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薩英戦争
そこの方、少しよろしいですか?。
………カルト宗教ではないですよ。子羊ではありませんから。
少し、朗読を聴いていただけるだけでいいですから。…………ありがとうございます。最近はあまり歴史に興味がある方はいませんから。
それでは、始めましょうか
まずは…そうですね。教科書でも少しあった「薩英戦争」はどうでしょうか。
……………あら、それは間違いなんですよ。薩摩藩、いえ…島津バーサーカーがただで負けてはいません。むしろ引き分けたんですよ。少し興味が湧いてきた?。そうですか…。そろそろ、始めましょうか。
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時は江戸時代末期。島津久光の大名行列が江戸から薩摩へ戻る途中、生麦村、現在の神奈川県である事件が起こります。
「僕はしえる。薩摩藩なのだー。なんか前から外国人が向かってくるのだ」
「おい!この行列が見えないのか。道を譲れ」
「ん?。日本人がなんか言ってるな。まぁ無視しても大丈夫だろ」
「言葉が通じていないみたいなのだ…。ジェスチャーで伝えてみるにだ!」
「うまから降りるのだー!。引き返すにだ!」
「なんか伝えようとしてるな」
「そうか!。脇を通れってことか!」
「あれれ?」
「無礼者め、チェストー!!」
「………やっちった」
実際には、4名のイギリス人が列を横切り、1人が命を落として2人が重傷を負ってしまいました。この事件はのちに薩英戦争の引き金となってしまいます。
幕府にて
「ちょっとちょっと、これどういうこと?」
「安政の五カ国条約結んでるよね?。なんで勝手に処刑してるの?」
「いや、それは薩摩藩が勝手にやったことでして」「口答えするな。わー国の藩の問題はわー国の問題でしょ?」
「うぅ…。申し訳ございません」
当時日本では安政の五カ国条約を結ばれ、その中の領事裁判権によってイギリス人が日本でを起こしても日本の法律で裁くことできませんでした。
「とりあえず、賠償金だ。幕府には10万ポンド、薩摩藩には2万5千ポンド払ってもらう」
「あと、犯人もこちらに引き渡せ」
「分かりました」
薩摩にて
「この前の事件で幕府がブチギレてやがんのだ。賠償金と犯人の引き渡しを要求してやがるのだ」
「断る」
「うす!」
「アイツらは大名行列に突っ込んできた無礼なアイツらが悪い」
「おっしゃる通り座右衛門なのだー」
「でも、イギリスは世界最強のブリカ…大国なのだ。戦争にでもなったらどうするにだ?」
「それがどうした。来るなら来い。幕府にはそう伝えろ」
「おかのしたー!」
幕府にて
「おお。薩摩から犯人を連れてきたんだろうな」
「それが…アイツらは要求に応じる気がないようで」「は?舐めてんの?」
「もういい。こっちから直接行ってやるわ」
「あ。アイツら終わったな」「それとお前らは金よこせ」
「はい」
これに対して幕府は渋々、、、というより、外交を担当していた老中の小笠原道長が独断で賠償金を払うこととなりました。その後、イギリス軍は戦艦7隻を鹿児島湾へ向かわせました。
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「流石にこの戦艦を見ればアイツらビビって降伏してくれるだろ」
「薩摩から電報が届きました」
「ん?なになに?」
『イギリスさんよ、我々はあんたらに従うつもりはねぇよ。事件を起こした犯人は…
どっか行っちゃった(大嘘)』
「な、」
「舐めてんのかアイツらぁぁぁぁぁぁ!!!」
「どっか行っちゃったじゃねーよそんなわけあるかボケ!」
「もうこれ撃っていいよな?。薩摩滅ぼしちゃっていいよな?」「ダメです」
賠償金はもちろん、犯人も行方不明(嘘)として引渡しは断固拒否。このような強固な姿勢を見せるのには一応の理由がありました。
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「本当にブリカ…イギリスが攻めてきたらどうするのだ?」
「心配するな。こちらも一応の策はある」
「どんな策なのだ?」
「ここ数日間、横浜で黒船を観察。すると奴らは常に口を動かしていることがわかった」
「つまり」
「奴らは常に何かを食べていないと死ぬ」「多分それガムなのだ」
「別に死なないのだ」
「それで我々の作戦は」
「食い物で釣って騙し討ちする」
「わーい…じゃねぇのだ。そんなもん小学生でもひっかからねぇにだ!」
「ちなみにこれ誰が考えたのだ」
