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私は京都の秘密を知りに行く 三話
京都の空は、まだ赤い。
だが先ほどより、わずかに薄れている。
表の一言で、崩壊は一時停止した。
しかし。
中央ホールの裂け目は、閉じていなかった。
黒い縦線が、静かに広がる。
空間が、ゆっくりと開く。
そこから――
“人影”が現れた。
長いコートのような輪郭。
顔は影に包まれている。
だが、目だけが赤く光っていた。
空気が重くなる。
雄も、周囲の生徒も動けない。
時間が、押しつぶされたように止まる。
『不完全覚醒。だが適性は確認できた』
声は、直接頭に響く。
表は一歩前に出る。
怖い。
でも、視線を逸らさない。
「あなたが……赤い光を?」
影は静かに頷く。
『世界は不安定だ。
記録は歪み、誤差が蓄積している』
空中に赤い光の層が浮かぶ。
京都の歴史の断面。
無数の時間の積層。
『修正が必要だ』
表の胸がざわつく。
「修正って……消すこと?」
『不要な誤差は排除する』
冷たい論理。
人も、街も、歴史も。
“誤差”なら消す。
影の子が強く光る。
黒い観測者は、表を見つめた。
『君は白の系譜。維持の観測者』
『私は赤。再構築の観測者』
空気が震える。
世界には、二種類の観測者がいる。
維持と再構築。
表は、初めて理解する。
これは偶発事故じゃない。
思想の違いだ。
「……京都は誤差じゃない」
静かに言う。
「人も、歴史も、消していいものじゃない」
赤い観測者の目が細くなる。
『感情は不要だ』
その瞬間。
赤い光が爆発的に広がる。
寺院の輪郭が再び揺らぐ。
表の足元の床が消えかける。
だが、今度は違う。
表の視界が開ける。
時間の層が見える。
存在の重なりが見える。
「ここは固定する」
触れる。
世界の縁に。
白い光が広がる。
赤と白が、空中でぶつかる。
衝撃。
校舎が揺れる。
赤い観測者がわずかに後退する。
『……成長が早い』
影は裂け目の前に立つ。
『だが未完成だ』
『次は止められない』
空間が閉じる。
赤い縦線が消える。
京都の空の赤も、ゆっくり薄れていく。
静寂。
崩壊は、再び止まった。
だが。
これは宣戦布告だ。
表は膝をつき、息を荒げる。
覚醒はまだ不完全。
力は足りない。
でも――
逃げない。
「私は……維持の観測者」
小さく呟く。
京を守ると、決めたから。
赤い空は薄れた。
京都は、ぎりぎり存在を保っている。
だが。
それは「見逃された」だけだった。
研究室の観測モニターに、新たな異常波形が映る。
「……関西圏外で赤色干渉を確認」
徹の声が低くなる。
モニターに浮かぶ地図。
赤い点が、ひとつ灯る。
それは京都ではない。
もっと東。もっと大きな都市。
東京。
表の息が止まる。
――戻ってきた。
あの街に。
赤い観測者は、場所を変えたのだ。
『実験は継続する』
あの声が、かすかに脳裏をよぎる。
京都はテスト。
本命は、観測者が生まれた街。東京。
同時刻。
東京の空に、細い赤い線が走る。
最初は誰も気づかない。
だが次の瞬間。
ビルの上階が、一瞬だけ透けた。
横断歩道の白線が、消えかける。
街の雑踏音が、わずかに遅れる。
赤い干渉は、静かに始まった。
京都校。
表はモニターを見つめる。
胸が締め付けられる。
東京には、月学がある。
先生がいる。
沙月がいる。
両親の記録が、まだ眠っている。
「……赤は、観測者を揺さぶってる」
徹さんが言う。
「維持の拠点を壊せば、継承は不安定になる」
つまり。
赤は、表を成長させるために壊している。
揺さぶり。
