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2-8 魔力を食らうもの
カーテンを開けると、銀色の月の輝きが俺を優しく照らした。
近くに人がいないか、耳をそばだてる。
大丈夫そうだと判断し、魔力を練った。主神のお膝元といえる人間界で、あまり邪術は使いたくない。
魔界――研究所へ空間を繋ぐ。座標を知っているのはここしかなかった。
研究所は、以前見た時と同様にボロボロだった。
天井の穴から、ちょうど月が覗いている。良い天気だ。
――接続。
今回は、月をゆっくりと見ることができた。
月が端から陰る。陰った場所は|赤《しゃく》|銅《どう》色の鈍い光を放ち、やがて全体が赤く染まった。
手近な金属板を拾い、魔法で磨く。鏡は月光を反射し、俺の瞳を映し出した。
瞳は夜空の月よりもなお赤く、|爛々《らんらん》とした光を放っている。
おー、ティナの言った通りだ。これだと、見られたときにごまかすのは難しそうだ。
「『|飛行《アンドレアルフス》』」
建物の外に出て、邪術を使う。空から見ると、広範囲を見渡せた。
眼下に明かりはなく、地表の一部は影になっていてよく見えない。しかしその中でも、研究所の周りに造られた防衛設備は分かった。
その全てに強引に突破された形跡があり、ルーカスが助けに入るときにやったのだと想像できる。
研究所の防衛に使うぐらいだ、魔界でも最新の技術や理論が使われているに違いない。
俺は防衛設備の近くへ降り立ち、調査を始めた。
大前提として、全ての防衛設備には情報解析防止用の情報鍵が設定されている。そして、それらはルーカスの攻撃によって破壊されていた。
防衛システムの残滓を集め、元の情報を読み取ろうと試みる。
「ん?」
風のざわめきに紛れて、何かが空気を揺らした。それなりに遠く――けれど、距離を詰めようと思えば一瞬で詰められる距離にいる。
放っておいても良いか。敵意もなさそうだし。
それよりも、防衛設備の解析だ。これを理解し身につければ、俺の魔法技術は一段階上がる。
防衛設備に意識を向けた瞬間、目の前から防衛設備の一部が消えた。
誰だ? 誰がやった? どこに行った?
辺りには瓦礫しか――いや、今何か動いたな。
怪しいと感じた部分を注視する。
瓦礫が崩れ落ちたように見えたが、瓦礫は地面に触れる前に止まり、ひとりでに動き出した。
よく見ると、周囲より少し濃い魔力を持っている。モンスターだろうか。
そのモンスターは、瓦礫を寄せ集めたような姿だった。瓦礫の山の中で寝ていても、存在に気づくことはまずない。
そして、魔力を食う。観察していると、防衛設備の断片を飲み込んだ。他の瓦礫は食わない。
俺の敵といえるような特徴を持っているが、殺すのはやめた。
魔力を食う――本部に連れ帰れば、使えないだろうか。
もちろん、今日は持ち帰れない。なぜ魔界に行ったのか追及されても、逃れる術がないからだ。
邪気を固めて檻を作り、モンスターをその中に入れる。周囲の瓦礫にごく少量の魔力を込めて、檻の中に投げた。
邪魔されたくないし、俺が目を離している間に死なれても困る。
こいつは瓦礫にそっくりの見た目をしているし、じっとしていればそんな心配もしなくて良いのだろうが。
邪術だけの戦いには慣れている。魔法にも、初めの頃と比べたら随分慣れた。
新境地――邪術と魔法を組み合わせた戦いができるようになる必要がある。
邪術の練度に比べて、魔法の練度はごみだ。練度は後から上げて、まずは組み合わせて戦う練習を。
そう考えて、ここに来たのだが。
俺が魔界で唯一座標を知っている場所には、魔法の高等技術が詰まっていた。
というわけで、予定変更。ここの技術を吸収して、魔法の練度を上げる。
「『|理を知る《バエル》』」
邪術で一気に解析する。ちまちま解析していたらいつまでかかるか分からないし、何のために月を出したんだという話にもなる。
「ほう……使われている式のうち、ほとんどが効果に関係がないもの――本来の効果を秘匿する役割があるものか。この式は複雑に見せかけて実は意味がない……ああ、少しでも解析にかかる時間を延ばそうと」
凄い。複雑な式は組み上げるのが難しいのに、この防衛設備はそれを多用するだけでは飽き足らず、たどっていくと別の式の一部にたどり着くようになっている。
ある人間を探している時に、その人にそっくりな別人の痕跡が紛れ込むような状況、と言ったら伝わるだろうか。
この式の全貌を解析し、効果を停止するのは短時間では不可能だ。将来的にどうかは分からないが。
そして、肝心の本命の式は。
「短っ。見つかったらすぐ解析され――あ、いや、そっくりな別の式が山ほどあるから見つかりにくいのか。それらに干渉しようにも、別の式が守ってるから難しいし。でも、そっくりな式ってどうなんだ? 変な動作を起こさないか?」
複雑に絡まりあった式を解きほぐし、一本の糸に分けていく。その過程で、本来の動作にも干渉防止にも直接は関与していない式の存在が明らかになった。
