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MISOSOUP
おしゃれしか重視してないガラス張りのテーブルに置かれたメモを見つめていた。
『今日も遅くなるから温めて食べてね。
味噌汁は鍋に入ってるからちゃんと火をかけるのよ。
ふりかけ・調味料は使っちゃだめよ。修ちゃんのためでもあるんだから。
じゃあお留守番よろしくね。』
母は管理栄養士である。主食・主菜・副菜・汁物4品全部揃った規則の良い夕飯をレンジで温める。
父は秘書で誰よりも早く出勤して誰よりも遅く帰宅する。
僕は一度も父親と食卓を囲んだ事がない。
特段家族の仲が悪い…というわけではない。
小学生の頃は僕に気を使って母親が夕食を一緒に食べてくれた。
流石に中学生になったらそれも無くなったが。
最初は寂しいとも感じたがテレビを見ていたらそれすらも無くなっていった。
そうだ。テレビ見よう。
テーブルの先にあるリモコンを取ろうと腕を伸ばした拍子に味噌汁をこぼしてしまった。
火にかけてから少ししか時間が経っていないため火傷をするまでもなかった。
机から、汁とともに大根が落ちる。わかめもずり落ちる。
ピチャ、ピチャとかすかな音を立てて落ちるそれについ目で追ってしまう。
床に落ちた大根は、そこから移動することはなかった。ただ、少し湿っているように見えた。
僕は――僕はそれに性的興奮を覚えたんだ。
誰にも助けられず、落ちてしまった具材。湿った床。
落ちてしまって尚、誰にも拾われない。救われない。
人間が落ちてもきっと僕はこんな気持ちには襲われない。植物だからこそ、この気持が芽生えるのだ。
ガチャッ
玄関の扉が開いた。きっと母親が帰ってきたのだ。
「修ちゃんただいま。」
「ママごめん。せっかく作ってくれた味噌汁、こぼしちゃった。」
「火傷はしてない!?大丈夫!?」
「僕は大丈夫だけど…味噌汁が…」
「そんなのどうだっていいわ。味噌汁なんてまた作ればいいのよ。
修ちゃんが大丈夫ならママは安心よ。」
「ごめん。ありがとう。」
「ママもこれから夕食だから新しい味噌汁を注ぎましょうか」
「ありがとう。じゃあ溢しちゃったやつ片付けておくね。」
「助かるわ。修ちゃん。じゃあちょっとまっててね。」
キッチンに干してあった布巾で汁を拭き、テーブルに置いてあったティッシュで具材を拾った。
僕の足の下に大根が合ったが、隠すためにも踵でまだ湿ったそれを踏み潰した後、ティッシュで拭った。ヌルヌルとした感触。それもまた快感だった。
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学校給食では毎日汁物が出る。そりゃそうか。だって不健康な食事を出したらどこぞのクレーマーに怒られるだろうからな。そんなに子供に期待してニートになったらどう落胆するのだろう。
子供の本質を引き出したいのなら放置。結局これが一番。…なんてどこかの子育て応援番組みたいに語ってしまった。
「修馬君?お盆持ったなら前に進んでよ。」
「…あっ…ごめん。」
くだらない事を考えていたら足を止めてしまった。
できれば、味噌汁を眼中に入れたくない。だって勃起してしまうんだもん。
面倒くさい思春期野郎には囲まれたくない。そういう地位は求めてない。
人間となんて浅く広い付き合いで充分なのだ。
頼む…誰も味噌汁をこぼさないでくれ。…と言いたい所だが生憎僕は配膳台係だ。
中学生の配膳なんて汚い。お玉で掬って、食器を片方の手で持ち傾けよそうだけなのに。
よそう人はいいだろうけどそれを拭く方の立場の事も考えてくれ。
…人の吐瀉物でもこういう感情は生まれるものなのか。
口から溢れたもの。あの時落ちた味噌汁とおんなじようなものだ。
誰も触れない汚物、落ちたゲロ。湿る床。
想像するだけでも胸が高鳴る。
「…馬?修馬?修馬!」
「うわっ。…なんだよ弘生か。うるさいな。」
「修馬ワールドに入り浸るなって。ほら、帰るぞ。」
「あ…おう。急ぐわ。」
「なんか、ここ2日間の修馬ちょっとおかしいよなw」
「え?」
「何ていうか…修馬ワールドに入ってる時間が長えって感じ?w」
「修馬ワールドってなんだよw考え事が増えただけ。」
「悩んでるなら俺に話せよ。長年の付き合いだしよっ」
「ハハッやっぱ弘生って良いやつ。」
