公開中
1-3 クリスとティナ
意識がゆるやかに浮上する。休息を取っている体に覚醒を命じ、俺は体を起こした。
こつ、と靴が床を打つ音が響く。
――目覚めて最初に目に入ったのは、白い壁だった。ずっと見ていれば頭が痛くなってきそうな白。
視線を動かすと、天井や床も白いのが分かった。
「んぅ……」
俺の横で寝ていたティナを起こす。
ティナは目をゴシゴシ擦った。
「おはようございます……」
ぱちぱちと瞬きし、目を開く。その瞬間、ティナの纏う空気が一気に変わった。
俺の顔を見て、即座にリアムを起こしにかかる。
「起きてください」
ティナの声で、リアムは飛び起きた。ティナを抱えて後ろに下がる。
「君は……」
リアムが話そうとしたところに、
『おっはよーございまーす!』
少女の声が割って入った。何らかの機材、または魔法を用いているようで、姿は見えない。
『いやぁ、さすが邪神を倒した存在! 私も魔法には自信があるんだけどな……すぐ目が覚めてしまったようで!』
邪神を倒した、という言葉に、リアムとティナが目を丸くする。
『そして英雄サマと聖女サマ、これからよろしく!』
英雄……リアムが英雄と呼ばれるのには納得がいく。街全体がにぎわっていたしな。
聖女。ティナが聖女か。確かに、あの主神への祈りは堂に入っていた。
「で、用件は?」
いつもなら無駄話に付き合っているところだが、今は違う。少女の使う魔法に、俺はまんまとやられた。|抵抗《レジスト》できなかったのだ。ふざけていると取り返しが付かなくなる。
それに、なんとなくコイツの声を聞いているといらつく。
『もっとゆっくりしても良いんだよ? まあ、話が早いのはこっちとしても嬉しいけどさ』
少女がぶつぶつと文句を垂れる。
『さて、人間界を襲っていたモドキ……キミたちの言うところの魔獣は、私たちがけしかけていたというのはみんな知ってるよね?』
リアムとティナが険しい顔でうなずく。俺は知らなかったが、それっぽい顔をしてうなずいておいた。
『キミたち人間は、その理由を人間界の侵略のためだと考えてるみたいだけど……違うよ』
少女が断定する。
『全ては、こうして「適合者」を探すためさ』
適合者といっても、そんなに特別な存在じゃないんだけどね、と少女が付け加える。
『ここは魔界だ。キミたちは、ここにいるだけで魔力を取り込む。抗うことはできない』
ティナが顔面蒼白になる。
『何日か経ったら、私たちの仲間の出来上がりさ。私たちの目的とか、そういうものについては、仲間になった後に話そうか』
ふむ。魔界の戦力の増強が目的か。一体何と戦うつもりなのやら。
『何か質問ある?』
質問を求める少女に対し、リアムが吼える。
「ふざけるな! 俺は絶対に屈しない!」
『あっそ。どこまでそれが続くか、見ものだね』
少女は冷たい声で言った。
『さ、キミたちはここから出られないこと以外は自由。何か欲しいものがあれば、適当に言ってね。用意するから』
それまで弾丸のように話していた少女の声がしなくなった。
静寂が耳を刺す。
重たい沈黙の中、ティナがおずおずと口を開いた。
「地獄の封印が解けて……邪神を倒した? 説明、お願いしても良いですか?」
「説明も何も……そのままだよ。それと、ここには俺とリアム、そして敵しかいない。『聖女』を演じるのをやめても良いんじゃないか?」
ティナの碧眼が揺れる。ちょうど、喫茶店を飛び出した時のように。
「っ、何を言って……」
初対面の俺相手の時と、民衆や親しいリアムが相手の時。それぞれで言葉遣いや雰囲気が異なっていた。普通は、初対面の人間や不特定多数の人間を相手にする時に敬語になるものなんだけどな。
「……それは俺も気になっていたことだ。論点をずらすのはやめてもらおうか」
ありゃ。論点ずらしと認識されたか。
「地獄に封印されていた奴は全員俺が喰った。外に出るためにな。邪神だって例外じゃない」
リアムとティナが息を呑む。俺に圧倒されたように。
「っ、クリス、こいつは危険だ」
リアムがティナに声をかける。
「なあ、ずっと思ってたけど、『クリス』って、どういうことだ?」
これは純粋な疑問。クリスもティナも愛称なんだろうが、なぜ使い分ける必要がある?