それらの式の共通点は二つ。本命に似た偽の式に絡んでいる点。そして、それら偽の式を無効化している点。
「ああ、分かってきたぞ。本命は短く、単純に――周りは長く、複雑に。誤作動を起こさず干渉を防ぐには、これが一番……」
もう一度、式の全体を見る。
干渉防止用の偽の式には、やたらと情報の伝達と蓄積に関わる記述が多い。これら一つ一つは意味をなさないが、全体を繋げると――
「もしかして」
情報の収集を担う式がある。情報を収集したところで、伝達するところや蓄積するところがなければ意味がない。
式をたどる。たどって、その先にあった式は。
「……!」
情報の伝達を担う式だった。
式をたどる。情報の伝達を担う別の式に行き着く。
また式をたどる。情報の伝達を担う式が別の式に繋がり、情報が中継される。
「干渉防止でありながら、それ単体でも働きを持つ。無駄なところが一切ない」
たぶん、美しい式はこういうもののことを言うのだろう。
一つ一つは普通に見るような式でも、それが組み合わさるとまた別の意味を持つ式になる。一つのものに二つや三つの意味を持たせる。
――俺が今回解析した防衛設備の主な効果は、侵入者の迎撃。干渉防止もつき、対峙した相手の情報を収集・解析する機能もある。外部への送信機能はなさそうだ。さすがにそこまではつけなかったらしい。
美しい式を見た。それを一から解析した。
あれと同じレベルのものを作るのは無理かもしれない。しかし、俺の魔法の練度は格段に上がっている。
石が落ちる音がした。たぶん、瓦礫からだ。
その音が俺を現実に引き戻す。
空を仰いだ。月は天球の頂点を過ぎ、沈み始めている。
月が沈む頃には、俺は戻らなければならない。
残りの時間で、後一つ何か解析できるか。ぎりぎりだが、できないこともなさそうだ。
または、得た力の実戦使用の練習をするか。練習相手を見つけるのに時間がかかりそうだ。
「んー」
俺は悩んだ末に、解析を続けることにした。
地面に落ちている玉のようなものと、その発射装置。玉はいくつも落ちていてそれなりに原型を留めているのに対して、発射装置は一つしかなくぼろぼろだった。
玉の解析の方は簡単そうだ。答えがかなり見えているし、試行錯誤のための数もある。
問題は発射装置の方。答えがほとんど見えない上に、一つしかなく、他との共通点を探すこともできない。
「ああ、なるほど」
玉に刻まれた式は単純だった。触れた対象の魔力を乱す。それ以外に効果はなく、干渉防止の式も組まれていない。
数がたくさんあるから、無効化されても問題ないと考えたのだろう。
発射装置の方は、解析に難航した。無事に残っている式が一つもない。故に予測して当てはめる必要があるのだが、とにかくその作業に時間がかかる。
「こことここを繋いで、この部分を当てはめて……ぁ、いや、するとここが矛盾するか」
穴開き箇所は無数にあり、それら全てがかちりと噛み合うように埋めるのは並大抵のことではない。そのうえ時間制限もあるのだから、どこかで妥協する必要がある。
「あー、これはどっちだ? 別にどっちでも作業は進むが、違う方を選んだら絶対にどこかで詰む」
しかも作業を進めた先の詰みだ。俺は悲しみのあまり建物の崩壊を進めてしまうかも――ああ、ならあれを使えば良いか。
「『|見せろ《アモン》」
今回見るのは未来。それぞれの選択に対して、その先の俺の行動を見る。
「こっちは建物が崩れ――こっちはまだマシなまま。なるほど、こっちか」
邪術を切る。やっぱり、迷った時は未来を見て決めれば良いな。
「完全な復元は無理……でも、大体の復元はなんとか」
穴の大きさには大小がある。小さい穴はその前後の式で内容が分かることが多く、必ず復元すべきというわけではない。
よって、今復元しているのは大きい穴だ。
「待て、ここを繋ぐと魔力が同じ部分を2回通る――いや、これで良いのか。誤作動の可能性はあるが、式の数が減って装置がコンパクトに済む」
防衛設備は、魔界の技術の結晶だった。誤作動を起こさないようにしつつ、式の数を減らして小型化を図る。そのギリギリのバランスが素晴らしい。
俺が顔を上げたのは、周囲が淡いオレンジ色に染まった時だった。
太陽が地平線の向こうから顔をのぞかせようとしている。月は、沈むか沈まないかといったところ。
そろそろか。『|見せろ《アモン》』が使えないなら作業効率は半分に落ちるし、俺が本部にいないことがバレたらまずい。
まず、地獄の月との接続を切った。帰還に邪術は使えない。空間に干渉する時に、その力が漏れるからだ。
来た時と同じように、魔法で転移する。
部屋に戻った後、ベッドと毛布の間に体を滑り込ませた。
一瞬の後、誰かが扉をノックする音が響く。
間に合ったことにほっと胸をなでおろし、扉を開いた。
次章予告。
扉の先の来訪者は、ノルに告げる。
「君は、邪神とどんな関わりがあるんだい?」
加熱する空気の中、そこにいるはずのない者の声が。
「その話、私も混ぜてもらえるかしら?」
久しぶり――と言うには少し短く。
しかし、嬉しい再会。
その先に、彼は一つの選択をする。