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10 形
第10話です。
関東地方のとある地域にこんな|奇譚《きたん》が伝わる。
大昔、天候を操る人形があったらしい――と。
その人形の名は「じゃらくだに」。
古典文献では「|邪羅苦蛇煮《じゃらくだに》」と書く。
「邪羅苦蛇煮」は当て字と見られており、「しゃらく谷」が訛ってこのような呼び名になったらしい。しゃらく谷に住む神様、ということで、しゃらく谷様。
「しゃらく」とは、その地方の方言で「恵み」を意味するのだが、今は使われておらず、歴史書にも地元の文献にも残されていない。ただ怪談話として、端書にてその単語が記されるのみである。
今は無き「しゃらく谷」があったとされる地方は戦国時代まで遡る。当時は「しゃらく谷」ではなく、単に「しゃらく」と呼ばれていたのだが。
その頃の日本は、戦国大名たちが一騎当千とばかりに火花を散らし、全国統一を目指さんとする者たちで命を削り合っていた。そのため、土地の奪い合いで地方や田舎は戦場となり、本来稲穂が実るはずの土地が血の海で飲まれることが多くあった。
しかも、天候が思うように行かず、負の相乗効果で田畑は干ばつにあって田んぼの水は枯れ、食料がなくなった。付近の大規模な戦いなどがあって、他の土地に移り住もうにもできない。農家にとっても戦国時代は逃げようにも逃げ場がなかったのだ。
ある村の長は、自分の広い居室内に全村人を集めた。村の備蓄食料が底をつこうとしている。このままでは冬は越せそうにない。口減らしをしなければならない、と沈痛な思いで言った。
口減らしとは子供の間引きのことをいう。村の中では年端もいかない子供たちもそれなりにいて、身ごもっていた女性は一人いた。村人たちの抗議の声により、女子供は免れたものの、みどり児――赤子はその対象とした。
女性は自分は産みたいと願ったものの、生まれてくる子供の未来を見据え、また、同居していた男性の説得もあり、その年は諦めることになった。その冬は連れ添っていた男性と二人で乗り越えた。
二年後、その女性は奇跡的に授かり、子供を儲けることとなった。だが、それから四年が経った真冬。
この冬もまた厳冬で、六年前よりも更に厳しい寒さになった。村長の命によりまたも口減らしを言い渡され、七つ以下の子供も対象だと、村人たちの抗議にも頑として認めなかった。
しかし、今度こそはという妻の意志もあり、この子だけは、と村長に隠れて育てることを決める。
備蓄食糧の調達はどうすべきか、そんなことを考えていたある日の晩。
夜中、その父親は部屋に響く奇妙な足音に目が覚めた。すると、狐面を頭に付けた、かわいらしい着物の子供が枕元に立っていた。背格好は自分の息子と瓜二つだが、その息子は隣で寝息を立てていた。座敷わらしか、父親は瞬時にそう考えた。
座敷わらしは「大事にしてね」と言って、壁の向こうを指さした。
翌朝、自分の妻も同様の夢を見て、彼女が言うには「これで開けて」と言って、古びた鍵を差しだしたのだという。
座敷わらしが指さした壁に穴をあけると、思いもよらないものがあった。中は空洞となっていて、そこに鎮座するように一つの古びた棚が隠されていた。隠し部屋だった。彼女の持つ鍵を差し入れると、中には美しい日本人形がいた。
片手には黄金の扇子が握られており、後ろにはつまみのような、ゼンマイのような。金属製の部品がついている。からくり人形らしい。
ゼンマイをカチカチと数回回すと人形は黄金の扇子を振り回して舞を踊る。すると、徐々に天気は曇り空になり、雨が降るようになった。
こうして、その地を潤すことになったその人形の噂は瞬く間に村中を駆け巡り、両親たちは、その人形を我が子でも育てるように大事にした。
両親が没し、その息子が老するまで、人形は村に恵みの雨を降らせることになる。そして、その村のご神体として崇められるまでになった。後ろのゼンマイを回すと黄金の扇子の舞を踊り、翌日に恵みの雨を呼ぶ――。
しかし、この話は物語の第一部に過ぎない。
この人形はいわば依代であり、この地方の呼び名「しゃらく」が「しゃらく谷」と呼ばれるようになるのはこれからだった。
それから百年後。舞台は泰平の江戸時代に移る。
その時の徳川将軍は三代、家光が治めていて、いわゆる寛永の大飢饉と呼ばれる災厄が日本中を襲っていたころだった。
この村も例外ではなく、田んぼの水は干上がり、人々の肌は荒れ、食料は底をつき、乾いた木の枝をしゃぶって飢えをしのいでいた。地獄の飢饉だった。
そんな間近に迫る地獄の村の、川を挟んで隣にあった村は対岸の火事ではないと考えていた。その寺の神主の息子である|諸相《しょそう》という坊主は、隣の村の状況を父親に話した。何とかして隣の村人を助けられないものかと思った。
しかし神主である父親の反応は渋い。天命を待つしかない、と切り捨てた。この村も蓄えがあるとはいえ、助けるほど豊かではないのだ、と。まるで見放すかのような背を向け去っていく。
隣の村とこの村は、そこまで離れておらず、一キロほどしか離れていない。山もなく、川を挟んだだけで平坦な地形だった。
にもかかわらず、この村は必ずひと月に一度か二度、まとまった雨が降る。それにより、いくばくかの木の実が実り、なんとか生きながらえることができる。
なぜこちら側に雨が降り、あちら側には雨が降らないのか。まるで、「雨雲がこちらの村を選んでいる」かのように……。
村と村との境界線である干からびた川を見ながら、諸相は疑問に思って、夜になると離れにこもる父親の様子をこっそり見ることにした。
夜、空気さえ寝静まった冷たい離れへ。離れには不用意に近づくな、と父親には厳重に注意されていたので、バレればとんでもなく𠮟られるだろうとドキドキした。無事離れにつき、少しだけ戸を開けると、父親はまさに箱に手を付けようとしていた。
その箱は諸相には知らない代物だった。その箱は何を納めているのか、中に何が入っているのか分からなかった。この寺のご神体が何であるかさえ知らなかった。
息子に覗かれていることを知らない様子で、慎重な手つきで観音扉を開け、中から何かを取り出した。手のひら大の人形だけがそこにあり、それ以外は何も入っていない。まさか、あの人形がご神体なのか?
父親は、その人形を持って箱から離れた。そして奥にある神棚の前に座り、人形の後ろを摘んでは回し、手前にある台の上に乗せる。人形がひとりでに動き始めると、父親は両手を合わせ、拝み続ける。
諸相にとって、よくわからない光景だった。
ご神体であれ、それは単なるからくり人形でしか映らなかった。それに対して、自分の父親が一所懸命に念仏を唱えている。その背は熱心で、人形に囚われているのではと錯覚するほど、不気味なものだった。
翌日、天気は雨になった。局地的な恵みの雨。一方、川を挟んだ隣村は、雲ひとつとしてない晴天だった。