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昔のこと
病気の僕は、病院から出たことがほぼない。
いつもの病室が僕の部屋で、病院が僕の家で――でも、ママと和音は別のところに住んでる。
たまに他の子の面会に来る大人は、ピアスを開けていたりよく分からないネックレスをつけてるけど、僕にとっては点滴がまるでそれのようだ。派手な人みたいに大量の管を身体に繋げて、心拍が上がらないように歩かなければいけない。
大人はみんなスマホを連れてないと生きていけないけど、僕には心電図がないといけない。
どこかしらみんなと似ているところが、病人にも案外あったりする。
1回だけ、まだ訪れたことのない我が家に行こうとしたことがある。
まだ経口薬と1袋の点滴だけで症状がなんとかなった5歳の時、面会から帰るママと和音のあとをこっそりつけて病院を抜け出した。――点滴袋を抜いて。
気づかれないようにトランクに忍び込んだ。会話が聞こえた。
「元気そうでよかったね、楽音!」
「そうね、よかったわ。あとは心臓のドナーさえ見つかれば……」
「どなーってなぁに?」
「心臓をくれる人のことよ」
そんな会話から、幼稚園のこととか、この間行ったらしいカフェレストランのこととか、僕の行ったことのない場所のことを話し始めた。
未知の世界の話で僕は好奇心を刺激され続けた。わくわくして、そして同時に家が近くなることへの喜びで胸が高鳴るのを感じた。
すると突然、胸に鈍い痛みを感じた。それはまるで鈍器かなにかで叩かれたようで、熱さえ感じる痛みだった。
声が漏れた。抑えることなどできるはずもなかった。
「ママ……後ろから楽音の声が聞こえる……」
和音が僕の声にいち早く気づき、ママに伝えてくれた。
「聞き間違いじゃない?楽音は病院にいるのよ。それより、そろそろ家だから荷物持ってて」
「聞き間違いなんかじゃないよ、本当に聞こえる!だってずっと聞こえるし、耳塞いだら聞こえなくなるんだもん!」
「本当に?まさか……」
その後ほどなくして車が止まったらしい。酷い痛みに頭が回らず気付かなかったが、トランクが開いたときに見えたのが家近くの飲食店だったのは覚えている。
「楽音‼なんでここに⁉」
朦朧とする意識の中で、僕は霞のような声で言った。
「おうち……ママと、和音と、いきたくて……」
「和音!席の荷物除けといて!病院戻るよ‼」
ママは僕の答えをちゃんとは聞いていなかったかもしれない。
僕は和音の隣に寝かされた。
「楽音……」
すこし大きな手が、僕の胸に触れた。
「死んだらだめだよ」
そこで記憶は途切れている。
その後どうなったかなんて、いま生きている時点で分かる。和音には感謝しかない。