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青い折り鶴
青い折り鶴は贈る人の想いが、大切な人の心に届くとされているそうです。
ある都市伝説には、願いを叶えるバケモノの噂があった。
それを知る者はごくわずかで、ほとんどの人間は気づくことなく、生まれて、笑って、死んでいく。
けれど、ごく稀に。
どうしようもない絶望の淵で、誰にも届かない祈りを叫ぶ者がいる。
そしてその声は、“それ”に届く。
夜の雨に紛れて現れるのは、黒い布をまとったバケモノ。
性別も年齢も、姿も曖昧で、黒い布のせいで顔は見えないがその裂けた口は見える。
それは、おぞましいほど楽しそうに笑っていた。
そして、願いを叶える代償に一番大事なものを差し出さなければならない。
雨の降る夜、また、ある少年が願いを叶えようとしていた。
--- 「青い折り鶴」 ---
雨の降る路地裏に1人の少年が立ち尽くしていた。
俺だ。
水たまりに映る俺は憔悴しきった顔をしていた。
弟が入院した。
そんで、もうすぐ死ぬ。
もうすぐってのは、1ヶ月くらいの猶予がある訳ではなく、俺がこんなことをしている今も、死んでしまう可能性が十分すぎるほどあると言うことだ。
そんなのはもちろん嫌だ。
どんな事があっても弟だけは絶対に守ると決めたから。
かといって何もしないのは死を待つと同然だ。
そこで俺は、都市伝説に頼ることにした。
雨の深夜2時、この路地裏で鏡にうつる自分に願いを言うと、それが叶うらしい。
ただの噂だ。本当な訳ない。
でも、頼るしかなかった。
今は猫の手も借りたいんだ。
……バケモノの手だが。
手元の腕時計は深夜2時になろうとしている
そして俺の手には母さんから盗んだ小さな鏡。
準備は整っている。
やるしかねえ。
生ぬるい風が頬をかすった。
雨音が遠のいていく気がする。
鏡に写った俺に向かって願いを言った。
「弟を守ってくれ__。」
返事はない。
そりゃそうだ。
噂はただの噂でしかないし、都市伝説は伝説でしかない。
と思っていがその瞬間、後ろに気配を感じた。
肩に何かが触る。
耳の近くでささやく声。
それは、悪魔の声だった。
「それが、キミ、時雨 アオの願いだね………?」
俺の名前を呼ぶ声がした方を向くと、そこに立っていたのはバケモノだった。
ぼろぼろの黒い布を身にまとい、頭まで覆われているため顔は見えないが、口だけはこちらを覗いていた。
裂けるように横に広がった赤黒い笑み。
それが、震えるほど楽しそうに俺を見ていた。
いつの間にか見える景色は雨の降る路地裏ではなかった。
どこまでも暗くて、どこまでも続いていた。
もう雨の音なんて聞こえなかった。
「叶えて……くれるのか…?」
バケモノに向かって聞いた。
「もちろんだよ」
「でも___、」
バケモノの笑みが深くなる。
「願いをかなえる代償に、キミの“一番大切なモノ”を貰うよ」
「一番大切なもの………?」
弟の命と引き換えにできるほど大切なモノって、あるのか……?
「怖いのか??でも……叶えたいんだよね???」
愉しそうだ。人が怖がっているのをみて愉しそうにしている。
その笑みはバケモノそのものだった。
「あぁ、何でも持ってけ。」
「フフ、キミなら言ってくれると思ったよ。……さあ、ボクの手を握って__。」
バケモノが手を差し伸べた。
細くて角ばっていて、爪が長い。
握ってはいけない気がする。
そう、頭が言っている。
でも、俺はその手を握ってしまった。
それに触れた瞬間、世界が歪んだ。
何かが消えた気がする。
まあ、いい。
弟が生きてるなら、俺はそれでいい。
「_契約、成立だね。」
その言葉の直後、俺はあの路地裏へ戻っていた。
雨が強く打ちつける。
手に持っていた鏡が割れていた。
それぞれの破片に俺が写っている。
その背後に、不気味に笑うバケモノが見えた気がした。
***
「アオおにいちゃん!!みてみて!!」
小さな手がぐいとシャツの袖を引っ張った。
手には赤い、折り鶴が握られていた。
折り鶴というには少し不格好だが、5歳の作った折り鶴なら、これは素晴らしい出来だろう
「すごいね、これ、レンが作ったの??」
「うん!!!あやせんせーがおしえてくれたの!!……でもね、ちょっとぐしゃってなっちゃった…」
「んーん、すごく綺麗だよ。上手だね。」
そういってしゃがみ、小さな頭を撫でた。
するとレンはにかっと笑ってくれた。
10歳違いの歳の差。
熱を出して泣いた夜も、遠足の朝に眠れなかった夜も。
父さんと母さんがいなくなって、ふたりだけになってしまったあの日から、僕は心に決めていた。
この笑顔を守るためなら何だってする、そう思えた。
「これ!!アオおにーちゃんにあげる!!」
差し出された手には青い折り鶴が乗っていた。
「いいの?」
「うん!!アオおにーちゃんのために折ったの!!この赤い鶴はぼくの!!」
小さな鶴だった。
端のほうがしっかり折りきれていない。
でも、そんなのなんだって良い。
