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私が私でいれる場所
本音を言えば、初めは誰でもよかった。
だけど、心の奥底で無意識に彼を選んでいたんだろう。でなければこのタイミングで態々言わなかった。
カーテンを閉めていない窓から夕日が差し込む。
この教室には私と彼の二人だけがいた。
けれど、目の前に座る彼の視線は手元にある本に向けられている。紙を捲る小さな音しかないこの空間が、私には心地よかった。
「‥どこか遠くに行きたいな。」
薄く開いた口から溢れてしまった独り言。
静かな教室に紙を捲る音より少し大きな私の声で、彼の視線がゆっくりと本から私に向く。
その琥珀色の瞳が私は大好きだ。
「‥何処かって、何処?」
私が行きたいところは何処だろう。
でもなんか、何処にも行きたくないな。
「‥わかんない。何処でもいいよ。」
「‥そう、じゃあ明日にでも行こうか。」
彼は制服のポケットからスマホを取り出して慣れた手つきで操作する。フリック入力をしているのだろうか。電子音が聞こえ始めた。
彼は聞かない。
遠くに行きたい理由も、いつもよりボサボサの私の髪の理由も、目の下の隈の事も。
聞いて欲しくない事だと察して聞かないところも彼のいいところだと私は思う。
夕陽に照らされ教室には二つの影が浮かぶ。
紐で纏めず、はじに寄せただけのカーテンが冬の冷たい風で靡いた。窓のすぐ横にいた私の髪も、彼の髪も風で靡く。
「明日のお昼は何食べよっか。君の好きなものを食べよう。」
普段は前髪に隠れて見えないもう一つの琥珀が輝いて見えた。
「おはよ、|光希《みつき》。」
「‥|零士《れいじ》。」
私が駅に着いた時にはもう彼が切符を買った後だった。大きさからしてきっと電車じゃなくて新幹線。本当に遠くまで連れて行ってくれるんだ。
「あ‥お金、いくらだったかな。」
「いや、いらないよ。君が楽しむ為の旅だから、お金とか気にしないで欲しい。」
「‥ありがとう。」
控えめに差し出された彼の手を私は握った。
普段見る制服姿と違う私服姿がなんだか珍しくて見つめてしまう。
今まで二人きりで何処かへ出かけた事が出かけたいからだろうか。なんだか全部が楽しみだ。
「行き先は到着まで秘密がいい?今言う?」
「‥秘密がいいな。」
「じゃあ秘密にしておく。」
何処へだっていい。
彼が私の為に選んでくれた行き先に胸を踊らせながら、新幹線へ乗り込んだ。
「お姫様、窓側どうぞ。」
「‥」
わざとらしく繋いだ手とは逆の手を窓側の座席を指してお辞儀した。二人がけの席を倒して長居を仄めかした。近場でしたドッキリの可能性はないみたいだ。
「‥ありがとう。」
思っていたより硬めの椅子に腰掛ける。
彼は二人分の荷物を軽々持って頭上の荷物置きに押し込んだ。お財布とスマホだけは取り出したみたい。
それから少しして、前から来たワゴンを押す人を彼が呼び止めた。車両販売だ。
緑茶、水、サンドイッチ、カップアイスなど駅内のコンビニでも買えるような物を、態々値段が高くなったココで渋る様子を一切見せずに購入した。
「こういう所のって何処でも買えそうなのだけど、なんかココで買う方が気分アガるよね。」
そういいサンドイッチの包装を慣れた手つきで開けていく。
「光希は腹減ってる?」
その問いに私は首を横に振る。彼はそれを大して気にしていないようで卵サンドを自分の口元へ運んだ。
食べながらさっき買った温かい緑茶を私の前に差し出した。普段より血色の悪くなった指先を見ての行動だと思う。
差し出されたそれを両手で包むように受け取ると、外で冷えた体が温まるようだった。
