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晴れ時々涙
「はくしゅ!ぶえー…。」
ずびっと鼻をすする音。その音は、ぼくの方からした。
「トウヤなみだ目だー。」
「うるさい。」
四月。春がとうとう訪れてしまった。
「そういや、オレら今年から二年生だよ!」
「…うん。」
ずびっ。
「ははは、ハナタレだー。」
アキは余裕そうに高らかに笑っている。
ぼくは両穴から鼻水をたらし、呼吸もままならないまま。
「ゔー…花粉なんてなけりゃいいのに…。」
「まぁまぁそう言わずに。」
アキはクスクス笑っている。
「そういや、トウヤの親戚のお兄さん、今年来るんだっけ?」
「うん。」
「オレにも会わせてよ!」
「いいけど…あ、そういや、明日いっしょに花見しようって話になっててさ、アキも来いよ。」
ずびっ。
「え、いいの?やったー!」
アキはりょううでをあげてよろこぶしぐさをした。
桜にも負けない満面の笑みを浮かべて…。
ずびっ。
「…いったん、鼻かんだらどうだ。オレ袋持ってるけど。」
「…いや、まだ早い。このまま帰る。」
「そっか。」
ずびっ。
…早く、春が終わりますように…。
「ただいま。」
ずびっ。
帰ってきたわが家。げんかん前のくつたちはみんな整列して、まさに掃除をした直後の様だった。
ぼくはいつもよりもしんちょうにくつをぬぎ、ていねいにそろえる。
「あらトウヤ、おかえり。」
ふくれたお腹の母さんは、ぼくにやさしく言った。
「掃除なら手伝ったのに。母さんはあまり無理しないでよ。」
「ふふ、トウヤったらやさしいのね。でも、妊婦は動くことも大切だってテレビでやってたのよ。」
母さんはそのまま台所へと移動する。
母さんは今、お腹の中に女の子を持っている。
今は六ヶ月目。今年の八月に出産予定で、七月のどこかで入院する。
母さんには赤ちゃんもあるし、じっとしてほしいけど…。
元から母さんは、元気がありあまっているようだった。
「今日は天気もいいし、七輪でサンマも焼こうか。」
「七輪ぐらいならぼくが出すよ。」
「あら、ありがとうね。」
ぼくは外に出て、くらから七輪を引きずり出した。
年々使われたあとがある古びた七輪は、まさに達人のたたずまいをしていた。
すると母さんも外に出て、締めたサンマを持ってきて、火をつけた。
ぼくはかがんでうちわであおぎ、母さんは洗濯物を取り込みに。
パタパタとやっているうちに、大きなけむりが飛んでいった。
「あ、おいしそー。」
どこからか声がした。アキだった。
だけどアキのとなりに誰かがいる。ハルにぃちゃんだった。
「よっ。」
「なんでハルにぃもいるのさ。」
「いて悪かったかよ。」
ハルにぃはふてくされた顔をして、七輪はアキがやりたいというので代わった。
ハルにぃにぼくは近づく。
「トウヤ、今年から二年生だな。頑張れよー。」
「ハルにぃもね。今年から三年生でしょ?」
「うーん、俺はぶっちゃけ二年生のままでいいっていうか。」
「ぼく、ハルにぃががんばるところ見たいなー。」
「うっしゃぁ!ぜってぇ公立受かってみせるぜ!」
ハルにぃはそう言って、七輪に近づいてじっとした。どこががんばるだろう。
「あら、アキくんもありがとねぇ。」
母さんがそういうと、アキはにっかりと照れくさそうに笑った。
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「うおー!うまそ〜。」
美しいこげ目がついたサンマは、まさしく黒曜で作られた刀のようにたたずんでいた。
いただきますの声を終え、ぼくはサンマの目をくり抜き、口に入れた。
ぎゅっと詰まったうまみが、はじけとぶようにひろがり、ますますご飯が進みそう。
「明日のお花見楽しみだな!」
となりにはアキ。
明日お花見に行くという話で、ついでにアキも同行することになった。
そしてそのままアキは、しっかりお泊まりを決めている。
時計は七時のくせに、空は朝のように明るい。
「だね。」
春はあけぼのとは、まさしくそうだと感じる。
まぁ、今は夕方なんだけど。
「トウヤ〜、ハルにぃちゃんとお風呂入るか〜?」
ハルにぃはちゃわんを片手に言った。
「なんかやだ。」
くっ…とハルにぃは落ちこんだ様だった。アキがハルにぃのせなかをちょいちょいとさすっている。
「まぁ、トウヤも二年生だものね。」
母さんはクスッと笑って言った。
「てか姉さん聞いてよ。ハルったら勉強全然しないのよ?」
ハルにぃのとこのおばさんはそう言ってグチをはく。
「なんだよおかあ、まだ春休み明けじゃあるまいしいいじゃんか。」
ハルにぃはそれに対抗して反論する。
「まあ、そうなの〜。でも、やる気になればいいんじゃない?」
母さんは和やかに話す。
「もー姉さんったら!ハルほんと驚くほど宿題を溜め込んでたんだから!全く、トウヤくんみたいな子だったらよかったのに…。」
「ゔっ…。」
