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特にメリットを感じないもの6選+2
短カフェを1.5年続けてきたなかで「これって別にメリットないよね」というものをつらつら書いてみました。
・ユザネに投稿頻度を書くこと
・投稿予告をすること
・不特定多数に謝ること
・詳細な自己紹介をする、自分の障がいやセンシティブなことを公開すること
・ミュート機能を使わないこと
・ネッ友を広く募集すること
その他
・「これ書いて需要ある?」って思うこと
・短カフェ(≒SNS)に依存すること
・ユザネに投稿頻度を書くこと
「毎週最低でも1回は投稿します!」という奴。
これは本垢でも昔書いた通りで、基本的に投稿頻度は書いてもメリットがありません。
むしろ書いてしまうと自分で公言した手前守らなければ…、と思ってしまって、一度でも破ってしまうだけでモチベが激減します。
学校では「目標を立てて達成するとハッピー」というインテリジェンスな(有言実行的な?)流れがあり、短カフェでもやりがちですが、逆に「達成できなければしょぼん」のほうが確率が高めです。
そう考えると、予測不可能だから面白いみたいな、投稿者の気分で投稿するかしないかが決めたほうが気が楽です。
投稿頻度を定めると、なんか読者に期待感が出てきますので、ふわふわした方がよさげです。
また、自分でも目安みたいな感じにとどめておけばいいので、そんなの、自分の心の中にしまっておけばよい。
「書かなくていいものは書かない」でいいと思います。
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・投稿予告をすること
時々小説が書き終わる前に日記にて、
「こんなのを書くつもりです!」
という投稿をしがちですが、これはまだ確定してないものだと思います。
あくまで暫定的なもので、しかしこういうのに限ってうまくいきません。
基本的に何かしら予定が狂います。
「紆余曲折あってこうなりました」
なら別にいいんです。完成して偉いねってなるから。
予告しておいてできませんでした。エタりましたとなると、モチベにデバフがかかります。
予告をするなとは言いませんが、予告するときはすでに書き終わったものなど確定したものがいいと思います。
希望的観測のような、まだふにゃふにゃで形がまだ決まってなくて頭の中では完璧なんだけどなー、みたいな、
「それは通常不完全と呼ばれるもの」の投稿物に事前予告をするとリスクです。
絵に描いた餅を、餅として予告する人には約束守れないムーブが出てきます。
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・不特定多数に謝ること
日記を見ると、数日~数週間更新できなかっただけで、なんか率先して謝ってる奴がいます。
三日間放置してました。投稿しなくてごめんなさい、というのを見て、
「なんでこの人謝ってるの?」
と僕はふと思ったりします。
こういう人ほど無責任で、継続力がなくて何度も謝る傾向にあると思っていて、一週間放置したときに謝罪、二週間で謝罪、一か月、数か月……と謝罪の価値が下がるのですよ。
で、放置しまくっていつの間にか自然消滅します。謝罪の価値が下がるから、雪だるま方式に期間が増えていくんですね。
これは投稿頻度を書く・書かない問わず、短カフェ=SNSだとでも思ってんじゃねえかというほど高頻度に投稿しなければと思い込んでいるかもです。SNS教育の賜物ですね。
よく考えてください。
一日で数投稿します。
それを毎日……、まあ無理です。
できるとしたら不登校かニート確定。
やる気が初日ログインボーナスです。
やる気が満ち満ちてるのだ、最初だけ。
だから三日坊主になってしまう。
だいたい、こういうので謝る奴は、SNS育ちの承認欲求高めな人や、不祥事起こしまくりで謝罪動画を出しまくっているYouTuberなどの「謝罪の価値が暴落済みの推し」をみて育った子供だろうと勝手に思うのです。
あれは推しではありません。
短カフェは大手動画サイトのように暇人集団請負サイトではなく、比較的過疎ってるサイトです。
別にその人が数日〜数週間ほどいなくなっても、心配する人は基本いません。
知名度がどうたら言っている人ほど、自分が投稿していないと誰かが心配しているから謝らなくちゃ、と勘違いしがちですが、基本的に別の人の投稿を読んで暇をつぶしており、あなたがいたことすらほぼ忘れています。仕切り直しになっただけです。
お気に入り登録機能はありますが、リアルタイム通知が来るわけではないので、一挙手一投足を見ていません。
不特定多数にどうでもいいことで謝るほど、あなたはすごい人なんですか?
