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INIでいたいよ…
「……一日だけでいいんです。みんなと、旅行に行かせてください」
診断が下りたあの日、俺は事務所の社長に泣きついた。
突然告げられた『急性リンパ性白血病』という病名。頭が追いつかない中で、俺が最初に考えたのはINIのことだった。今が大事な時期なのに、俺の病気でグループの勢いを止めたくない。同情の目で見られたくない。
「『ダンスを極めるために、しばらく海外へ留学する』って、メンバーにはそう伝えてください。あいつらなら、俺がストイックに上を目指してるって言えば、納得してくれるから」
社長は苦しそうな顔で俺を見て、静かに頷いてくれた。明日からは、あの白い病室での隔離生活が始まる。だから、これが人生最後の景色になるかもしれないから。どうしても11人の思い出が欲しかった。
「留学前の思い出作り」という名目で、急遽決まった11人の弾丸旅行。メンバーは「急だな!」と笑いながらも、大はしゃぎで車に乗り込んだ。
隣でハンドルを握る柾哉が、バックミラー越しに俺を見る。
「洸人、なんか今日元気なくない? 緊張してんの?」
「バカ言え、楽しみすぎて寝不足なだけ。ほら、フェンファン、次の曲かけて」
窓の外の景色を見つめながら、必死でいつものトーンを保つ。だけど、車内の冷房がやけに体に染みて、肺の奥がジクジクと熱を持っていた。
夜になり、宿のテラスでバーベキューをした。
肉を焼き、ふざけ合い、笑い声をあげる10人の姿。愛おしくて、眩しくて、涙が出そうになる。この輪の中に、俺はずっといたい。
「あ、俺、ちょっと飲み物取ってくるわ」
胸の奥からせり上がってくる強烈な不快感に耐えかねて、俺は席を立った。
誰もいないキッチンの勝手口から外へ出て、暗闇に紛れる。その瞬間、堪えていたものが一気に決壊した。
「っ、げほっ……ごほ、ごほっ……!」
激しい咳が止まらない。肺を引きちぎられるような痛みに、膝から崩れ落ちて地面に手をついた。呼吸がうまくできず、ヒューヒューと喉が鳴る。口の中に広がる、鉄の味。
「はぁ、っ、ごほっ、げほっ……!」
「……洸人?」
突然、暗闇に声が落ちてきて、心臓が跳ね上がった。
振り返ると、そこには心配そうに眉をひそめた柾哉が立っていた。手には、俺が忘れていった上着を持っている。
「お前、その咳……大丈夫? 風邪とかのレベルじゃないだろ」
柾哉の目が、暗がりの中でも鋭く俺を値踏みするように動く。
「あ、いや……肉の煙、吸い込んじゃってさ」
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。すかさず柾哉が俺の腕を掴んで支えた。その手が、俺の腕の異様な細さや、異常な熱さに気づいたように一巡りして、ピクリと強張る。
「留学って、本当に対策のためだけ?」
柾哉の声は静かだったが、リーダーとしての、そして戦友としての鋭い疑惑が籠もっていた。
「お前、俺たちに何か隠してない?」
「隠してねぇよ、大袈裟だな」
掴まれた腕を振り払う。笑ってみせようとしたけれど、引き攣った笑みしか浮かばなかった。
目の前にいるのに、もう届かない。このぬくもりから、俺は明日、強制的に引き離されるんだ。柾哉のまっすぐな視線が痛くて、俺はそれ以上、何も言えずに目を逸らすしかなかった。
翌日、旅行が終わると同時に、俺の本当の孤独な戦いが始まった。
予定通り「ダンス留学」として発表され、俺は病院のベッドの上にいた。
容赦なく進行する病状。抗がん剤の副作用で、髪は抜け落ち、まともに立つことすらできなくなった。前を向こう、もう一度ステージに立つんだと、必死に自分を奮い立たせるけれど、現実は驚くほど簡単に俺の覚悟をへし折っていく。
スマホを開けば、メンバーから毎日のようにメッセージが届く。
『洸人くん、どこのスタジオにいるの?』
『置いていかれないように、俺たちもダンスめっちゃ頑張ってるわ』
画面が涙で滲む。
ダンスを極めるため、なんて大嘘だ。今の俺は、ステップを踏むどころか、自分の足でトイレに立つことすら必死なのに。
画面の向こうでは、10人が俺の居場所を守るように、必死で汗を流して踊っている。フォーメーションの、ぽっかりと空いた俺のポジションを見るたび、胸が引き裂かれそうだった。
嘘をついたのは自分なのに、本当にみんなから置いていかれるような、世界に一人きりになったような恐怖が押し寄せる。病気は待ってくれない。進行していく身体は、もう言うことを聞いてくれない。
「はは、何がダンスだよ……」
お見舞いに、と社長がこっそり届けてくれた、みんなが書いた寄せ書きのアルバムを開く。そこには、あの旅行の日に11人で撮った、眩しい笑顔の写真が貼られていた。
あの夜、柾哉は何かを察していたのかもしれない。それでも、俺が「隠してない」と言い張ったから、信じて待とうとしてくれている。みんな、俺がもっと強くなって帰ってくるのを信じてる。
だけど、もう限界だった。綺麗事なんてどうでもいい。格好悪くてもいい。
「嘘だよ……行きたくて行ったんじゃない……」
誰もいない静まり返った病室で、俺はスマホの写真に映る10人の笑顔に向かって、ぽろぽろと涙をこぼした。
神様がいるなら、ダンスの才能も、これまでの人生も全部差し出すから。
お願いだから、あの場所に帰らせてほしい。
「戻りたい……みんなのところに」
掠れた声が、点滴の機械の電子音に混ざって、暗闇に消えていく。
「INIでいたいよ……。俺、まだ、INIの西洸人でいたいよ……」
叶うはずのない本音が、静かな病室に冷たく響き渡っていた。