ハルにぃは自分の母さんにそう言われたのがショックだったのか、ゆかに倒れこんでしまった。
「春休みの宿題とか、全く手ェつけてないやろ。」
「…はい。」
ハルにぃは傷心している様だった。
「ハルにぃがんばー。」
「…うし!頑張るかぁー!」
ハルにぃにぼくがそういうと、ハルにぃはそのまま宿題を持って移動してしまった。
「全く、トウヤくんには弱いんだから。」
「仲が良くていいじゃない。」
「うーん、そうね。」
母さんたちはそう話して笑っていた。
「トウヤって愛されてるな〜。」
「アキ、うるさい。」
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朝の5時。朝焼けは美しいうすべにいろで、うぐいすやらが美しい歌を唄っている。
「トウヤ!おはよう!」
ぼくより早起きなアキは、朝イチなのに元気な声を出した。
「おはよー。」
今日は花見をする。もちろん、そのためにいろいろ用意をしておいている。
まずは箱ティッシュ。次にビニール袋。そして花粉対策の薬だ。
眠くなくから薬はあまり使いたくないけど…花見という危険行為をするから仕方ない。
「トウヤ大荷物だな。」
「これくらいないとフツーにしぬ。」
そうこうしているとハルにぃが起きてきた。
「あ、トウヤとアキくん。もう起きてたか。」
「おはよーございます!」
「おはよー。」
「さっすがトウヤ。花粉症の鏡みたいな荷物だ。」
ハルにぃは朝起きて一番にぼくをあおる。
「うるさい。ぼくは花粉症じゃないし。」
「きのう鼻水たらしてたのにー。」
うるさいと言いながら話していると、母さんからご飯だよと呼びかけられた。
朝食を終え、荷物を背負い、電車に乗る。
「楽しみだね。」
アキはうれしそうに言った。
「ふふ。あとそろそろで眠くなるよ〜。」
母さんがそういうと、ぼくとアキははーいと返事をした。
しだいにまぶたが重くなり、意識が遠のく。
''イーハトーヴ''から出る時は、いつもこうなのだ。
ただ、ぼくは楽しみで仕方なかった。
ずびっ。
少しずつ…近づいて…い……る………。
---
「着いたよ。」
お母さんの声。
目を覚ますと窓にはたくさんの満開の桜があった。
「アキ、すっげーぞ。」
ぼくがそういうと、アキはゆっくりまぶたをあげた。
「すっげぇ…!」
アキは窓に体を向け、席に乗り出し、景色をながめた。
【次は〜、『|菜乃花《なのか》』、『菜乃花』〜】
菜乃花。そこはイーハトーヴからしか行けない、不思議な場所。
あと原理はわからないけど、春の時にしか行けない。
「うっひょ〜!今年も絶景ですなぁ。」
ハルにぃははしゃいで窓をなめるようにながめている。
やがて電車は止まり、ぼくたちは下車した。
「帰る時はこちらを鳴らしてください。」
駅員さんは切符売り場のベルを指さしながらそう言い、駅の小屋の中にはいった。
駅の中まで桜の花びらが落ちている。
駅を出ると、そこに一面の色づいた桜が広がっていた。
「はくしゅ。ゔー…。」
とてもきれいですてきな景色だが、花粉はただならぬ量をただよっているように感じる…。
「ははっ、花粉にやられてるねぇ。」
ハルにぃがぼくをからかってきた。
「ゔるさい…ずびっ。」
…行く前に薬飲んでおきゃよかった…。
「ふふ、早く行きましょ。」
「姉さんって意外とせっかちよね。」
母さんはそう言い、まっすぐ桜並木のほうへ向かって行く。
そのすきをみて、ぼくは水を口にふくみ、薬を一じょう飲んだ。
ずびっ。
点々とある家は、生活感があるのに、なぜか誰一人として居ないように感じた。
「なんで誰も居ないんだろー?」
アキがそう問いかけると、
「まぁ、ゴーストタウンってヤツじゃねぇの?」
ハルにぃはそう答えた。
暖かい日差し、軽い色合いの空。
とてもすてきな風景で花も咲き乱れているのに、
小鳥の声は聞こえないし、よくよく見れば虫もいない。
ここにいるのはまさしく、ぼくらと花粉だけだった。
ずびっ。
「トウヤ、大変そうだな…。」
アキはそう言ってきた。
「はー!うんめぇ!」
場所選びが決まって、ぼくらは花見を楽しんだ。
おにぎりをほおばりながら、ハルにぃがうなる。
「早起きした甲斐があったわぁ。」
母さんはやわらかい笑顔で言う。
「もー、妊婦さんなのに姉さんは頑張りすぎよ。」
おばさんがややあきれたように言っても、母さんはふふっと笑っている。
一面に咲いた桜が、ぶぁっと散り、辺りを漂い、おおい尽くす。
光が当たって反射して、ガラスの様にかがやいていた。
「来年は赤ちゃんと一緒に来れるといいわねぇ。」
母さんがそういうと、みんなそうだねとこうていした。
ふと地面を見ると、辺りの草は枯れることを知らないかのごとく、
うつくしい黄緑色で風になびかれている。
かつてこの街はどんな人がいたんだろう。
生き物はどんな生き物がいるかな。
ずびっ。
「お花見、楽しいねー!」
アキはうれしそうに笑っている。