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15年目の傷
2011年3月11日、2時46分。事は起こった。
下校中、赤いランドセルを背負い、並び歩いていたとき。私はまだ9歳。姉は16歳だった。激しい揺れに立っていられなくなり、その場に2人で伏せた。学校で習ったように、ランドセルで頭を守りながら。
とても長く感じた。まるでコーヒーカップを思いっきり回し続けているかのような。気持ち悪くなって来た私は、姉の手をしっかり掴み、私は目を開いたまま、何か危ないものはないかと警戒し続けた。姉も同じことを思ったらしい。田んぼの真ん中で、揺れが収まるのを2人でじっと待った。
地震大国である日本。地震などなれっこな地域でもあるが、こんなに大きい揺れは体験したことはなかった。
「学校に戻ろう」
まだ揺れ続けているとき、姉は言った。巨大地震の中立ち上がるのは困難だった。立ち上がってもまた転びを繰り返した。姉は無理にでも私を引っ張って行こうとし、何箇所も擦りむいた。
「お姉ちゃん、痛いよう」
「だめだよ。こんな田んぼの真ん中に行ちゃ、津波が来ても助からない。」
見ると、姉の膝も血で赤くなっていた。
ふと、揺れがおさまった。姉と私は、一生懸命学校まで走った。揺れがおさまったと思えば、余震があとを迫って来る。末には私は姉におぶられていた。ランドセルを捨てて。感じたことのない恐怖が体の中をぐるぐると回っていた。津波が来る…
学校に着くと、先生たちが近くにいる生徒、市民を中へ掻き込むように入れていた。
「先生!」
息をはずませながら叫んだ。
「アオちゃん、メイちゃん、急いで!!今、津波が来るって!」
どこからか安心感が湧き出してきた。2階以上に避難してと言われた私達は、2階にある私の教室に避難した。教室には親と避難してきたクラスメイトだっていた。
「アオの教室、初めて来たかも」
姉も安心したのか、落ち着いた様子だった。
学校に避難して来たものの、「津波が来る」その言葉で不安になり、海をじっと見つめた。特に変わった様子はない。おだやかな、いつもの海だ。
「あ」
2階から見て初めて気付いたが、地震だけでこんなにたくさんの家が崩れていた。その悲惨な様子に、この後津波が来ると考えると体の震えが止まらなかった。
長い間待ったが、津波は来ない。親友とマイとも合流し、お菓子を分けてもらったり、絆創膏をもらったりした。
ゴゴゴ…
激しい音がした。廊下をバタバタとかけてくる音も聞こえる。
「早く!!もっと上に上がって!!」
窓の外を見ると、黒い渦が轟音を立ててこちらに近づいてきていた。それが津波だと知らされるまでは私は津波なんて考えもしなかっただろう。
無我夢中で階段を駆け上がった。そして、屋上に出た。たくさんの人で溢れ返っていた。黒い渦がどんどん迫ってくる。家が次々になぎ倒され、全てを飲み込んでいった。泣き叫ぶ声がたくさん聞こえた。
「母さん!!」
私の隣で、誰かが叫んだ。同じクラスのケイタだった。涙をこぼしながら、渦に向かって叫んでいた。
「ケイタ?」
「リョウスケが…!あいつ、逃げ遅れたんだ、!」
話を聞くと、ケイタの弟、リョウスケは、上へとあがる階段で人混みに呑まれ、ケイタとはぐれてしまったらしい。
津波は、一瞬にして全てを奪い去った。約10mの津波は、私の心も、みんなの大切なものも全て奪い去っていった――。
これが、私が15年前に体験した実話である。その後、ケイタの弟は、2階の階段そばで遺体で発見された。それだけではない。私の兄も、母も、大好きだった地域のみなさんも、この世を去った。
単身赴任だった父は、この報告を聞いて、声を上げて泣いた。
15年経った今でも、この出来事は、私の胸に刻まれている。