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ラッピングは君の愛(短編集)
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
お品書き
『カラフル・マカロンと虫の独白』
『思わせぶりなキャラメルクッキー』
『バウムクーヘンと意外な気遣い』
『カラフル・マカロンと虫の独白』
登場人物:シイ、クリス
「ね~、ボスってまかろん?がどこで売ってるかとか知ってたりしない?」
「……ほう、シイがマカロンをご所望とは。珍しいこともあるものだな」
3月14日の、空がオレンジ色に染まり始めた頃だった。夕暮れ色の瞳をした、珍しい来客がドアを叩く。滅多に我が総統室を訪れないシイ・シュウリンは、どうやら相談事があるらしい。
仕事の片手間にホットココアを飲みながら、彼の話を聞く。こんな風に話を聞いているといつもなら「聞いてるんですか?」と、主にフーゾに叱られるが___シイはお構い無しらしい。
なんでも彼は、彼と同居している落安零から「ホワイトデー」という文化を聞いたようだ。以前私も耳にしたバレンタインデーの対となるような、旧世界における3月14日のイベントごと。バレンタインデーにもらったチョコレートのお返しをするようだが……まぁ、私には関係がない話だ。なんせ、渡した相手が思い当たらないのだから。
「そう!マカロンってね、貴方は特別な人って意味があるらしーんだ!」
「ああ…フーゾ用か」
「うん!!んで、作ろうと思ったんだけど、レシピ聞いたらムズそうだったから買うことにしたんだ~」
特別な人、私ですら躊躇うほど甘ったるい言葉を、にぱりと人好きのする笑顔で、そう呑気にのたまう部下を眺める。彼にとっての特別な人、と言われて真っ先に出てきた男の名前を連ねれば、大正解と言わんばかりに声の元気さが増した。
微笑ましさすら感じさせるほど純粋な恋愛をしている彼らは、我が軍においても名物カップルとして扱われている。
我が右腕フーゾ・ギディオンと、シイ・シュウリンは恋人という関係にあった。
今どき珍しい男性同士の恋愛ではあるが、ある意味自由な我が国の雰囲気が上手く作用してか、軍内で彼ら恋人を嫌悪する声は未だ聞こえてこない。中には、我が国の法律で同性婚を認めるようにして欲しい、という意見を持つ者もいるようだ。
そんな風に有名だからこそ、私の耳にも彼らの噂はすぐに入ってくる。まして二人とも直近の部下であったため、彼らの口からも交際の事実は告げられていた。
別に他人の恋愛模様を応援したいわけではないが、いっそ愚かなほど素直な彼のことは私も気に入っている。たまには部下のために一肌脱ぐのも総統の役目なのだろう。
そうして私は終わっていない山のような書類を横目に、数時間ぶりに椅子から立ち上がった。
「…それで、どれにするんだ?」
「うーーーん、この紫のやつかわいーけど…オレンジも入れたいし……あっ、あの青色ってどんな味なんだろ?ぶ、るー…べりー?苺?」
「酸味が甘味よりやや強い味だな。苺とはまた違う味がするぞ」
「へ~マカロンにも色々あるんだねぇ」
ショーケースを覗きながら、子供のように目を輝かせるシイを眺める。シイはあのあとすぐに私の行きつけの洋菓子店へと向かい、今はこうしてフーゾに贈る用のマカロンを選んでいた。
こういった洋菓子に対して一切の知識がないと豪語していたからか、シイは入店してからずっと物珍しそうだ。マカロン以外にも気になるものはあるらしいが、あまりここに滞在しすぎると仕事をサボるな、とフーゾに叱られてしまうため抑えるらしい。
どうせ訪れたのだからと、私もショーケースを眺める。そこには見目の美しいケーキや焼き菓子が、煌びやかな装飾に彩られて陳列されていた。……私もいくつか、自分用に購入することにしよう。
「私は…これとこれを買おうか」
「じゃあオレは~この芋とシトロンとブルーベリーが入ってる箱!…あ、ボス!オレが払うからダイジョブ!」
「ご購入ありがとうございます。袋お付け致しましょうか?」
財布を出そうとしたが、シイに制止され渋々仕舞う。シイより財力はずっと優っているはずなのだが、どうしてかこの男は私に対して奢りたがる気があった。