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・詳細な自己紹介をする、自分の障がいやセンシティブなことを公開すること
僕的には、そもそも自己紹介をする必要も感じません。
まあ、最初に自己紹介をするのは、要するにネッ友といち早く知り合ってつながりあいたいからか、書くものがないからだと思われます。
書きたいものがないのでとりあえず自己紹介を、というスタンスだと、その後高確率で何も書けなくてEnd、となります。
短カフェは書き物サイトなので、書く物がないと終わるんですよね。
閑話休題。
自己紹介の際、発達障害やジェンダー的なものを書く人がいたりいなかったりします。
書くなとは言いませんが、いまいち障がい的な物を書いてもメリットがありません。
センシティブな事柄は「自身の弱み」そのものです。
真っ先に弱みを|開陳《かいちん》した場合、よく知らない相手からとんでもない言葉を言われる可能性もあります。
「○○って何ですか?」系は、説明すればなんてことはないと思いがちですが、基本的に無知を装ったバカが多いので、ネッ友としてつながりあえても「理解者の代わり」にはなりえません。
まあ、年齢が高めなネッ友ならOKです。しかし、短カフェの主な利用者層は小中学生なので少ないと思われます。
実は私って心と体の性別があれがあれで生きづらいです、と暴露した人たちほど、その投稿を最後に自然消滅しているなって僕的には思っています。継続できなくなる(=足かせとなる)感じです。
書かなくていいことは書かないと同じように、言わなくていいことは言わなくていいと思います。
障がい関係で繋がり合いたいのであれば、もうちょっと時と場合と相手を選んでください。
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・ミュート機能を使わないこと
短カフェのみならず、ネット世界は自分とは違うタイプの人ばかりです。
多様性がどうたらだから、すべての人と仲良くなるべきとか無理ですし、そういった夢物語を現実で実践するとストレスMAXになってメンタルがやられます。
見なくていいものは見なくていい、画面上に表示させなきゃいい。そのためのミュート機能というわけです。
ミュート機能を使っている人は1%もいないらしく、運営的には「もっと使ってよ」オーラを放ってきています。
それだけ民度がいいのか、お人よしが多いのか、学校ではストレス源の断ち切り方やストレス管理を教えてくれないのか、という感じです。
短カフェは一方SNSと違って、利用者人口が少なく、そもそも「文章が書ける」という知能が高めな人が利用者(ただしSNS由来の学タブ勢は除く)である前提があるので、それらも一因かもしれません。
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・ネッ友を広く募集すること
ネッ友としてつながりあうこと自体にメリットは多めです。情報共有することで同年代特有の「抜け道」を見つけたり、考え方の差異を楽しんだりできます。デメリットだと思い込んでいるのはコミュ障かアタマが悪いかのどちらかです。
ですが、調子に乗ってネッ友を増やし続けていくと、ネッ友を単なる「数」としてみてしまい、承認欲求に取り憑かれます。
また、ネッ友としてつながりあった後、実は病み系統の人だった、という玉手箱もどきもよくあります。そうなると超めんどくなります。
学校でも1クラス40人が限度ですが、SNSは100単位、1000単位が常識だろ的な感じがあります。でも、それって異常じゃないですか?
そのことに気付けると、所詮画面の向こう側にいる人間というだけで実体がないのです。
つながりあうとか言っても実際は口約束みたいに希薄なんだよな、っていう風になって、ネッ友が多い=単なる数値でしかない、みたいな空虚感があります。
友達は多ければ多いほど良いというわけではありません。基本的にはさらに空虚になっていきます。
友達になることから、単純にネッ友を集めることが目的になり、数を追い求めて空虚感どころか承認欲求に支配された|人形《マリオネット》になります。
そうなると学生生活はおしまいですね(⌒▽⌒)
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その他
・「これ書いて需要ある?」って思うこと
需要が無い=読まれないのだから、書く必要がない。
そのような考え方をすると、書こうとしたものに対して自らブレーキを踏んで思い悩む。
その無駄な時間だけが過ぎ去って一週間たったけど結果何もできなかった、書けなかった。
残ったのは自己嫌悪とぐったりとした疲労感…という嫌な感じに陥ります。
とりあえず書けばいいじゃないですか。あとで消せるんだから。需要? 需要は自分にあればそれでいいんだよ。
これで論破できてしまいます。
生み出す前に思い悩む必要はない気がします。
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・短カフェ(≒ネットサイト)に依存すること
うすうすわかっているとは思いますが、ネット社会はネット利用者のネット依存が前提みたいな感じになっています。
ネット依存から抜け出そう!――という文言を見かけますが、ネットをやめることをネットで宣伝する時点で皮肉でしかありません。
やめられない人が大半であると宣伝者が煽ってきているだけなのです。
自身のネット依存に気付いたとき、逆にネットから脱却しようとすればするほど非効率で、暇つぶしできず暇で暇でしょうがなく非現実であることが分かるかと思います。
最初に思いつくのはさっさとタブレットや電子機器の画面を閉じ、ネットより現実世界に目を付けることですが、そんなことができるなら現実に生きてるよという反論が来ることは明白です。
そうなるとネット、SNSや短カフェでだらだら時間をつぶすことになった今、この文章を読んでいるあなた自身に至ることになります。
短カフェで暇をつぶす時間が長ければ長いほど、あたまの悪いガキが頭の悪い投稿をしているのを見る機会は俄然多くなります。
ミュートする、という方法は、万能ではなくあくまで対処の一つでしかありません。
そもそも短カフェに時間を費やさない、≒依存しなければいい話です。
釘を刺すようですが。
短カフェに依存するな、と
短カフェを利用するな、は違います。
短カフェに費やす時間を減らし、その分を別に回す。短カフェ以外で暇をつぶせればまあ、ストレス要因から回避することができつつ頭の悪い投稿を見なくても済むという点で一石二鳥以上になるんじゃないかと。