もう一枚上着を持ってくればよかったな。
このお茶も握っていればぬるくなってきてしまった。折角戻ってきた体温がまた冷たくなる。
そんな事を考えていたら、肩にジャケットがかかった。見覚えのあるジャケット、これは彼のだ。
「寒いならあげる。俺、寒くないからさ。」
サンドイッチのゴミを捨てながら彼は言う。
肩にかかったジャケットを握り、窓の外を見る。
まだ何も見えない。何処に行くのかまだわからなかった。
ずっと気が張ってたからだろうか。知り合いが彼以外誰もいない、誰も私を見ていないと安心してしまったら急に睡魔が襲って来た。
「‥」
彼がそっと私の頭に手を添えて、肩に寄り掛からせた。まるで「寝てもいいよ」と言うように。
「‥ごめんね」
「ごめんねじゃない、ありがとうがいい。」
「‥あり、がとう」
「‥うん、おやすみ。」
私の頭を彼が優しく撫でてくれる。
同い年のはずなのに私の手よりずっと大きくて暖かい。安心感があるって言うのかな。
小さい頃両親にしてもらいたかったなんて記憶を思い出してしまうほど、嬉しかった。
そんな事を考えていたら、意識が落ちていた。
最近ずっと見ていた恐ろしい夢を、今日は見なかった。隣にあるはずの温もりのお陰だろうか。飛び起きる事もなく眠れたのは久々だ。
ゆらりゆらりと揺れる夢から徐々に目が覚めていく。
窓の外は雲に覆われた空。その雲は白ではなく灰色。少しすれば雨が降りそうな雰囲気だ。
「あれ、目ぇ覚めた?」
彼が手を止めて私を見る。
「‥うん、肩ありがとう。」
「まだ一時間も経ってないのに‥いいのか?」
「大丈夫だよ。落ち着いたから。‥それより、何してるの?」
彼の手元には乗車してすぐ買ったアイスがあった。そのアイスをもう一本の緑茶で温めていた。
「あー‥スプーンで食べようとしたんだけど、アイス硬すぎてスプーン壊れちゃったから温めて飲もうと思って。」
「‥それ、なんか美味しくなくなりそう。」
温められたところが少し溶けかけ始めている。
全部溶けるには相当な時間がかかりそうだが着くまでに食べれるのか心配だ。
「‥アイスのスプーン、売ってるんじゃないの。」
「え?‥あ、売ってるっぽいな。でもワゴン車来るかな‥」
「‥私、普通のスプーンだったら持ってる。」
「本当?良ければ欲しいな。」
「ちょっと待ってて‥ポーチから出すから。」
手元のポーチのチャックを開け、中からスプーンを探し出す。旅先にスプーンがなかった時の為に家から持って来ててよかった。
「‥ん、」
「本当に持ってるんだ‥いや、ありがとう。」
渡したスプーンをアイスに差し込む。
溶けたアイスがスプーンに乗って私の口元は運ばれた。
「美味しいから、どうぞ。」
眠ってしまう前に腹は減っていないと答えたはずだが、少し腹が減って来ているのもまた事実。
差し出された物をいらないと言える訳もなく、そのまま口を小さく開き、スプーンの上にあるアイスを口に入れた。
思っていたよりずっと滑らかで美味しい。
「‥美味しい?」
「‥うん。」
私が返事をすると、こっちを向いていた彼の目が細まり、口元が緩んだ。
その後も彼はスプーンでアイスを掬い、自分の口元へ運んでいった。前髪のせいで私の方からは顔がほとんど見えないが、僅かに見えた口元は緩く微笑んでいた。そういえば彼はチョコ好きだったなと思い出した。
ぬるくなった緑茶の蓋を開けて一口飲む。少し苦味のある味が若干寝ぼけていた意識をはっきりとさせていく。
蓋を閉めながら窓の外を見ると雲はさっきより暗くなっていた。到着する頃には雨が降ってそうだ。傘を持って来ていないから困るな。