選別。圧力。
影の子が、不安げに揺れる。
――表、急がないで。
でも。
表の目は、もう決まっていた。
「私、東京に戻る」
空気が張りつめる。
「今度は、逃げない」
京都で止められた。
でも完全には防げなかった。
赤は、段階を上げてきている。
これは都市単位の実験。
次は、もっと大きい。
世界かもしれない。
窓の外。
京都の空は静かだ。
だが遠く、東の空に、かすかな赤。
戦場は移動した。
第二幕――東京再戦、始動。
その夜。
東京の空が、静かに赤く染まり始めた。
最初は夕焼けと見分けがつかなかった。
だが。
赤は消えなかった。
夜になっても、空が暗くならない。
不気味な紅が、街を覆う。
高層ビル群の窓が、波打つ。
道路標識が、ゆらりと歪む。
地下鉄のアナウンスが、一瞬だけ逆再生される。
時間が、ずれる。
交差点の信号が、存在ごと薄くなる。
「なんだよこれ……」
人々のざわめき。
だがまだ、誰も“崩壊”だとは理解していない。
京都校。
警報が鳴り響く。
観測モニターの赤が、爆発的に拡大する。
「干渉レベル、京都の三倍……!」
徹の声が震える。
表の血の気が引く。
――本気だ。
赤の観測者は、段階を上げた。
東京上空。
巨大な赤い円環が、静かに展開する。
それはまるで、都市を“選別”する装置。
円環が回転するたび、
ビルの上層が消える。
公園の木々が透ける。
街の雑踏音が、無音になる。
存在が、削られていく。そして。
月学の校舎の一部が、ゆっくりと透明になり始めた。
寮の壁が、向こう側を見せる。
時計台の針が止まる。
表の胸が締めつけられる。
「……やめて」
赤の声が、遠くから響く。
『観測者の拠点を検証する』
『維持がどこまで耐えられるか』
実験。
都市ごと。
表の拳が震える。
影の子が強く光る。
沙月の気配が、はっきりと怒りを帯びる。
その瞬間。
東京の上空に、黒い裂け目が開いた。
赤の観測者が、円環の中心に立つ。
巨大。
京都の時よりも、はるかに圧倒的な存在感。
『さあ、維持の継承者』
『選択しろ』
円環が加速する。
街の一部が、ごっそりと削れ始める。
東京全域、崩壊開始。
表は、立ち尽くす。
遠く離れているのに、
痛みが直接胸を刺す。
――私が行かなきゃ。
距離がある。力もまだ未完成。
赤の観測者が、ゆっくりと両手を広げる。
『都市一つ、維持できぬなら』
『世界など守れぬ』
東京の夜空が、真紅に染まる。
崩壊、加速。第二次東京消失、始動。
東京の崩壊が、加速していく。
赤い円環が回転するたび、
街の一部が削れ、音が消え、光が薄れる。
月学の寮の壁が半透明になり、
時計台の針が止まったまま動かない。
京都校・中央ホール。
モニターに映る東京の惨状。
表は、立っていられなかった。
「……間に合わない」
距離がある。
力も未完成。
跳躍する術も、まだ制御できない。
赤の観測者の声が、遠く響く。
『選別は進む』
そのとき。
空気が変わった。
温度が、静かに下がる。
影の子が、はっとしたように振り向く。
表の背後に、はっきりと“姿”が現れる。
音無 沙月。
今まで影のようにしか存在しなかった彼女が、
初めて前線に立った。
表が振り返る。
「……沙月?」
沙月の瞳は、静かで、そして決意していた。
「ごめんね、表」
優しく微笑む。
「本当は、まだ使うつもりなかった。」
京都の空気が歪む。
足元に、白と黒が混ざった紋様が広がる。
徹が息を呑む。
「まさか……“調停者”か……?」
表の心臓が跳ねる。
調停者。
維持と再構築、その中間に立つ存在。
沙月が、静かに両手を広げる。
空間が裂ける。
