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歪
偽の続きだよ
***
朝、教室に入ると空気が冷たく感じる。
机に向かおうとすると、凪と仲の良い子たちがひそひそと何かを話して笑った。
笑い声に悪意があるかどうか、最初は判断できなかった。
でも、優月の胸の内側が少しずつざわつき始める。
「おはよう」
勇気を出して凪に声をかけた。
でも、返ってきたのは沈黙だった。
それどころか、隣の子と顔を見合わせて小さく笑い合う。
——どういうこと?
戸惑いと困惑。
それが数日続くと、無視されているという現実に、ようやく気づく。
「ねえ、昨日浅川くんとどんな話してたの?」
別の子が唐突に話しかけてきた。
口元には笑みを浮かべながら、目だけが冷たく光っていた。
「え……えっと……本の話を、少し……」
「ふ〜ん……白崎さんってさ、案外積極的なんだね」
その言葉に含まれた棘は、優月の皮膚の下にじわじわと染み込んでくるようだった。
***
昼休み、席に戻ると筆箱がなくなっていた。
机の中にも、ロッカーにも見当たらない。
ふと、教室の隅の方から誰かの笑い声が聞こえる。
——まさか、とは思いたくなかった。
だが、その数分後。
ゴミ箱の中で、自分の筆箱がぐちゃぐちゃになって捨てられているのを見つけた。
手に取ると、中のシャーペンの芯がすべて折られ、消しゴムには鋏で切られたような跡があった。
凪の姿が視界に入る。
こちらを見ていた。そして、すっと目をそらした。
心臓が、ぎゅっと音を立てて縮まるような気がした。
どうして——どうして、こんなことに。
胸の奥に押し込めていた不安が、ひとつ、またひとつと現実の形になっていく。
***
放課後、美術室。
優月は黙々と絵を描いていた。
その日はキャンバスに触れる手が震えていた。
水彩絵の具のパレットが、にじんだように見えるのは、たぶん目の奥が熱かったからだ。
そのとき、凪が入ってきた。
「……ねえ、優月」
名前を呼ばれた。
それだけで胸が跳ねるのは、まだどこかで、元の凪に戻ってくれることを期待しているからかもしれない。
「……なに?」
「ちょっと、話があるの」
ふたりきりの美術室。
キャンバスの匂いと、夕陽の影。
「……あんたさ、浅川くんのこと、好きなの?」
心臓が一瞬止まった気がした。
「……どうして、そんなこと……」
「だってさ、わかるもん。あんな目で見てたら、誰だって気づくって」
凪の声には、怒りと——なにか、悲しさのようなものが混じっていた。
「でもね、私、ずっと浅川くんのこと、好きだったの」
初めて聞く言葉だった。
けれど、それは告白ではなく、宣告だった。
「だから、私の前であの人と話さないで。……お願いだから」
優月の口は開かなかった。
言い返す言葉も、否定する勇気もなかった。
ただ、その瞬間——
目の前の凪が、もう優月の知っている凪ではないように見えた。
いつから、すれ違っていたのだろう。
いつから、凪の中で「親友」が「敵」になってしまったのだろう。
優月の胸の中に、言葉にできない苦しさが渦巻いた。
その夜、枕に顔を埋めて泣いた。
誰にも見せない涙だった。
家族にも、先生にも、浅川くんにも——
誰にも頼れない。
誰にも、言えない。
静かに静かに、世界が歪んでいく音がした。
歪だねぇ