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世界一短いラブレター
「ただいま」
返事はない。鍵をかけたはずのドアを開けると、部屋の中はすっかり片付いていた。 彼女の荷物は、文字通り一つも残っていなかった。
付き合って三年。同棲して二年。 最近の僕たちは、すれ違ってばかりだった。言葉を交わすことも減り、一緒にいるのにどこか遠い。そんな限界を、彼女のほうが一足先に迎えたのだろう。
リビングのローテーブルの上に、ぽつんと一枚の便箋が置かれていた。 別れの手紙だ、と直感した。
「責める言葉が書いてあるのだろうか。それとも、ありきたりな感謝の言葉だろうか」
重い足取りで近づき、便箋を開く。そこには、彼女の几帳面な文字で、たったの一行だけ書かれていた。
「あなたの『おかえり』が、もう一度聞きたかったな」
心臓がドクンと跳ねた。 彼女が家を出たのは、僕を嫌いになったからじゃない。僕が彼女を孤独にさせていたからだ。僕が彼女の「ただいま」を、何度も無視して、スマホの画面ばかり見ていたからだ。
「……バカだな、僕は」
涙が溢れて、視界が滲む。 でも、まだ間に合うかもしれない。彼女の荷物がなくなってから、それほど時間は経っていないはずだ。
僕は便箋をポケットに押し込み、部屋を飛び出した。 エレベーターを待つ時間すらもどかしく、階段を駆け下りる。
夜の街に飛び出し、彼女がいつも使う駅への道を全力で走った。心臓が破れそうだった。息が苦しかった。それでも、あのたった一行の「ラブレター」が、僕の背中を強く押し続けた。
改札の手前、見覚えのある小さな背中と、大きなスーツケースが見えた。
「――っ!」
声にならなかった。僕はただ走り寄り、彼女の肩を掴んだ。 驚いて振り向いた彼女の瞳には、みるみるうちに涙が溜まっていく。
僕は、喉の奥から絞り出すように、世界で一番伝えたかった言葉を口にした。
「おかえり」
彼女は一瞬目を見張り、それから、くしゃくしゃの笑顔で泣いた。
「……ただいま」
僕たちの恋は、この短すぎる手紙のおかげで、もう一度始まった。