横にいるシイと目配せをして、袋の有無を確認する。どうやらシイもさすがに剥き身でマカロンの箱を持ち歩くのには抵抗があるらしい。シイ・シュウリンという男は、変なところで几帳面な男だ。
「では、二つ別々に頼む」
「かしこまりました。こちらがマカロンで、こちらがクッキーになります」
「ありがと〜!また来るね!」
「はい。またのご来店をお待ちしております」
そうして店を出た私達は、そのまま元来た道を戻っていく。お互いが同じ方向を見据え歩いていながら、道中に会話は無かった。
私とシイは一応、上司と直属の部下という関係性ではあるが、その実接点はあまりない。彼の本業は殺し屋であるし、そりゃあ軍人と比べればどうしても会話の機会は少なくはなる。であるからして、この接点の少なさは必然であると、私は納得《《していた》》。
しかし最近になってから、己が彼からうっすら避けられていることに気がついたのだ。
一つ一つは小さな違和感に過ぎないが、やけに目線がよく合ったり、その割に会話は無かったりと、思い返せば不思議な点が多い。だからこそ今回のように彼から接触することは珍しかったし、私自身興味深さを感じていた。
なぜ私を避けるのだろう?《《特別な役職》》もなければ、《《私のことを知っている》》わけでもないのに、である。もしかすると、獣の本能とやらなのかもしれないが……そんなものが存在するのか、それですら怪しい。彼が何の理由も無しに私を避けるという可能性は、万が一にも考えられなかった。
それであれば、本人に聞いてしまえば良いだろうと脳内のイマジナリーオルカが囁く。実際に私であれば、職業柄そういった人の内面にズカズカ踏み込む真似も躊躇せず行える。………と、ここまで気にしておいて何だが、別に私は今ここで避ける理由を聞いて、彼の神経を逆撫でするつもりはない。
確かに彼はとても興味深いが、彼の庭とも言えるこの街中で、彼の心をかき乱すほどの危険を犯したくはないのだ。私だって命は惜しい。
だからこそ。私にしては珍しくぐっと聞きたい本音を堪えて、部下へと向き直る。いつの間にか軍基地の入り口を通過していたようで、シイもここで解散するつもりだそうだ。そのまま私は、避けるべき対象としてではなく、良き上司としての笑顔を彼に向けた。
「無事、渡せるといいな」
「…うん!ボスも紹介してくれたうえに、付き添ってもらっちゃってほんとありがと〜!」
にこにこと笑う笑顔の、夕暮れの底は見えない。底が見えない油断ならない男でありながらも、カラフルなマカロンのような、コロコロ変わる多彩な表情と愛嬌から多くの人に懐き懐かれ、人望を得ているシイ・シュウリン。
空虚の底を覗くような真似をするつもりはないが、彼にとってのマカロン達から、シイ・シュウリンという男はどんなふうに見えているのだろうか?
(……まぁ、聞いたところで期待した答えは聞けないだろうな)
恋人の方へと駆け出した部下の背中を眺めながら、総統室へと足を進める。山積みの仕事へと移り変わった意識は、もはや彼のことを気にしてはいなかった。
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『思わせぶりなキャラメルクッキー』
登場人物:R、零
昼下がりのカフェにて、食器がぶつかる軽やかな音や人の囁き声に耳をたてながら読書をしていた時のこと。
空には雲がまばらに流れつつ、すっきりとした青空が広がっている。木漏れ日が照らす本の活字は、家で読むよりもどこかはしゃいでいるように見えた。
「ホワイトデーのお返しに込められた意味をご存知ですか?」
いつかのテレビ番組で聞いたような台詞に、ゆるりと顔を上げる。ホットコーヒーを飲み終えて暇そうにしていたRさんの一言で、今日が3月14日であったことを思い出した。
ホワイトデー、僕らが住んでいた日本においてのイベントごと。もっぱら恋愛に生きる人々のためにあった行事ごとは、残念ながら僕には馴染みがない。お返し以前に、なぜホワイトデーが誕生したのかすら知らない始末だ。
「意味があるんですか?ただチョコレートを渡すだけではなく?」
「ええ、そうなんですよ。面白いですよね、おせちの料理と同じように人間が意味を込めただなんて」
