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16話 ケイトの望み
招かれても、ケイトはすぐに扉を開かなかった。マレウスの部屋と間違えたのだと思ったからだ。
だがここはディアソムニア寮ではなく、校舎だ。深夜に生徒がいる場所ではない。
ノックをした直後の姿勢のまま、ケイトは扉越しに問いかける。
「あの……マレウスくん……だよね?」
「ああ」
「なんでここにいるの? もう夜、ていうか深夜だけど」
「トラッポラに会うためだ。いまは僕の目の前にいる」
大きくあげそうになった声をこらえて、ケイトは小声で言う。
「やっぱり、そこにエースちゃんが……」
「いる」
「……先、越されちゃった」
「そうだ。お前は遅かった。……いや、当然だな。急ぐ僕に追いつくなど、お前には不可能なのだから」
やけに意味深な言い方だ。
嫌な予感がしたケイトは、続けて言う。
「エースちゃん、さっきから返事してくれないけど、寝ちゃってるのかな」
「僕が眠らせた」
「へー……子守唄でもうたってあげたの」
「ふふ……いずれはそれで寝入ってほしいものだ」
これ以上の腹の探り合いは無駄だと、ケイトは判断した。本題に入る。
「エースちゃんに何をした?」
「お前が望んでいたことをした」
ケイトはドアノブをつかみ、勢いよく押した。
花の匂いがひどく濃い。
うすぼんやりとした室内。強い光がなくても見えた光景に、ケイトは目を見開く。
「……は?」
掛け布団と服一式が跳ね除けられたベッドの上にいるのは、エースとマレウス。あお向けに眠っているエースの上に、マレウスがまたがっている。エースを見つめながら、エースの髪をかき分けるように撫でている。
エースは全裸なのに、マレウスは服を着込んだまま。どう見ても後輩の危機だ。だというのにケイトの目を惹いたのは、床に散らばる無数の花弁だった。
持っていたままの小型ライトが、床の花弁に向く。唾液でてらてらと輝く花弁が、ケイトの目を離さない。
扉がひとりでに閉まる音をよそに、ケイトはふらふらと近寄る。だがすぐに見えない壁に弾かれた。マレウスが張った魔法の障壁だ。
体勢をくずすほどではなかったものの、握力を瞬時に弱らせるほどの勢いはあった。
小型ライトがケイトの手から抜けて、ガシャンと落ちる。筒状のそれは転がっていき、テーブルの下に隠れた。
勢いを削がれたケイトは、ようやく部屋の全体に注意を向けた。
ベッドの下の床には赤と黒の花弁の海。平たい海の中に、白銀の花弁が小舟のようにポツンとある。ベッドの上にはエースとマレウス。エースの周囲には赤い花弁が、エースの裸体には赤い痕が、無数に散らばっている。
まるで事後のような様相だった。
自ら近寄っていたのも忘れて、ケイトは後ずさる。マレウスはケイトに視線をうつして、おかしそうに言う。
「僕を忘れさせないために、証を刻んでいるだけだ。つながってはいない。いまは……な」
いずれはつながると言っているようなものだ。
ケイトはまったく安心できない。警告する。
「強姦未遂も立派な犯罪だよ」
「……犯罪?」
不思議そうにマレウスはおうむ返しをした。ケイトがうなずけば、すぐに声を殺して笑う。
「犯罪。そうか。人間はこれを犯罪と言うのか」
「トーゼンじゃん」
「ならばお前も犯罪者だな」
ケイトはこわばる。
マレウスは冷たく笑ったまま、エースの上から退いた。除けていた掛け布団を魔法で浮かせ、隠すようにエースにかぶせた。
マレウスはベッドのふちに腰かける。床の花弁を踏む。棒立ちになっているケイトを見上げて、語り始める。
「お前には世話になったからな。説明を受ける義務をやろう」
「……」
「去年の占星術の授業で、僕は当時のクラスメイトに告げられた」
「……」
「恋を叶えるお告げだ。ダイヤモンドのクラスはなかったか?」
ケイトは思い出した。
二年生の頃に行われた、恋を叶える占星術。めったにない出会いのチャンスをつかめそうな気配に、当時のケイトのクラスメイトたちは食いついた。真剣に授業に取り組んでいた彼らの様子がおもしろかったし、ふだんは不真面目な彼らを真剣にさせたベテラン教師の手腕に感心したし、何よりケイトも楽しんだ。よく覚えている。なので去年の、恋の占星術の授業はそちらもあったのかと問いかけられれば、とまどいつつも「……あった」と答えられた。