「初対面の時から、あなたが信用できなかったからよ」
信用ねぇ……。それにしては、モンスターの襲撃を察知して知らせてくれたりと、優しいところもあったみたいだが。
俺は思ったことを口に出さずに飲み込んだ。これ以上場を乱すべきではない。
「邪神の使徒ノル。あなたを、主神の使徒――聖女の名の下に滅ぼします」
ティナが瞳を燃え上がらせる。リアムが剣を抜いた。没収されていなかったのか。
いずれこうなることは予想していたが、早すぎる。
リアムとティナを転がすのは簡単だ。戦闘開始と同時に踏み込んで、手刀を叩き込めば良い。
『あ、一つ言い忘れてた』
少女の声が、張り詰めた空気に割り込む。
『よっぽど派手にやらなければ、けんかはご自由にどーぞ』
けんか。そう言われると、今から起ころうとしているものが幼稚なものに見えてくる。
『あだっ!』
少女が声を上げる。
『うちのダイナが失礼した。研究所内で暴れるのはやめてくれ』
ダイナと呼ばれた少女の代わりに、落ち着いた声の男が俺たちに声を届ける。
「やるか?」
先ほどの言葉をまるっと無視し、ティナに問いかける。
『あ!? 本ッ当にやめてください! 君が全力を出せばここはすぐ崩壊してしまう!』
男が必死に訴える。
今話したいのは、お前じゃない。というか、俺がそう簡単に全力を出せないと知っているから、ここにティナたちと一緒にぶち込んだんだろうが。
俺は男の声を努めて意識から排除し、ティナの目を見据えた。
ティナはしばらく悩み――やがて、口を開いた。
「今はやめておきます。あなたが本気を出せば、私如き一撃でしょうから」
「賢明だ」
リアムは俺たちの会話に入ってこなかった。
リアムを横目で見る。リアムは口を開こうとしては閉じていた。会話に入るタイミングが掴めないのだろう。
ただ力があるだけのガキに何か言われるのも嫌だ。
「今は協力しましょう。……リアム? どうしましたか?」
ティナが会話に入ってこないリアムに声をかける。リアムは体を震わせた。
「あ、ああ……正直気に食わないが、戦うのはここから脱出してからでも良いだろう」
リアムが返事を絞り出す。
「聖女クリスティーナの名にかけて、ここに存在する魔法使い及び魔獣を滅ぼします」
クリスティーナ。クリス。ティナ。なるほどね。
主神の勢力はずいぶんと魔法に関する存在を敵視しているようだ。自分が創った世界の存在だろうに。
「まずは」
ティナが跪き、主神に祈りを捧げる。
待て――俺も対象に入っているならまずい!
「ぐっ!」
主神の力が俺を侵す。邪気が俺には扱えない純粋なエネルギーになっていく。存在が消えていく感覚。
「魔界の魔力から身を守る加護を――大丈夫ですか!?」
苦しんでのたうち回る俺を見て、ティナが駆け寄る。
「それを、解いて、くれ……うっ!」
「加護ですか?」
ティナが祈るのをやめると、俺に流れ込んでくる主神の力は収まった。
「ごめんなさい。あなたが邪神に類する者なら、こうなることも考えておかなければなりませんでした」
ティナが俺に頭を下げ、リアムのみに加護を授けた。
「どうする?」
リアムが言った。何について言っているのか分からないが、会話の流れからして脱出方法についてだろう。
「壊そう」
邪術が使えれば一発だ。まだ解析が完了していない魔界由来の物質でできているため、邪神の権限は使えない。
「今は無理だが」
今の俺が邪術を使うための条件がある。夜になることだ。月さえ出ていれば、たとえ室内だろうとどうとでもなる。
月が昇るまで後少し。具体的に言えば二時間。なんとなくそんな気がする。
「よし、部屋の調査を済ませてしまおうか」
リアムがそう言い、部屋の中を歩き始めた。靴が床を叩く音が、規則的に響く。
真っ白なベッド、何を置くか分からない白いシェルフ、天井全体に設置された照明。病的なほど「白」で埋め尽くされた白い部屋。
だが、いくら探しても出入り口は見当たらなかった。
出入り口が魔法で隠されているのか、それとも出入りは魔法で行うのか。魔法を使えない俺たちがここから出るには、やはり部屋を破壊するしかないようだ。
「さ、出るまでゆっくりしよう」
月が昇るまでほんの少し。仮眠を取ってから、脱出といこうじゃないか。