この手のひらにある折り鶴は世界にたったひとつしかない、弟の優しさだから。
「ありがとう。」
頭をくしゃっと撫でた。
***
雨は、もう止んでいた。
空気は湿っていて、生ぬるくて、いつもよりやけに静かだった。
昨夜の雨の香りがする。
今朝、病院から弟が起きたという連絡が来た。
素直に喜べなかった。
払った代償だって何か分からないし、それに全然現実味がなかった。
夢を見ているみたいだった。
もしかしたら昨晩の契約だって、夢だったかもしれない。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
心臓の鼓動がうるさい。
駅まで走る間も、電車の中も、ずっと胸が苦しかった。
もし助かってなかったら。
もし嘘だったら。
もし全部、俺が見た夢だったら。
でも、
もしほんとに治ってたら。
もう一度レンの笑顔が見られるなら。
あの、くしゃくしゃな青い折り鶴を渡してくれたあの手が、もう一度動くなら。
何度だって、バケモノに魂を売ってやる。
病院の白い廊下を駆け抜ける。
足音が反響するたびに、俺の不安が揺れた。
--- カツン、カツン。 ---
俺の靴音だけが、まるで誰かの足音のように背後から追いかけてくる。
バケモノの気配すら感じる。
でも構うもんか。
今は、ただ、
「おにいちゃん」って、またあいつの口から聞けたらそれでいい。
そう思いながら、病室の前で立ち止まった。
ドアの向こうから、誰かの笑い声が聞こえた。
弟の、声だ。
聞き間違えるわけがない。
何度望んだだろう。
あの声をもう一度聞けるなら俺は__。
俺は、震える手でドアノブに手をかけ、勢いよく開けた。
--- バン!! ---
そこには小さな体が、ベットの上で座っていた。
酸素チューブも点滴も付いていない。
あんなに苦しそうな顔をしていた弟が笑っていた。
話していた。
動いていた。
__生きていた。
「レン!!!!」
そう叫んで小さな体を抱きしめた。
「良かった……生きてたんだね…良かった…」
きょとんとした顔がこちらを見ていた。
「……えっと、おにいさん、どちら様ですか??」
「え……?」
理解ができない。
俺の知ってる声で、俺の知ってる笑顔で、俺のことを知らないと言った。
ありえない。
そんな、また、あの笑顔を見れたのに。
“願いをかなえる代償に、キミの“一番大切なモノ”を貰うよ”
そうか、これが代償なのか…。
赤い鶴がベットの隣の机にぽつんと置いてあった。
あの日くれた青い鶴は今、手に持っている。
まだ、この鶴はあの日のまま残っているのに。
レンは、あの日みたいに俺をおにーちゃんとは呼んでくれない。
この思い出も、忘れてしまったのかな
その日は家に帰った。
何も、考えたくなかった。
青い鶴は置いていった。
あの赤い鶴の隣で、青い鶴は寂しそうに赤い鶴の方を向いていた。
でも、赤い鶴は、青い鶴の方を向いていなかった。
看護師さんからはお兄さんの記憶だけ、忘れてしまったみたいです、と伝えられた。
どうやら本当に忘れてしまったらしい。
次の日の朝、またレンに会いに行くことにした。
色々と気持ちの整理がついた。
ドアノブに手をかける。
今、会っても傷つくだけかもしれない。
でもまた、話したいから。
そっとドアを開けた。
朝日に照らされているレンは青い鶴を見ていた。
じっと見るその目には、涙が浮かんでいた。
レンに向かって歩くと、レンがこちらを向いた。
涙を袖で一生懸命拭って、あの人同じ、笑顔を見せてくれた。
「あ、昨日のおにいさん……、すみません、なんか、懐かしい気がして」
青い鶴を手にとって懐かしそうに眺めていた。
「俺のこと覚えてる……?」
「…それは…ごめんなさい、思い出せなくて…」
「どこかで会った気がするんですけど…」
俺はただ、頷くことしかできなかった。
何かを口にすれば、せき止めていた涙が、あふれる気がした。
それからも俺はレンに会いに行った。
ほんの数分だけの会話。
レンがあの頃と同じように、俺のことをおにーちゃんとは呼んでくれない。
でも、会いに行くたびに少し嬉しそうな顔をする。
幼くて、明るい、切ない笑顔。
今日も俺はその笑顔を見るため、病院へ向かった。
レンは青い鶴を折っていた。
綺麗だった。
くしゃくしゃの折り鶴じゃない。
綺麗な青い折り鶴。
「これ、おにいさんにあげます」
--- 「これ!!アオおにーちゃんにあげる!!」」 ---
差し出されたいつの間にか大きくなった手。
そこには端まで綺麗に折れた青い折り鶴が乗っていた。
完璧におられたその姿に、なぜか涙が滲んだ。
きっと、思い出してくれたわけではない。
もう、思い出せないだろう。
それでも心の何処かにあるなら。
「………いいの?」
「はい!!おにいさんのためにおったんですよ!!」
--- “「うん!!アオおにーちゃんのために折ったの!!」” ---
「…………ありがとう。」
そう言って頭をくしゃっと撫でた。
ベットの隣の机に置かれたくしゃくしゃの赤い折り鶴と綺麗な青い折り鶴は、向き合って、少し楽しそうだった。