公開中
3-1 転換
「おはよう、ノル」
「ああ、ルーカス。おはよう」
互いに朝の挨拶を交わす。本来ならそこに雑談が続くのだろうが、
「早速だけど、本題に入る。ノル、僕と一緒に魔界に来てくれないか。昨日の魔法研究の資料の件で、調査したい場所がある」
研究内容以外で、何か分かったのか。早いな。研究者本人に結びつく情報が出てくれば良いが。
そんな内心をおくびにも出さず、俺はたった一言、
「分かった」
「すまない、こんな朝早くから」
「別に。今日は早くに目が覚めたんだ」
ルーカスが申し訳なさそうに眉を下げ、
「外で待ってるよ」
扉が閉められた。
空間が歪み、転移は問題なく発動する。
俺たちは、魔界の土を踏んだ。
「邪魔が入るといけないから、結界を張らせてもらうよ」
ルーカスは言葉を言い切ってすぐ、世界への干渉を始めた。
「待て、」
焦りが小さな声で言葉になり、外へ出る。ルーカスは止まらない。俺の声が聞こえていないかのように。
何かがおかしいと思っても、もう遅く。
結界が成立し、内と外が隔てられる。空間の固定は堅く、力づくでは破れそうにない。解析し、丁寧に解除していく必要がある。
俺はルーカスの真意を理解し、ひとまず距離を取った。
「それが君の……いや、何も聞かずに決めつけるのは良くないね」
ルーカスはまっすぐな目を俺に向けた。しかし、それは仲間に向けるものとは決定的に何かが違う。
「僕の話に付き合ってくれるかな?」
確認の形式ではあれど、ほぼ命令に近い問い。何も分からないまま行動するほど愚かなつもりはない。
俺は小さくうなずいた。それを見て取ったルーカスは、
「ありがとう。それじゃあ、ノルと初めて会った時の話から始めようか」
ルーカスの意識が会話に逸れたのを見計らって、俺は結界の解析を試みる。気づかれないように、少しずつ。ゆっくりと。
「あの後、僕は研究所に戻った。調査を進める中で、誰かが僕たちのものと似た力を使ったことに気づいたんだ。痕跡がたくさん残っていたからね。あの時は、アシュトンの追跡を優先したけれど」
ああ、痕跡が残っていたか。今まで、いかに速く、正確に、大規模に発動するかしか考えてこなかった。
痕跡の隠蔽――これができれば、活動の幅も広がるだろう。
結界の解除は難しそうだ。
俺に解除されないのはもちろん、ルーカスにすら解除できない。抜け道がないのだから、結界はその分強固になる。
「僕たちはなるべく痕跡を残さないようにするから……やったのは、ノルかアシュトンだと思ったんだ」
その時はまだ確信していなかったはずだ。しかし、今こうなっているということは、あれから別の証拠を見つけたということ。
詰めが甘かったか。
次はやらないように、ここで全ての原因を特定しなければ。次があるかはともかく。
結界に限らずどんなものでも、リソースには限りというものがある。全ての機能をまんべんなく高い水準で実現するというのは非現実的だ。
全てを一ずつ上げるより、何かを大きく削って他のところを上げることの方が簡単だ。
これだけ強固な結界を一瞬で組み上げるというのは、並大抵のことではない。速さのために、確実に何かを犠牲にしている。それがこの結界の弱点だ。
「訓練場で会った時のこと、覚えてるかな?」
俺は答えない。ルーカスも答えが返ってくることは期待していないのか、すぐにまた口を開いた。
「あの時、力を使っただろう? 変な感じがしたんだ。あの場は気づいていないふりをしたけれど……昨日、君が自由に動けるようにして確認したんだ。日中は何もしなかったようだけど、夜に動きをみせた」
そろそろルーカスの話が終わる。
結界の弱点を見つけなければ。
展開速度――高速。
結界強度――鉄壁。
干渉防止――複雑。
物理耐性――高め。
持続時間――不明。
エネルギー効率――非常に高い。
ところが、どれだけ調べても弱点らしきものは見つからない。
こうなったら、少しずつ結界の解析をして解除していくしかない。結界の解除ばかりにかまけていたら戦闘に支障が出るから、解除にかかる時間はさらに長くなる。
「あの月。赤かったね。普通じゃ見られない色だ。何をしたんだろう? でも、君は僕たちに隠れてやっていた。なら、良くないことだと思っているんだろうね」
柔らかい声で紡がれる言葉は、どこまでも冷たい。
結界の解除は――未だできず。
式の数が多い。式が複雑に絡み合い、始まりと終わりを隠す。解析するのにも一苦労だ。
「はっきり言おうか。君は、邪神とどんな関わりがあるんだい? 場合によっては、力づくでも聞き出す」
ルーカスが剣に手をかける。
目つきは鋭い。俺の一挙手一投足を見逃さないようにしているかのように。
対話による和解は不可能。もう、ルーカスのスイッチが入ってしまった。
事実を話すのは論外。俺の目的からして、ルーカスたちと敵対するのは目に見えている。
かといって嘘をつくと、嘘がバレた時にまたこうなる。そうなった場合も、戦闘に一直線だ。
どの選択をしても、戦闘になるのは避けられない。
俺は邪気を魔力に変換し、戦闘態勢を整えた。
ルーカスが目を丸くする。
「その魔力、どこに隠して――いや」
剣が引き抜かれた。
「全部、力づくで聞かせてもらおう」
次回予告。
本気のルーカスに、邪術を使えないノルはだんだん追い詰められていく。
そんな戦いの中で、ノルは新しい力に覚醒した。
3-2 力の名は