「あ…おう///ありがとな///」
「なんでそんな照れてんの?w顔赤いぞー」
「バッ…ベっ別に照れてなんかねーし!ほっほら帰るぞ!」
「…?おう」
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「あの…さ、ちょっと今言っていい?」
「なんだよw改まってw別にいいけど…」
「俺、やっぱり修馬が好きだ。」
「…は?」
「男同士でキモいかもしれないけど、やっぱり修馬が好きなんだ。今わかったんだ。」
「…俺は、男とか女とか、性別はどーでもいい。だけど、愛とか好きとか良くわかんない。誰かを好きになる事も誰かを本気で好きになる事も俺にはよくわかんない。そんな中途半端に付き合ったって、弘生が苦しい思いをするだけだ。だからこれからも親友の関係でいいんじゃないか。」
「…そうだな。やっぱり修馬は修馬だ。こんな時期に行っちゃってごめんな。
大学受験…絶対合格しろよ。」
「あぁ。もちろん。」
僕が最後に見たのはこの寒空に顔を赤く染めて笑う姿だった。
弘生は…死んだ。弘生は誰よりも早く登校してくる。それを利用して、弘生は飛び降りた。
南校舎の、4階から飛び降りて。悲しい、そんなんじゃない。なんで死んだのか…疑問が浮かんでくる。
あの日の自分に自殺は止められたんじゃないか…悔しさが浮かんでくる。
自殺の原因となった人物は誰だ…殺意が湧いてくる。
「弘生が死んだのって…絶対麻澄のせいだよな。」
聞き捨てならないセリフがいくらか僕を現実世界に連れ戻した。
「今の…どういう事?」
「あれ?修馬知らないの?あぁ、あの掲示板修馬知らないのか。」
「掲示板?」
「この学校の生徒のみが閲覧できる闇裏サイト的なもんだよ。」
「弘生結構それでつぶやいてて、一昨日だったかな。告白失敗したら自殺するって言ってたんだよ。」
「はぁ…?」
「で、弘生結構女と仲悪いじゃん?で、このサイト知らない女子っていうのが、麻澄と隣のクラスの英美子なんだよ。まぁ英美子とはあんま仲良くないから皆は麻澄だって噂してんだよ。」
「麻澄美人だしな。性格もいいし。唯一弘生と仲いい女子だったな。」
「まぁそれより、ここから落ちたって事が一番怖ぇよな。」
「竜登は現場見たのか?」
「あぁ。今日俺日直だったから早く来ないとって思って。でも弘生はいなくて、登校一番のヒロキが珍しいなぁ…っておもったけどまぁほっといて日直の仕事したんだよな。で、最後に窓を開けたらいたんだよ。そこに血まみれの弘生がな。」
「落ちた…って事か?」
「まぁ遺書も弘生の机に合ったらしいし自殺決定じゃね?」
「そうだな…」
弘生は…落ちたのか。4階から見る学校ってどんな景色だったろう。
恐怖?勇気に満ち足りていた?笑みを浮かべて自虐?それとも、時の経過に身を委ねたのだろうか。
落ちた後は、もう手遅れ。朝だったから、誰にも救われず誰にも発見されず、竜登が来るまであの寒空の中、冷たいアスファルトに身を投げた。
あの日溢した味噌汁。机からずり落ちた大根。誰にも拾われる事は無い。
昨日僕に溢した思い。屋上から落ちた弘生。誰にも気づかれる事は無い。
「っ」
背筋に何かが走った。電気のような衝撃。そう…ゾクゾクする。
味噌汁をこぼして、落ちた大根を見つけたあの瞬間だ。
弘生が死んだっていうのにこんな事を考えてしまう自分に腹が立った。
だけども、それを越す興奮だった。…この目で見たい。
落ちる瞬間を見たい。何が落ちても構わない。人だって、猫だって、食器だって、野菜だって。
この目で確かめてみたい。本当に落ちていくのか。
落ちていって、何も動かないのだろうか。あの大根のように。
滅多に、人が落ちるなんて事件見た事無い。弘生が死んだだけでこんなに大事になってしまうのだから
それほど頻度が低い。
「バレンタインのチョコ良いのなかった~」
「え~分かる!もうそろそろ季節なのにね。コーナー少ないよね。」
「無ければ作ればいいじゃん。美郷料理上手だし。」
「まぁね~。もうちょっと経ってもなかったら作るしか無いね。」
無ければ作ればいい…?そうか…死体が無いなら|作れば《落とせば》良いんだ。
これは私怨の殺人じゃない。僕のための、性的行為だ。もっと言えば、性的接触なんだ。
殺人じゃないんだからいいだろう。僕が逮捕される訳がない。