どことなくズレた意見を述べながら、Rさんはじっと僕を見つめる。青空のような目には期待が籠っていて、きっと「どんな意味があるんですか?」と聞いて欲しいんだろうと思った。
それをそのまま口にすれば、形の整った唇はゆるやかに弧を描く。彼の穏やかな微笑みに、こちらは内心穏やかではなくなってしまうと言うのに。
「ふふ、知りたいですよね。では僕が知ってるなかでいくつか教えてあげましょう」
そう言うなり、Rさんは近くにいた店員に追加のコーヒーを頼む。流暢に外国語を喋る彼の横顔をじっと眺めていれば、こちらに気がついたRさんがまたふわりと笑った。どうやら、コーヒーが来るまでの間に教えてくれるらしかった。
まずはマシュマロ。これは貴方が嫌いという意味のようだ。すぐ溶けるさまから、早く関係を終わらせたいという類いと捉えられるらしい。……美味しいのであれば、なんでもよいと思うのだが。
次にクッキー、これは友達でいようという意味を持っているらしい。サクサクとしていることから、軽くライトな関係でいることを表しているそうだった。確かに分からんでもないが、しっとりクッキーだったらどうなのだろう。
他にもチョコレートは同じ気持ち、キャンディは貴方が好き、マドレーヌは仲良くなりたい、マカロンは特別な存在……と、随分たくさんの意味があるようだ。聞いていると、本当におせちと同じようなノリでつけられた意味が多いと感じる。
RさんはRさんで楽しそうに僕にその意味を教えるが、特に楽しいこともないのにどうして笑っているのだろう。老いによって、若人に知識を与えることに快感を感じるのだろうか?
「……Rさんは、誰かに渡したことが?」
気がつけば、そんなことを聞いていた。だって気になるじゃないか、彼がそこまでホワイトデーのお返しの意味に詳しい理由が分からないんだから。
Rさんはそれを聞いてしばらく不思議そうにしていたが、何か思い当たったのかまたも面白そうにくすくすと笑っている。何がおかしいのだろう、端から見たらおかしいのは完全にRさんの方だ。
「ふふ、ふ…ごめんなさい。別に誰かに渡したことはありませんよ。ただ、雑学として覚えていただけです」
「そう…だったんですね」
「ほっとしましたか?」
ギクッと音がつきそうなほど、僕の体が勢いよく硬直した。勝手に口からえ、と情けない声が溢れた後に、体の自由が戻ってくる。今の一瞬だけ、何者かが僕の体を乗っ取ったんじゃないかと思うほど、自分で自分に驚いたのだ。
Rさんは特にそれを気にしていないようで、いつコーヒーが来るのか待ち遠しそうにカウンターの方を眺めている。木漏れ日で輝く彼の濡れ羽色の髪の毛が、やけに艶やかに見えた。
なんだ、なんだこれ。突然体がビックリして、ただホッとしたか聞かれただけなのに?これじゃまるで、僕が彼のこと……なんて、頭の中にモヤモヤとした疑問が溢れ出して、周囲の音が遠くなっていく。はぐらかされたことすらどうでも良いほどに、心臓のばくばくだけが僕の耳を揺らしていた。
Rさんは別世界の|僕《落安 零》であるのに、どうしてこうも僕は翻弄されているのだろう。同じ顔、同じ声、同じ遺伝子を持っているのに、僕よりもずっと綺麗でずっと大人で、あどけなくて不思議な人なのだ。
その笑顔一つで僕は心を掻き乱されて、涙一つで心臓は早鐘を打ち出す。うわべだけの言葉にすら期待してしまって、僕は彼にしつけられた犬のようで。
もし僕が彼にホワイトデーの贈り物を渡すとしたら、一体何を渡すんだろうか。友人と言うには気安くて、恩人と言うほど慕っているわけではない。恋人と言うにははほど遠くて、知人と言うには近すぎる。僕と彼との関係性を、僕は量りかねていた。
この関係を簡潔に述べるには、僕はあまりに知識不足で。でも、彼なら分かるのだろうか。目の前でやっと来たコーヒーに微笑んでいる、もう一人の僕ならば。
「……Rさん、僕と貴方の関係って、どういうものなんでしょうか」
「随分と急ですね。…同一人物では駄目なんですか?」
「それはそうなんですが、その……もし、僕と貴方が別々の人間だと仮定した時、既存の言葉でどう言い表すのかと思って」
僕の頼んだアイスコーヒーはとっくに飲み干されていて、氷が溶けた拍子にカロンと音を立てる。Rさんは少し考える素振りを見せた後、何やら鞄から物を取り出した。