「奈良原喜左衛門だ」「いや主犯じゃねーか!」
一見ふざけているようなこの作戦は実は大真面目に検討され、実行メンバーにはのちの初代陸軍大臣や大山厳や海軍大将伊東祐亨。2代目総理大臣黒田清隆が参加しました。
「他にも、奴らは滅多に靴を脱がないこともわかっている」
「つまり靴無しでは歩けない」「なんかもうダメそう」
「だから我々はアイツらの靴を脱がせる」「いや普通に斬ったほうが早くね?」
「この戦いもう負けたのだ」
流石にこの作戦は実行したとの記録はないですが、検討はされたそうです。それ以前に偵察した船はアメリカの船であり、そもそもイギリスの対策にはなっていませんが…。
「もっとマシな策はないの?」
「あとはめっちゃ大砲を置く」
「そうそう、こういうのでいいんだよこういうので」
しかし、イギリスの大砲の射程は薩摩藩のものの何倍もあり、普通に撃ち合っても勝ち目はありませんでした。
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「あいつらなかなか折れねぇな」
「せや、流石に船奪ったら戦意喪失するだろ」
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「アイツら船奪ってきやがったのだ」
「お!」
「宣戦布告か」
「やっちまえー!!!!!」
「やっちまうのだ!!。そんでそのまま海の藻屑にするにだ!!」
「そうだそうだー!!」
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「嘘だろ。アイツらマジで撃ってきた」
「提督!軍艦が一隻やられました!」
「こっちも早く打ち返せ!」
「それが弾薬この前に、、、」
「幕府にもらった賠償金をおいてまして、、、」「誰だよそんな邪魔なところに置いたやつ!!」
薩摩藩の一斉攻撃でイギリスの軍艦パーシューズは大ダメージを受け、錨をを切断し逃走。もう一隻の軍艦ユーリアラスにも砲撃が直撃しましたが、こちらは有効射程外。反撃をしようとしましたが、幕府からの賠償金を弾薬庫の上に積み上げていたため、すぐには撃ち返せませんでした。
「やっと準備ができました」
「よし、反撃するぞ」
「奪った船は捨てろ。ついでに金目のものは盗んどけ」
数時間後ついにイギリス軍が反撃を開始。軍艦・ユーリアラスを先頭に砲撃。
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「まずいのだ」
「向こうの大砲とんでもねぇ威力なのだ」
イギリス軍は実戦初投入のアームストロング砲を使用。その威力は凄まじく、一瞬で薩摩祇園州砲台はたちまち無力化しました。
「しかも、こっちの砲台は全然届かねーのだ」
「このままだと負けちゃうのだ!」
イギリス側の完全試合かと思われたその時、転機が訪れます。
「あれ?。なんか敵の船、こっちに近づいてね?」
当日は天候が非常に悪く、暴風によって戦闘で攻撃していたユーリアラスがコントロールを失い、薩摩側の攻撃圏内に入ってしまいました。
「勝手に近づいてきてくれたのだ!。アホすぎるのだ!」
「やっちまえなのだ!」
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「艦長、ジョスリング大佐がやられました」
「何をしている」
「さっさと敵の砲台を無力化しろ」
「しかし、この悪天候でうまく照準が合いません」
「仕方ない、あれを使おう」
「え、あれですか」
「でも、あれを使うと問題になりません?」
「このまま反撃できない方がもっと問題だ」
「了解であります」
「発射」
あれとはロケット弾のことであり、一発でも凄まじい威力があるのですが、商人の殺害事件に対する報復としては過剰すぎるとして、後にイギリス議会でキューバー司令官が責任を追及される事態へと発展しました。
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「やばいのだ!やばいにだ!」
「街が火の海なのだ!」
「このままだと街の人がみんなこんがり丸焼きになっちまうのだ!」
「って思うじゃん」「え?」
「敵の武器がすごいのは想定済みだ」
「街への被害はあらかじめ予想しれいたから町民はみんな避難させている」
「助かったのだ」
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午後3時10分、祇園州砲台に砲撃していた軍艦レースフォースは暴風や旗艦故障により吹き流されて座礁してしまいます。