だがそれは赤の裂け目とは違う。
白と銀の光が、静かに回転する。
「私は観測者じゃない」
沙月の声は、強い。
「暴走を止める“均衡の楔”」
東京上空の赤い円環が、一瞬止まる。
赤の観測者が、わずかに目を細める。
『……まだ残っていたか』
沙月の力が、東京へと伸びる。
距離を無視して、直接干渉。
赤い円環に、白銀の亀裂が入る。
崩壊が、減速する。
完全停止ではない。
だが、明らかに弱まった。
沙月の額に汗が浮かぶ。
「長くは持たない……」
空間が軋む。
調停の力は、観測者よりも負荷が大きい。
赤の観測者が、静かに言う。
『禁じられた干渉だ』
『均衡は崩れるぞ』
沙月は微笑む。
「崩すのは、あなたでしょ」
次の瞬間。
銀と赤が激突する。
東京上空で光が爆ぜる。
崩壊は――
止まった。
だが。
沙月の体が、ぐらりと揺れる。
表が支える。
「沙月!」
沙月は、かすかに笑う。
「これで、時間は稼いだよ」
赤い空は、まだ消えていない。
だが今は静止している。
赤の観測者は、消える直前に言った。
『均衡が前に出るなら』
『次は本当に世界を揺らす』
東京は、辛うじて存在を保った。だが。
沙月は、力を隠せない。
均衡の楔、解放。
東京上空。
赤と白銀の衝突は、まだ空に残っていた。
崩壊は止まっている。
だがそれは――
沙月が、力を流し続けているからだった。
京都校・中央ホール。
沙月の足元の紋様は、ひび割れ始めている。
白銀の光が、不安定に揺れる。
「……もう、やめて!」
表が叫ぶ。
沙月は、静かに首を振った。
「均衡はね、ずっと“間”に立つ存在なの」
声は、少し弱い。
「維持も、再構築も、どちらかに傾いたら世界は壊れる」
東京の赤い円環が、再び動こうとする。
沙月の光が、必死に押さえ込む。
雁弥が低く言う。
「これ以上は、存在がもたない……」
表の胸が締めつけられる。
「沙月、やめて! 私が……」
「まだ完全じゃないでしょ」
優しい声。
いつもの、従姉の声。
「あなたが完成するまで、世界は壊させない」
赤の観測者が、再び姿を現す。
『均衡は長くは持たぬ』
沙月が、まっすぐ見返す。
「持たせるの」
次の瞬間。
沙月の光が、さらに強く燃え上がる。
東京上空。
赤い円環に、決定的な亀裂が入る。
ガラスのように砕ける。
赤い空が、割れる。
崩壊が、完全停止する。
だが同時に。
沙月の体が、透け始めた。
表の視界が揺れる。
「……え」
沙月の輪郭が、光になっていく。
均衡の力は、“自分の存在”を燃料にしていた。
「やだ……」
表が抱きしめる。
でも、腕の中の感触が、薄い。
沙月は微笑む。
「ごめんね。
本当は、ずっと隠して支えるつもりだった」
涙が落ちる。
「でも、あなたは一人でも立てる」
影の子が、震えている。
赤の観測者は、沈黙している。
世界は、静まり返っている。
沙月が、最後に言う。
「観測者は、守るだけじゃない。
信じることも、維持だから」
白銀の光が、静かに弾ける。
砂のように、粒子になって舞う。
表の手の中から、
沙月は消えた。
東京の空は、青に戻る。
京都の歪みも消える。
均衡は、世界を固定した。
代償に。
沙月という存在を失って。
中央ホールに、静寂。
表は、膝をついたまま動けない。
影の子が、そっと寄り添う。
遠くで、時計が動き出す音。
世界は守られた。
でも。
何かが、決定的に欠けた。
赤の観測者が、最後に言う。
『……均衡は消えた』
『次は、純粋な戦いだ』
姿が消える。
残されたのは、空虚。
表の涙だけが、床に落ちた。
均衡の終焉。
戦いは、新章へ。
続編。私は名古屋で秘密の謎を解き明かす