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#15
レイラは顔を上げ、窓の外――地上からの光が差し込む空を見つめた。彼女の瞳の奥には、過去への複雑な想いと、奈落で生きるという決意が混在していた。
そして、衝動に駆られた。
彼女は部屋の隅に転がっていた、使い古しのスプレー缶を手に取った。アジトの皆が使っている、ありふれたゴミ。蓋を開け、壁に向かう。
白い神殿、血と炎、突き落とされる感覚……。それらの記憶を塗りつぶすように、無心で手を動かし始めた。
シュッ、シュッと乾いた音を立てて、黒い塗料が壁に吹き付けられる。最初は無秩序だった線が、次第に形を成していく。
描いたのは、満月だった。
冷たく輝く天界の月ではなく、奈落から見上げる、少しだけ輪郭が歪んだ、けれど確かな存在感を放つ月。過去の自分を縛り付けた象徴であり、同時に、ザンカが与えてくれた新しい名前の象徴でもあった。
どれくらいの時間が経っただろうか。レイラがようやく手を止め、完成した巨大な月を見つめていた、その時だった。
「――っ!?」
ドアの外から、驚いた息を呑む音が聞こえた。
振り返ると、そこにはルドが立っていた。彼は次の仕事の打ち合わせが終わったのだろう、作業着姿で、手に持っていた弁当箱を落としそうになりながら、壁の月とレイラを交互に見つめている。
「……ルド」
レイラの声が震える。彼にだけは、こんな弱い姿、過去に囚われている姿を見られたくなかった。
ルドは、普段の好奇心旺盛な笑顔を完全に消し去り、ただ茫然と、壁の月を見上げていた。その表情には、驚愕と、戸惑いが混在していた。
「それ……」
ルドが絞り出すように呟いた言葉は、それ以上続かなかった。静寂が部屋を支配する。奈落の片隅の小さな部屋に、巨大な月と、二人の複雑な感情だけが取り残された。
🔚