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24 新生なる神聖
「なるほど。|大男《奴》がイオリアを連れ出したい気持ちは理解できた」
零は誰もいない居住用の小屋の壁に背中をあずける。目をつぶった。
これは瞑想するようなもの、立ったままでも座禅は組める……
大男は、ここが終の棲家ではないと思っているらしい。イオリアのようなか弱い少女のことを気にかけている。こんな娯楽も気の休まるところもないところで千年もの間ずっと生き続けている。それを見て神聖なる気持ちとなって救世主としての気持ちが芽生えたのだろうか。
拠点という地下の鳥かごから連れ出し、自由を知ってもらいたい。そんなことを思っている。
だが、
「理解できるが、俺には関係のないことだ」
零の最終的目標はこの世界からの脱却だ。
大男の連れて行くところは鳥かごの外のようだが、所詮部屋の中。家の外や大空などではない。飼いならし済みのペットを見て同情して、金網の小さなドアを開けようと努力するのみ。それ以降は権限がないか諦めている。
ガラス窓や鍵のついた施錠ドアまでは手に付けようとすら思っていない。それでは、状況は進展せずどこへいっても同じだ。同じことの繰り返し。場所が変わるだけ。
この世界には、どこか終末思想が横たわっているようである。終末思想といえば宗教が思いつく。
人間には終わりがある。百年足らずだというのに、明確な始まりと明確な終わりを欲している。その始まりと終わりのある時間が「長い人生」だと評したい人間は、悠久にも思える世界に早く終わってほしいと強く願っている。
百年の間に自分の身のみならず世界もまた破滅してほしい。本当の破滅。死、絶望、破滅、崩壊、そして終末。どれでもいいし、なんでもいい。
だが人間たちの妄執ともいえる最悪な未来予想図は、不運なことに当たらないでいる。世界に寿命はなく、継続する。自らが死んでも全世界を覆い隠すほどの天変地異は起こらないでいる。いつか起こる、いつか起こる……そう予想してどの程度の時間が経っているのか。
この一枚の紙は――拠点の一部の人間にとっては――、その終末思想の聖書のように大切なものらしい。
零はまだこの世界に来て一日も経過していないので教科書のいち|頁《ページ》にしか見えない。だが、それ以外の者たちは脱出することができず、一生この世界に閉じ込められている。
拠点の人々を見てきたが、一部はすでに人間をやめている。発狂していても仕方がないと言えるだろう。
それ以外の一部の者たち、その者たちは謀反――というには大げさだが、分裂というべき出来事――を起こそうとしている。まだ生きるのを諦めていないということだ。無価値に見える一枚の紙にすがっている。崇高で希望に満ち月のように欠けることのない光だと錯覚させている。
一方、|レプシラビッド《拠点のリーダー》はどうかといえば、その心中はよく分かっていない。たしかに強い精神と強さをもっている。零が苦戦したモズを一発の弾丸でもって仕留めた実力者だ。
その強さゆえに今の現況を凌いでいることは判った。だが、それで拠点全体をまとめているかといえば首をかしげてしまう。
不安定な均衡。拠点のバランスを担っているのが、か弱き娘イオリアということになりそうだ。
「拠点の箱娘ともいうべきイオリアには、一度面通ししたいな」
彼女の思惑を知りたいと、零はその場所から離れた。拠点の最年少ながら、この停止世界にて最初に転送してきたグループに違いない。彼女はどう思っているのだろう……
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扇形に広がる大教室の下側に移動する。がれきをさけ、階段を一歩ずつ降りていく。
大教室前の広間はがらんとしている。もう解散したらしい。
零はその広間を横切り、黒板近くにあるドアをノックした。
しばらく待ったが特に返事はなく、ノブを回して中に入った。
準備室のような部屋だった。個室といってもいい。
かなりきれいに清掃してある。空気も清純だ。血の匂い、埃の匂いすらしてこない。ここだな、と零は思う。意外とすんなり来れたな、とも思った。
拠点の深窓の令嬢ともいうべき彼女だ。厳重に警護されているかと思ったが拠点内は平和であり、襲われる危険はないとの判断なのだろう。人が少なくなったからというのもある。手薄だ。
「こほん、こほん……あ」
部屋の中央にベッドがあり、そこに寝そべるように一人の少女がいた。せき込んでいて、見るからに病人である。
赤い色をした毛布が首元まで掛けられている。部屋に入って、ベッドに近づこうとした。寝ていた少女は突然の来客者に気付き、寝ながら顔だけこちらを向ける。
「えっと、たしか」
イオリアは見た目五歳くらいの少女だった。上体を起こそうとしている。