見慣れたデザインのそれは、何度か遊びに行くうちによく見かける彼の財布だ。なぜ今財布が必要なのだと聞く前に、彼がいくつか硬貨を机の上に置く。そうしてどこか楽しげに、僕へこう告げた。
「キャラメルクッキーみたいな関係、とでも言っておきましょうか。……貴方にとって、それが適切かどうかは知りませんけれどね」
そう言うなり、彼はマントを翻して店を出ていく。慌てて彼を追いかけようと立ち上がると、机に置いた指先に何かが触れた。
可愛らしくラッピングされたそれには、Rさんの字で「キャラメルクッキー」と書いてある。きっとこれはRさんの忘れ物ではなく、僕への贈り物…なのだろう。
クッキーは友達のままで、キャラメルの意味は……と考えて、初めてRさんにキャラメルの意味を教わっていないことに気がつく。
わざわざキャラメルと書いたのだから、きっとキャラメルも何か意味を持っているのだろう。けれど僕はその意味を知らないし、この世界にその答えは存在しない。
モヤモヤとした気持ちと、キャラメルへの期待が僕の頭を埋め尽くしていく。口に入れたキャラメルクッキーは、しっとりと甘くてとても美味しかった。
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『バウムクーヘンと意外な気遣い』
登場人物:フーゾ、オルカ
「それにしても、君とまたこうして話すことになるとは思わなかったな」
「俺も、まさかこんなにフランクに会話ができるようになるとは考えられなかったです」
のどかな春の訪れを感じさせる、暖かな日のこと。異国の総統であるオルカ・オルクスと、俺フーゾ・ギディオンは並んで石畳の上を歩いていた。
俺が久々のオフに街中を歩いていたところ、盛大に道に迷っていたオルカさんを見つけたのだ。あの戦争以来特に話をすることもなかった(一国の長だからね)ため、気まずい思いをするかと思っていたが、意外と話が合う人らしい。
以前会った時よりもラフな格好の彼は、お忍びなのかサングラスを外していた。……お忍びで外すというのも変な話だが、確かに彼のトレードマークであるサングラスがただのメガネになったことで、彼は普通の青年に見える。なんなら総統として君臨している時よりも随分と若々しく見えるくらいだ。
「そういえば、どうして|こっち《混乱的城市》に?まさかトップ自ら敵情視察に来ているわけじゃないでしょう」
「っ……そ、そうだな。……あー、なんだ……たまの息抜きに観光にでもと思ってね」
「……へ~、さいですか…」
絶対嘘だな、と分かるくらいに目線が泳ぎまくっている彼に、笑いが込み上げてくる。我が総統より2コ上とはいえ、まだまだ子供らしい嘘の下手さだ。これなら零くんの方がまだ得意だろうと思うほどに。
ちら、と彼の手に持っている荷物を見やる。どう見ても観光にしては少ないし、日帰りですらちょっとしか滞在しないような……
「…あ。さては総統に用がある感じだな?」
「っっっっな、なぜそれを?!」
「いやなんか……分かりやすすぎるかもね。それで、どこに行きたいんですか?」
かぁ、と顔まで赤くなったオルカさんを横目に、総統の右腕として彼を彼女に会わせるべきか少しばかし悩む。見たところ危害を加えるつもりは無さそうだが、信用するほど俺は彼のことを知らない。
一応用だけ聞いてから考えよう、と思い目的地を聞く。が、赤面したまま処理落ちしているオルカさんの耳には入っていないようだ。仕方がないので、少し大きめの声でもう一度「目的地はどこですか~?」と聞いた。
「はっ……あ、ああそれか。その、ここにパイが買えるような洋菓子店はあるかな」
「…パイ?パイ投げでもするんですか?」
「いや。プレ……あー、差し入れにでもと、思ってね」
相変わらず目は泳ぎすぎだが、先程よりも取り繕えている回答だ。パイであれば、丁度新しく開店した店が売りにしているアップルパイが最適だろう。あそこならまだ総統も行ってないし、そのわりに気にしてはいたから。
「ならアップルパイとかどうです?ここから近いですし、最近新しくオープンしたばかりだから総統も行ってないかも」
「!ならそこにしよう。なんという名前の店なんだい?」
そうして店の名前を告げようとして、彼と遭遇したときのことを思い出す。また道に迷われでもしたら寝覚めが悪いし、しょうがないけれど着いて行ったほうが良いとみた。
