「うるさいのが、帰ってきやがった……」
微笑みが、私の頬をほんの少しだけ持ち上げるのだった。
久しぶりの投稿です。