「あいつら挫傷してやんの」
「チャンスなのだ」
「撃て撃てー!!」
レースフォースは集中砲火を浴び、その後、救助するために近づいた軍艦2隻も砲撃を加えられ軍艦アーガスは小破。
「くそ!」
「このままでは終われん」
「薩摩に停泊している船を焼き払え」
「終わったら集成館を徹底的に攻撃だ」
この攻撃によって薩摩側は琉球船3隻とと和船2隻を失い、薩摩藩が多額の費用を投じて築いた武器や火薬、ガラスや機械などを製造する近代工場群、集成館も破壊されてしまいます。
しかし、思いもよらない薩摩藩の猛攻によって、1日で決着がつくと思った戦いは2日目に突入。
「よし、今日は天候がまだマシだ」
「って波はめっちゃ高いじゃねーか!」
「総督やばいです」
「なんだ?」
「昨日破壊した砲台がもう治り始めています」「いや早すぎだろ」
このような状況で開始された薩英戦争2日目。波はあるとはいえ、1日目よりは天候が良く、薩摩藩は激しい攻撃にさらされます。
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「やべーのだ!。昨日より攻撃が激しくなってるのだ!」
「もうおしまいなのだー!!!」
「まだだ。この付近には大型船用のドックはない。傷ついた軍艦は本拠地に戻るまで、応急修理程度のことしかできないはずだ」
「なるなる」
「つまり、我々がまだ戦える姿勢を見せれば向こうが撤退するかもしれん」
「それで大急ぎで砲台を治したってことなのだ?」
「そういうことだ」
実際にイギリス艦隊の損傷は激しく、戦争をする予定はなかったため燃料や弾薬の用意が十分ではなかったのです。
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「くそ!。奴ら意外と手強いな」
「でも、このまま撤退すれば、薩摩藩は我らを撃退したと誇るだろう」
「それを防ぐために兵士たちを上陸させ、市街地を占拠すべきだ」
「それは厳しいかと」
「なに?」
「もともと、脅すだけのつもりで来たので武器と兵士が足りなすぎます」
「万が一、上陸して負けでもしたら、それこそ大問題です」
「うっ、、、。・・・仕方ない」
「撤退しよう」
実際質は劣っていたにせよ、薩摩藩には西洋式の大砲や小銃も導入済みで陸戦兵力は最大で2万人程度残っていたため、この状況で市街地合戦が始まった場合、イギリス側が負ける可能性は十分に考えられました。
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「敵の船が撤退していくのだ」
「なんとか守り切ったのだ。これでとりあえず一安心なのだ」
この戦争で薩摩側の物的損害は城下町1割の消失に加えて、汽船3隻をはじめとして各種の船舶が全滅、集成館の破壊。イギリス側は軍艦の大破一隻、中破2隻。
薩摩側の人的被害は砲台で1名が戦死、8名が負傷。直接戦争に関わっていない4名が市街地で流れ弾に当たって死亡、5名が負傷。対して、イギリス側はユーリアラスの艦長や副長含む死者20名、負傷が43人でした。
人的被害に関しては薩摩側があらかじめ町人を避難させていたこともあり、イギリス側と比べると非常に少ない犠牲でした。
「でも、イギリスも結構手強かったのだ」
「天候の有利がなかったらマジでやばかったのだ」
「というかこれ、外国追い出すより仲良くとかして技術とか取り入れたほうが得じゃねーの?」
この戦争を機に、今まで攘夷派だった人々も徐々に外国との関係を考え直すことになりました。
また、このような考えは日本だけでなく、イギリス側でも起きていました。
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「薩摩意外と手強かったな」
「それも日本全体じゃなく、一つの地域であれですからね」
「これさ、幕府と貿易するより薩摩と貿易するほうが良くね?」
実際、イギリスの有力メディア「タイムズ」には次のように記されています。
『我々はヨーロッパに艦船との最近の戦闘で示されたような日本国民の軍事的素質並びに機械に強い素養に感心しないではいられない。この並外れた国民の知性と未来の運命への確信が、我々の敬意を呼ぶだろうことは十分に考えられる』
このように大国イギリス相手に健闘した薩摩藩は、世界から大きく評価されます。
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いかがでしたか?。少しは興味が湧いてきました?。
次の朗読も、期待していてくださいね
元動画:歴史探検隊ずんだもん様