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海の描写(前)
※こちらは前編です。前編だけで約4,000字あります。注意してください。
『海の描写』 名前:さい藤 |偉大《だいや》
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期末テストなんて消えてなくなればいい、みたいな気持ちを抱えながら、僕は勉強机に向かわなくてはならない。あと二か月もすれば今年……二〇二×年が終わり、その三か月後に中学生としての卒業を迎えなければならないから。
机には学校で配られた原稿用紙が雑に置かれている。もうすぐ卒業するから、今から卒業文集を書けと先生たちに言われている。これに向き合うために僕はここ数か月、頭を抱え続けている。
この真っ白な原稿用紙を見ていると、ああ、ほんと、と思ってしまう。ああ、ほんと、先輩たちは本当にいい学校生活を送ってきたのだろうなって。
入学式に始まり、授業参観、文化祭、合唱コンクール、修学旅行。校外学習もあるし、生徒会云々もある。
書く|テーマ《もの》がありすぎて、逆に選別に時間がかかるはずだろうに。これで、
「卒業文集なんて書くのめんどくせー」
とか思っていたら、それは怠惰かつ無能な人になるだろう。将来性のない、親の金を頼りにするニートのような、きっとろくでもない人生を送るはずだ。
こっちはそれら上げたものも含めてすべて、『本当にすべて』が新型コロナウイルスという不確かなもので、開催どころか経験さえできなかったんだから。
ただ、これはちょっとしたチャンスなのかもしれない。こういうものを書くとき、僕は〝普通〟のものを書くべきではないと思っている。教科書に書いてあるありふれた例題のような、そういった平凡の|極致《きょくち》と呼ばれるものをこなして、どうだと人に見せびらかすようなことはしたくない。
僕たちには特例措置として学校以外の、課外のことでも書いてもいいと言われている。この三年間、通学日数とそうでない日数とを比べると、後者の方が長かった気がする。それだけ先生たちにも分かっているわけだ。
だから、と目線を学区内から外にやると、書くものが見えてきた。これから僕はそれについて書こうと思う。
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その頃は丁度今日のようなぽかぽかとした天気だった。四月。季節はもちろん春で、普通なら入学式があったり、五月には運動会が行われたりするだろう。
けれど、やっぱり雲の上から見下ろすような暗雲のごとくコロナが流行していた。僕たちにとってそれはまさしく普通であり、〝異常事態〟であり。だから政府は全国一斉休校の最悪手を平然ととった。
これのせいでまた僕たちの学生生活は休日に変換されるんだ、この紙に向き合っていると気が狂っていく。
僕は大量に出された宿題に悪態をつきつつ、春休みの宿題をいやいやこなしていた。始業式の数日後に再びそうなったので、春休みの宿題が追加されたのだ。
休校期間は二週間だけで終われ!――という僕たちの願いは叶わなかった。ぼーっと眺めるだけの無対策に近い待ち時間は、三週間、一か月、とうとう二か月と過ぎていって、ああ、僕たちの青春ってなんて暇なんだろう、と毎日そんなことを思っていた。
お偉いさんが口酸っぱく言う「なるべく外出しないように」と警鐘を打ち鳴らしても、別にコロナにかかってなかったので、僕はひとり旅のような外出を何度もした。
○×駅にある複合商業施設「アミュウ」はあししげく通った。あそこは展覧会があるし、ブック〇フもある。一生時間がつぶれる……だなんて最初の頃は思っていたけど、二か月も休校にされるといつもの棚は読んだものばかりになってしまい、ブック〇フなのに《《読みたい本》》ねーじゃん!――みたいになった。しかたなく、ほかの階に足を運んだ。
三階、四階には服や文房具、カレンダー、手帳などいろいろなものがあって、その片隅にはゲームソフト群もある。
けれど、買うお金がないから見てるだけ。百均ショップにある卓上カレンダーと同じように、フロアに突っ立っているだけ、見てるだけ。そんな暇で暇でしょうがなかった時の話だ。
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「アミュウ」は九階だてで、うち七階には静かな会議室がある。普段は無料開放されて図書館の勉強スペースのように自由に入室することができるのだか……
--- 「文章を書くとは何だろう? 講師:○○」 ---
どうやら今日は無料講習会が開かれているらしい。僕の持っていたカバンには律儀にも数学の宿題プリントがあったけど、そのまま帰るのも何だか負けた感じがする……。ということで、その講習会に参加してみた。
多分この日は金曜日だったか。参加は無料で、第五回と銘打っている。名目は「文章で説明するとは何か?」だった。
「文章で説明する」「それは何か?」だってよ、僕は少しバカにした感じで中に入っていった。
受付を済ませると数人の人がすでに座っていた。よくある長机が横に置かれていて、パイプ椅子が収められているタイプの並び方。
密を防ぐためなのか、三席あるはずの長机には一人しか座っていない。中央だけ、とか壁側だけという風に規則性などなく、埋まった席はまばらなので、大学生の授業ってこんな感じなのかなという想像をした。
ただ、参加している人たちはどれも自分より年齢が高く、少なくとも十代はいない。二十代から四十台くらいの、オジサンオバサンクラスの大人の人たちだった。
十代は自分だけ。金曜日という平日に、こんなところにいるだなんて。定職についてなさそうに見えたので、あんたら普段何してるの?――と普通に思ったりした。
「まずは目隠しをしてください」
しばらくして講師の方は入ってきて、開口一番にそれをいった。