「‥もう少しだ。でも、雨降りそうだね。」
「‥そうだね、傘持って来てないや。」
「俺もだ。二人でずぶ濡れかな?」
「最悪だ‥」
「ははっ(笑)雨降らないといいね、あと少しだけでも。」
「‥うん。」
目覚めてもまだ肩にかけてくれてるままのジャケットをそっと握りしめた。何故握ったのか分からない。けど、今から着く場所が、私をどうするのか不安になったからかもしれない。
私の旅の終着点は何処なのか。
新幹線から降り、外へ出れば雲は暗いまま。雨は降っていなかった。
「‥雨降ってないから、早めに宿行こうか。」
「‥」
雨が降ったら着替えがない。早く行かなきゃなのは分かっていた。だけど、私の足は前へ動こうとしない。
「‥光希?」
「‥ない。」
言っちゃいけないと分かっていた。けれど、心の底からドロドロと溜め込んで来たものが喉元まで迫って来てしまえば、もう止められない。
「帰りたくない。」
「‥」
「家に帰りたくない、学校行きたくない、人に会いたくない、好きに生きたい、ッ、あの街に帰りたくないッ、もう逃げたいッ‥」
彼は黙って私の文にもならない言葉を聞いている。頬に雨粒が落ちる、地面に雨粒が落ちると雨が本降りになり始めた。私達を遠慮なく濡らしていく雨。それでも私の足は動かなかった。
「もう、」
一度ストッパーが外れれば、止められない。
「死にたいなぁ‥ッ」
私が私でいれない場所が嫌い。男だから一人称が私はおかしい、男なのにツインテールはおかしい、男らしくいればいいのに。そんな“普通”を押し付けられるのがずっと苦手だった。
雨なのか涙なのか分からない水が顔を濡らしていく。もう服はびしょびしょだ。肌に冷たさが伝わって来て、冬の外と言う事もあり少し寒い。
「‥ごめん、私、何言ってるんだろう。」
気付いた時にはもう手遅れな状態だが、謝らないよりは謝った方がいいと思った。折角友達が、大事な人が出来たのに今の発言で全部失うのを恐れたから。
本当、自分勝手な私は私が嫌い。
「‥へ、」
彼が私をそっと抱きしめた。「宿に早く行きたい」「なんでいきなりそんな事」「濡れて最悪」覚悟してた嫌味を一つも言わずに私を抱きしめる。
「‥じゃあ、帰るのやめようか。」
「え‥」
彼の突然の言葉に驚き、私は目を見開く。目に雨が入って来て少し辛いが、今はそんな事気にならなかった。
「俺も帰りたくないんだよなぁ‥習い事ダルいし。親うるさいし。なんか人生面倒だし。」
彼のその言葉が本音なのか私に合わせているのかわからない。けど、そんなのどっちでも良かった。私は心の底からその言葉が嬉しい。
私に合わせてくれてるそれが、私は嬉しかった。
震える手を彼の背中に回す。雨で濡れて重くなった服を動かす度に服から雨が流れ出てくる。彼の服もびしょびしょで体温なんか伝わってこない。
伝わってこないはずなのに、私の心は温まっていく。心の穴が塞がっていくような、そんな感覚を感じるんだ。
旅の終着点はマグ・メル。
死者の国。喜びの島。
この旅の最期はマグ・メルに行きたかったが、マグ・メルに行くのはやっぱりまだまだ先になりそうだ。この腕の中にある宝物と、まだ一緒にいたいと思ってしまったからかな。
あと少しでも、私が私でいれますように。
4444文字です‼︎
この文字に合わせる為文を削ったり増やしたり‥
光希くんと零士くんは本編でも絡みがあるので「書くならこの二人しかない‼︎」と思いこの二人で書きました。どちらも自キャラです。
マグ・メルは前から知っていた言葉なのでここで使えてなんか嬉しかったです。死者の国、喜びの島です。
書いてて楽しかったです‼︎これが一番‼︎