「零だ」
「レイ? ……うん、知ってるよ! だってトアから聞いて――」
しゃべっている最中に、けほんけほん、と大きな咳を連続でする。
魚の小骨のように細い身体は、透けた白いレースに包まれている。咳をするたびに身体は直角にして大きく曲げ、苦しそうだ。飛び起きる動作を何度もし、茶色の長い髪はその動きで大きく乱れている。いくつもの分岐をなして白い服に落ちる。
零はそれ以上近寄ることはせず、遠くで眺めることにした。声をかける。
「別に寝てていい。姿勢は気にしない」
「あ、ありがと……じゃあ」
イオリアは起きるのをやめ、毛布の海に戻っていった。
「長居するつもりはない。単刀直入に訊こう」
何の病気かなど、興味がなかった。件の紙を取り出して様子を見る。すると、
「あ、それは!」
イオリアは飛び起きるかのように身体を起こす。毛布ははじけ飛び、どこかに飛んでいく。
零はそれにびっくりしながら、
「少しこれについて聞きたくてな。いいか」
「うん、いいよ!」
イオリアは元気いっぱいに答えた。
「その紙、私が発見したんだよ!」
「知ってる」
「誰かに聞いたの?」
トアからだと伝えると、イオリアは勝ち誇ったように元気を取り戻す。この様子だと、急いで用件を聞く必要はなさそうに見えた。
この部屋の付き人としてトアが思いついた。トアがアケミのところにいるから、彼女は今一人なのだ。
トアが来るまでの間、零はこの件について聞きだすことにした。
「この紙はどこで見つけた?」
「それはねぇ……拠点以外の場所だよ。こっそり部屋から抜け出して、一人で探検!」
「そのようには見えないんだが」
零は素直な感想を述べる。イオリアは末期患者然としている。
「アンタに、そんな体力が残っているのか?」
「それは、まあ……、今の体調だとあれだけど。昔はもっと動けたんだよ!」
「ふうん」
「ええー、なんか信じてなさそう」
「続けてくれ」
「もう、せっかちなんだから、少しくらいいいでしょ?」
イオリアの話はどこか脱線しがちで、ここに来る前の世界にいた時の話を語る。初めてできた友達に、自己紹介と間違えて自分のトラウマだらけの過去を話すようになっていた。
彼女の病弱な身体は、この世界に転移する以前からそうであったらしい。つまるところ生まれた時からベッドに寝たきりだったようだ。兄であるノースの看病によって今まで生きながらえてきたようなものだと。兄は軍人だが、遠征の時はなるべく行かないようにし、毎日一回は自宅に足を運んだ。
前の世界では誰でも転移ができたらしい。使用する道具の値段は高く、貴重品ではあるが妹の看病のためならお金は惜しまなかった。それで、距離の問題は解決されていた。問題なのは、こちらに転送されてからだ。
「この世界に来たのはお兄ちゃんと一緒だったの。あれは何の日だったかなぁ……。そうだ! 私の誕生日の日だった!」
イオリアの誕生日の日、ノースの買ってきてくれたケーキを食べていた。するとどこからともなく声が聞こえ、何者か分からぬうちに『|ネグローシア《この世界》』に転移してきてしまった。
校舎内はひんやりとしていて、他に人は居なかった。だから二人で切り抜けるしかなかった。意味のある言葉を一切話さない|腐死人《ゾンビ》が道を徘徊し、割れた窓ガラスから空を仰ぐと灰色の空とツバメの大群のように悠然と飛ぶ|竜翼族《ワイバーン》の姿が。数日後には単身ラビッドがこちらの世界に転送してくるのだが、それまでノース一人で魔物たちを退けていたという。
ラビッドの転送を境に、人が次々とこちらに来て、歓迎したのだという。そのたびにイオリアは声をかけて励まし、応援に徹した。
次々と繰り出される|NightCrawler《ナイトクローラー》の授業に対し、人を送り出す時も笑顔で、その多くは戻ってこないとわかっていても、彼女は健気に振舞った。
もし、兄なしに、一人でここに転送されていたと思うとぞっとすると呟く。希望の少ない悲観的な境遇を元気いっぱいに語っていたが、その時だけ、声が沈んだ。しかし、潜水艦が急浮上するように声の調子は元に戻る。
自分は皆に守られているから、笑顔を振りまくのだ。そう言っているような気がした。
「……ねえ、ところでレイ。この近くに植物園があるの、知ってる?」
零は訝しげに眉を動かす。
「知らないな」
「ふふん、それはそうでしょ! なんてったって、秘密の入口が|巧妙《こーみょー》に隠されてされているんだよ。まあ、それも、私が最初に見つけたんだけどね!」
「どこにあるんだ」
「それはねぇ、ここから近いんだよ。レイ、今地図ある?」
零は懐から地図を取り出し、イオリアに渡した。もうベッドに近づいてもせき込まない。
「えっとねぇ、あ! ここだよ、ここ」
イオリアが指さしたところは、先ほど零が単独行動をしていた付近の、地下の洞窟内にある植物が生い茂っているところだった。