変なことをいうなぁ――と思ったけど、他の人たちはまるで洗脳でもされたようにアイマスクをとってつけている。しょうがないので僕もした。アイマスクは机の上にあった。
つけた途端、視界は真っ暗闇となる。当たり前だ、アイマスクはそんな風になるために着けるのだから。
「付けましたね。では、ちょっとしたゲームでもしましょう」
講師は若い女性だった。声だけが聞こえてくる。なんだか不思議な気分だ。深海のなかでスキューバダイビングでもしているような。身体が重たいのに、ふわふわした空間を耳だけが感じ取れるような。なんだか眠たくなっているんだけど、なかなか寝付けない、長引きそうな真夜中の感じがする。
そんな心地の良い思いをしていると、アイマスクの向こう側から何か、軽いものを振ったような音がした。
「聞こえますか。私はいま、『何か』を持っています。この『何か』ですが、何だと思います? 私が持っているものを当ててみる……というゲームです」
ふむふむ。と頷く。
「今から私が説明してみましょう。分かった人は答えてみてください。まあ、《《当てられないでしょうけれど》》……ふふ」
なんだか夜に住まう魔女の微笑みを連想した。そして話す。
「私が今持っているのは手の中におさまるくらいの大きさしかありません。A4用紙の半分の半分……はがきサイズを思い浮かべてください。
材質は紙です。硬い厚紙。本来はがきは縦に使うものですが、それを横に倒してみてください。
そこにはなにやら模様が描かれています。全体的に青系統の色が多く使われていますね。下半分はほとんど青で、上側も青……これは水色でしょうね。水色のなかに白いもやもやとした物体が描かれています。空に浮かんだ雲でしょうか。そうなると下側の青は何を書かれているのでしょう……。
そこに、一隻の船が浮かんでいます。横に停め置かれたものではなく、奥から手前側へ、斜め右下に突き刺すような形で進む構図の船があります。船の先端は右上、青色との接地点はその下側にありますね。
その船は小さなものですが、いかだのような、粗末なものではありません。白い船体で波に負けないよう、先端がとがっているタイプの、ベテランの船頭が中で操縦していそうです。
船の後ろ側。遠くには小さくなり、|楕円形《だえんけい》となった緑色があります。これは島でしょうか。そこから船は出発したのでしょう。遠景となるくらい離れた沖合の波に揺られ、白い船は照り返しの強い陽光を跳ね返している……。そう、下半分に塗られた青は、海を。『大海原』を示しているのです」
「あの」
一人がおずおずとした声をあげたみたいだ。「これ、何の説明、なんです? ただ単に、海の絵を説明しているようにしか聞こえないのですが……?」
「うーん、それだと『50点』しか上げられませんね」
そう女性講師は答えた。僕の頭に疑問の針が刺さった。
「まあ、当てられないでしょうけれど」と宣言していたにしては簡単で、『海の絵』以外に答えだなんて存在しないと思ったから。
続けて女性講師は言った。「だってこれは〝絵〟ではありませんから」と。
「続けますね。太平洋のように広大な海に浮かぶ一隻の船。その船の上にはある若者が立っています。船乗りでしょうか。
その青年はまるでその方のような身長で……あ。――多分僕を指したのだろう――アイマスクで見えませんね。すみません。
まるで子供のような笑みを顔に張り付けて、船の|縁《へり》に右足をかけ、豪快に引っ張っています。手に持った棒状のものを握りしめて、何かを引き上げようとしている。
あまりこの道具に知識は明るくないですけれど、握るところ……「グリップ」には糸を巻き取るための丸い器具が付けられて、そこから棒に沿うように、上に上にと糸は繋がって、ある部分に至ると鋭角に急降下するように海に落ちてしまいます。
その先には何があるのやら、そう思って目線を走らせてみると、糸の先、「針」に何かが引っ掛かっています。
……何だと思いますか?」
「魚、だと思います」
僕の頭が行き着いたのと同じ、平凡な答えが聞こえた。別の人が答えたのだろう。
「形は?」と講師は聞き返す。
「形、ですか……」
「ええ、魚ではなく、形。そこが重要なので」
「いや、普通の……本ガツオとか本マグロのような、よくある大魚で」
「そうですか。それだと〝20点〟になってしまいますねぇ」
さらに点数が低くなった。答えが遠くなったのだ。女性講師の少しあきれたような、それでいて喜んでいるような声色が入り混じっている。
「もう少し説明を加えます。
針の先にはあるものが引っ掛かっています。青年はそれを釣り上げようとしている。獲物はトビウオのように海上を飛び、下半分から上半分へと紙を移動して……そこで時が止まっている。今まさに、という風に。
さて、もう一度言いましょう。『私は何の説明をしているのか』」
今度は誰も答えなかった。
「……このように、相手に説明するというのはこんなにも難しいということです。
これは口で説明しましたけれど、これが文章として、つまり小説として書かれることになったらと想像してみてください。どう感じますか」
「……分からない説明だと思います」
「そう――では、アイマスクをとって『解答』を見てみてください」
見えない視界で物音が歩き回る。僕はアイマスクをとった。一気に光が息づいた世界がやってくる。
まぶしすぎて朝日を浴びたようだった。新しい日の光が、朝と共にやってきたように明るくて、それに目が慣れるやすぐ、目的のものはどこかと目は探そうとする。
まずは何度も目を|瞬《またた》かせて、それから女性講師の、にぎやかな色あいの服を見つけようとして……。その手を見た。
絵じゃなかった。何のことはない。というより見たことがあった。
手に持っていたのは、『百均ショップにある卓上カレンダー』だったのだ。
二度本文を読むと分かりますが、答えとなる単語は本文にしれっと登場しています。
後編に移ります。
https://tanpen.net/novel/6ef88b32-8b31-4724-b89c-d9e963e83340/