「また迷うと困るんで、俺が案内しますよ」
「本当かい?助かるよ。こちらでは土地勘がなくってね…」
「そらそうですよ。じゃあ、こっち行きましょうか」
そうして歩くこと、体感5分。無事可愛らしい外装の店を見つけ、少し気まずそうな顔をするオルカさんを店の中に押し込んだ。
「ここ、大の男二人がいるにはすこし可愛すぎないかな…?」
「良いんですよ。大の男二人とも顔良いんで自信持ってください」
「…?」
ショーケースを見れば、名物アップルパイの他にもピーチパイやラズベリータルト、バウムクーヘンといったパイやケーキ類がずらりと並んでいる。どれも精巧に作られていて、食欲をそそる見た目だ。
肝心のオルカさんはと言えば、さっさと店を出たいらしくすぐにアップルパイとバウムクーヘンを頼んでいた。ラッピングを頼んでいることから、確実に総統用で間違いない。
なんとなくだが、可愛らしい人だなという印象を抱く。勿論俺には最高の恋人がいて、恋愛感情というよりは父性に近いところで感じる印象だけれど。
いじらしいというか、随分と健気な感じの人らしい。そんな彼はとても総統を殺めた人にも、一国の長にですら見えなかった。
(そういうところが慕われるんだろうな)
ぼんやり彼を眺めていると、不意に俺の前に一つの箱が差し出される。差出人のオルカさんはにこやかに微笑んでおり、その真意がわからない。持てということだろうか。
「今日のお礼だ。わざわざ付き合ってくれてありがとう。すまないね、君のように忙しい人に道案内をさせてしまって」
「…いえ、俺今日オフだったんで、大丈夫ですよ」
「それなら尚更だ。貴重な休みの日の時間を私に使ってくれた君へ、礼も何もなしというのは私の沽券にも関わるからね。ぜひ、二つ返事で受け取って欲しいな」
「…なら、はい。喜んで」
す、と上品な包み紙に包まれた箱が俺の手に渡る。ほんのり甘い香りのするそれには、バウムクーヘンと書いてあった。どうやら先程買っていたうちの一つは俺用だったらしい。
少し面食らっていると、オルカさんが目の前のドアを開けてくれる。紳士的なその様子に、さすが一国の総統なだけあると純粋に尊敬の念を抱いた。
改めて彼の顔を、目をしっかりと見る。さっきまで気がつかなかったが、彼もシイと同じように尖った耳を持っていた。ピアスホール一つないそれに、なんとなく新鮮さを覚える。
「……人たらしですね、アンタ」
「私がかい?ハハ、良く言われるよ。でも、君たちのボスの方が私よりよっぽどだ」
「それはそう。……この後は、基地に?」
「そうするよ。手渡しだと不審がられるだろうから、受付の方にでも」
すっかり顔の赤みが引いた彼が、寂しそうに笑う。確かに毒が入っていたらと考えられるのは自然だし、そうでなくたって知らない人間からの贈り物を直接総統に届けるわけがない。
けれどどうにも、その笑顔を見ると納得できなかった。既製品であるのだから、検閲を通さなくとも……いや、作った側までグルだと疑う必要があるし、難しいのだろう。そこまで考えて、ふと便利なものの存在に気がついた。
「これ一緒に持っててください」
「これは…なるほど、君のサインか」
「そそ。それなら検閲通らずにすっといけるはず。なんなら直接渡せるかも」
「えっ……そ、そうかい。凄いね…」
信頼のなせる技ですよ、と笑ってみせる。オルカさんはしげしげとそれを眺めた後に、もう一度こちらに礼をして軍基地の方向へと向かっていった。
軍基地はデカくて目立つから迷わないよと、オルカさんに道案内を断られしまったのだ。……こちらとしても早くシイに会いたかったから、好都合ではあるけれど。
大きな背中を見つめながらしっかり腕の中のバウムクーヘンを持ち直して、帰宅した後のことを考える。
シイと零くんはバウムクーヘン好きかな、食べきれる量だと良いんだけど、なんて。
(…そういえば、なんでバウムクーヘン?)
何か特別な意味でもあるのだろうか、と首をかしげる。俺はバウムクーヘンが好きなわけでもないし、特に身内の話をした覚えもないのに。彼は彼で、不思議な人だ。
「…ま、嫌いでもないしいっか」
その後帰宅して、シイから今日がホワイトデーあること、バウムクーヘンは「幸せが長く続きますように」という意味があることを教えてもらうことを、俺はまだ知らない。
fin.