ケイトがちゃんと質問に答えたからか、マレウスは満足気に続ける。
「お告げの内容は抽象的でほとんど理解できなかったが、まったく困らなかった。当時の僕は恋とは無縁だったし、告げてきたクラスメイト──実践パートナーがミスをした可能性もあったからな。……だが、トラッポラと出会ってからは、あのお告げを無視できなくなった」
「えっ」
黙って聞いていたケイトは反応した。気づいたままに言う。
「エースちゃんのこと……好きに……?」
「なった」
「おお……」
ほんの少しだけ、ケイトはときめいた。周囲の状況を思い出して、ときめきはすぐに霧散した。
口を挟まれても気にせずに、マレウスは続ける。
「いまはお告げの内容を理解している。恋を叶えるため、僕はお告げの通りに行動した。おかげで、こうしてトラッポラを……」
突然、マレウスは前かがみになった。
マレウスの口から、赤い花弁が吐き出されていく。床を彩る赤の面積がまた増える。
花を吐く祝福に、すっかり敏感になっていたケイトが叫ぶ。
「感染したの!?」
少し吐いただけで落ち着いたマレウスは「ああ……」とやや力なく答えた。
吐き出し終えたばかりの花弁を見てから、マレウスは言う。
「言ったはずだ。『お前が望んでいたことをした』と」
ケイトがこの部屋に突撃するきっかけになった言葉を、いまさらケイトは実感する。本当に、マレウスは感染したのだ。
ケイトは頭をかきむしる。少し髪型がくずれた。
「どんなお告げをもらったら、こんなことしようって思えるんだよ。いや、それより、なんでこの部屋がわかって……聞くまでもないか。マレウスくんなら、好きな子の魔力くらい探れるだろうし。ああ……だとしてもさ、放課後で会ったとき、なんで言ってくれなかったんだよ。そしたら……」
「そしたら便乗して、感染するのは僕じゃなくて……? それこそ、お前の望み通りになるだろう」
図星を突かれたケイトはこれ以上、抗議できなかった。
反対に、マレウスは続けて言う。
「勘違いしているようだから訂正するが、最初からトラッポラの魔力を探れたわけではない。なぜか僕は機械と相性が悪いようで、機械に邪魔されて、探れなかったんだ」
ケイトはハッとする。
「それは……イデアくんが……」
「シュラウドに機械を止めてくれと、お前が願ったおかげで、僕もトラッポラのもとに行けた」
──オレが動いたから、マレウスくんも動けるようになってしまったんだ!
マレウスはケイトが校舎内を捜索している間に、エースと接触していたようだ。
そして狙い通り、感染できた。
「ダイヤモンドよ。お前は僕の期待通りの働きをしてくれた。お前に任せたおかげで、すべてうまくいったぞ」
ケイトは低い声で言う。
「オレを利用したんだ」
「……そうなるな」
マレウスは眠っているエースを見る。
「僕はずっとトラッポラを見ていた。そしてお前もだ。『太陽』のダイヤモンド」
マレウスの視線がケイトにうつる。
「お前のマネができるほど、お前も見ていた」
「オレも……?」
「ああ。片想い仲間で、共犯者だからな」
ついにマレウスは、ケイトにとどめを刺す。
「僕が先にここにいなければ、お前はトラッポラの花に触れて、感染したのをいいことに、シュラウドに付け込んでいたはずだ」
完璧に言い当てられて、今度こそケイトは全身の血の気が引いた。
目の前にいるのは、目的を果たした男の姿。
ケイトがなろうとしていた姿。
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エースが花吐き病にかかった。
──両想いになれば、治る病気?
最初は純粋に心配して、どんな病気なのか調べた。
──これ、使えそう。
エースに会えない時が経つにつれて、欲が出てしまった。
──イデアくんを利用しよう。
あくまでも最終手段なのだと言い聞かせれば、もう止まらなかった。
──リドルくんに確認してもらったんだから、ネットに載ってた病気の情報は合ってるはず。
──これをスマホのメモに打って、イデアくんに見せて、印象づけさせて。
──そして、エースちゃんに会って。
──事故を装って、花に触って、病気をうつしてもらって。
──イデアくんを脅すんだ!
──オレを好きにならないと、オレを見殺しにしちゃうよって!!