母だって、僕の事一番に考えてくれてる。言えば絶対理解してくれる。
準備ができたら、この学校で誰よりも早く来て、|落として《殺して》やろう。
僕はそれで、満足できるはずだ。
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ガタンッ
古びた扉が開けられる音がした。
「おはよう。」
「あっ修馬じゃん。早いじゃん。どした?」
「あぁ…ちょっと弘生の気分に、なってみたくて。」
「弘生の気分?」
「弘生は、死ぬ時どう思っただろう…って。
死ぬときの景色はどんなふうだったんだろう…って。色々考えたらい居ても立っても居られなくてさ。
朝はやく来ちゃったよ。」
「修馬…?弘生が死んで悲しいのは分かるが、考えすぎも良くないぞ。」
「でもやっぱり思うんだ。振られて辛いときに死の恐怖なんてなかったのかとかな。
もういっその事死んでしまおうか。」
「待て!早まるなって。」
竜登が窓際に近づいた。
そしてそのまま僕のいるベランダに足を踏み入れたその瞬間――
僕は、竜登の大きな背を強く押した。
「しゅ…修馬ぁぁぁぁ!」
ドサッ
…やっぱり、僕は好きだ。この瞬間が。背を押したその瞬間は何も感じなかった。
だけど、落ちた手応えが手に、体内に、脳に、伝わった時、僕はひどく興奮した。
あぁ…これが死なんだ。
僕は死というものを知らなかった。それが今、目の前で起きた。死は全ての始まりなんだ。
もう一度…もう一度この手で鼓動を感じ取りたい。指先から…全身へと。
誰だって、誰だっていい。男でも女でもそんなのどうだっていい。
殺人なんかじゃない。僕は…僕はこの手で作品を作り上げているだけなんだ。
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気づけば、僕の作品は数え切れないほどになっていた。
最初は一回の衝動が大きすぎて1日に一回しか出来ていなかったけど、その日常にもだんだん慣れ、いつしかそれだけではやっぱり物足りなくなってきた。
落とす。感じる。この永遠のループから抜け出せなくなって気づいたら廃人になっていった。
ニュースにもなっている。メディアは「猟奇的殺人犯」「✕✕市無差別連続殺人事件」と騒ぎ立てている。
僕がやっているのは、殺人じゃない。ましてや、犯人でもない。
僕は自慰をしているようなもんだ。犯罪なんかじゃない。
間違った事なんてしてないんだ。僕は――僕は正しい事をしているんだ。
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「最近この近辺で連続殺人が起こっているようです。なるべく集団で登下校するようにしてください。先生からは、以上です。」
学校まで…僕を殺人犯扱いするのか?
「連続殺人とかキモくねw」「キモイって何w」「殺す理由がわからん。」
「被害者が全員美人であってくれ…!」「イケメンでもいいけど…!」
僕は僕のためにやってる。理由なんていらない。なぁ、そうじゃないのか?
お前らがxxxをxxxxするように僕は人を落とす。
僕がキモいのならxxxをxxxxするのだってキモいじゃないか。
僕は作品を作ってるだけ。作品を侮辱するな!
犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない犯罪じゃない
作品がわからないのなら…分からせてやる。僕のこの手ではっきりと。
ポケットから取り出した粘土状の物質を拳ぐらいの大きさにとりわけ、教室のど真ん中の席に塗りつけた。丁度そこは休みの人で助かった。何か言い残そうかと思ったけど悪いのはお前らだ。
お前らがこんな結末にしたんだ。バレないように、そっとライターのスイッチを押し、微かな風に揺れる火をそれに近づけた。
僕も死ぬ。
作品を世間体から守りきれなかった罰として。
お前らも死ぬ。
作品を貶した罪として。
ピッという音とともに、一瞬で視界が白で染まった。
微かに向けた焦点は教室に倒れている人をぼんやり捉えた。
また、興奮してしまった。
最後に、大量の作品を見ることが出来て本当に良かったと思う。
弘生、死んでくれてありがとう。
お陰で僕は人が落ちる瞬間も良いという感覚を知ることが出来たよ。
xx、死んでくれて、ありがとう。