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【リクエスト】かなわない恋
小説でリクエストを頂きました。
ありがとうございます!
令和の世になっても、昔ながらの名家というものは存在する。
旧華族の流れを汲む、|深蝶院《みちょういん》家に仕えるのが、私の仕事だ。私は深蝶院|明日葉《あすは》様専属の秘書――護衛や学友、家庭教師、そうした一切を行っているが、名目は秘書――だ。特に明日葉様が登下校する際には一緒に車に乗り、教室でもともに学んでいる。
『|礼全《れいぜん》くんと深蝶院さんって付き合ってるの?』
幾度か、事情を知らないクラスメイトに聞かれたが、そんなはずはない。
この高等部を卒業したら、明日葉様は許婚の|勅使河原由芭《てしがわらゆは》様と結婚することが決まっている。政略的に決められた婚約ではあるが、お二人は仲睦まじい。
あくまでも仕える立場にある私には、明日葉様に恋をする資格はない。
主人に対して、従僕はそんな権利は持たない。
ただ、それでも。
私は明日葉様にかなわない恋をしている。
明日は卒業式だ。そして明後日には、明日葉様は結婚前ではあるが準備のために勅使河原家へと向かい、そこで生活することになる。その時点で私の任は解かれる。きっと多くの者は、『自由になった』と、それを喜ぶのだろう。けれど、私からすれば、明日葉様との別離であるから、とても辛い――いや、そうでもないか、と、私は唇の端を持ち上げて苦笑した。離れたならば、この気持ちにけりもつけられるかも知れない。
「|雪野《ゆきの》」
そこへ声がした。礼全雪野が私の名前だ。
「はい」
振り返れば、そこには微笑し歩いてくる明日葉様の姿があった。長いまっすぐな髪が揺れている。ぱっちりとした目はアーモンド型だ。睫が長い。
「なにか、私に言うことはない?」
「? いえ、ありませんが」
「ウ、ソ」
「いいえ、私は誓って明日葉お嬢様に対して誠実です」
「それは分かっているわ。でも、一つだけ、嘘があるはず」
「どういう意味でしょうか?」
「――いいの? 私に告白しなくて」
小首を傾げて、笑ったままの明日葉様に言われた。一瞬、私の心臓は冷たい手で直接撫でられたかのような衝撃を受けたが、私はすぐに笑ってみせる。
「残念ながら私は、明日葉お嬢様を女性として見ることが出来ませんので。僭越ながら、妹のような……まぁ、そういった存在です」
濁した私の言葉に、ぷぅっと頬を膨らませて、唇を尖らせてから、ぷいっと明日葉様が顔を背けた。
「同じ歳じゃない。もういいわ。ごきげんよう、雪野。また明日」
「おやすみなさいませ、明日葉お嬢様」
私は頭を下げる。
明日葉様が遠ざかっていく気配がする。
――ポタリ、と。その時、床に水滴が垂れた。私の眼窩から、ぽたり、またぽたりと、透明な雫が落ちる。
「ああ……」
……言えたのならば、伝えられたのならば、どんなに良かったのだろう。
激情が渦巻くこの胸中、皮膚の一枚下側を渦巻く辛すぎる恋情。
きっと、先ほどだって明日葉様は、私が言わないと確信していたから、あのような問いかけをしたのだろう。まったく、そういうところだ。苦しい。
「私、は……」
呟いてから唇を噛む。そして長々と瞬きをしてから、その上を手の甲で拭った。
「好きに決まってる。好きじゃないわけが……だから」
顔をあげて、私は天を仰ぐ。
「どうか、幸せに」
明日、かなわない恋もまた、卒業すると、私は決めていた。
---
――卒業式の翌日。
「行こうか」
迎えに来た|由芭《ゆは》の隣で、明日葉が頷く。
そして二人は、車に向かって歩いて行く。玄関で、雪野を含めた使用人一同が、頭を垂れてそれを見送っている。
歩きながら、由芭が問う。
「それで? 明日葉は上手くいかなかったのかい? 僕と来るなんて」
「ええ。雪野は私を女性として見られないそうよ。私なんて彼を男性としてしか見ていないのに」
「振られちゃったんだ。可哀想」
「煩いわね。さっさと貴方との婚約を解消して、その後どうやって雪野を手に入れるか考えなくちゃならないのだから、私を揶揄って遊ばないで」
「ごめんね。なにせ僕は、既に最愛を手に入れているから」
由芭には恋人がいる。それもあり、円満に、二人は婚約を解消する予定なのだが、まだ周囲にはそれを話していないのである。
「かなわない恋なんじゃないの?」
由芭の声に、明日葉が目を眇めた。
「かなわない恋なんてないの。少なくとも、この私には。必ず、私はこの恋を実らせる」
決意に燃える明日葉の想いを、由芭はくすくす笑いながら聞いていた。
端から見れば円満な二人。
遠くからそれを一瞥して、胸が痛くなる雪野。
けれど。
近い将来、雪野が思ったかなわない恋は、明日葉が実らせると誓った結果、新しい愛を生む。これは、どこかであった、そんなお話。
(終)
リクエストありがとうございました!!