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深
目が覚めた。
俺はすぐ異変に気づいた。
彼女がいない。
焦って外に出ると、そこは不安をなでるように静かだった。
(誰もいない。)
理解が追いつかない。
どうして。なんで。頭に浮かんで、かさばっていく。
一旦冷静になろうと思い、深呼吸をした。
その時、鼓膜が少し揺れた。
その波を逃さぬ為に、神経を研ぎ澄ませた。
…ピアノの演奏だった。
音のする方へ、走っていった。
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街外れ。
狭く汚い路地裏、ボロボロのピアノ、今までと雰囲気の違う場所に辿り着いた。
ピアノの前には一人の影。
中年のおっさんは、俺に気づくと少し驚いた顔をして演奏を止めた。
「あんたみたいな若い奴でも、迎えが来ない事があるんだな。」
少し突き放すような声で、衝撃的なことを言われた。
「生きてる時に、何やったんだよ。」
「それって…」
食い気味に声が漏れる。
“生きてる時”
その言葉が引っ掛かった。
彼は何かを悟ったようで、さっきより少し優しく話しかけて来た。
「家に来るか?ここじゃちょっと寒いし。」
今まで会った人とは違う。
でもそれは表面的な事だけで根は一緒だと感じる。
不審者という不審者がこの街にいないことは彼女との散歩で察していた。
彼の大きくも頼りない背中を追って歩いていった。
その人の家は、言ってしまえばボロ屋だった。
最低限のものは揃っているが、蜘蛛の巣なんかもあった。
「この世界の家は住人に合わせて色々変わるんだって。俺にはこれがお似合いだなんて、無礼な世界だよな。」
畳張りの和室。
ちゃぶ台に向かい合って座って、一言目がそれだった。
「あんたが想像している異世界とは違う。ここは、現世と地続きになっている場所だ。だから精霊馬が迎えに来れる。」
「今日はお盆だ。」
ああ、だから人がいなかったのか。
俺は緊張してるのもあって、この時は冷静に飲み込めた。
「亡くなった人は空から見守っているとか言うが、違う。実際には海の底から見上げてるんだ。いわゆる黄泉の国ってやつだ。」
缶ビールを開けて、彼は一気に飲んだ。
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「とにかく、彼女さんは直ぐ帰ってくるよ。」
最後にそう言ってくれたが、俺は少し不安だった。
どうして彼女はそれを教えてくれなかった?
どうして彼女は黙っていた?
どうして彼女はあの場所へ行った?
どうして彼女は夕日を見ようとした?
どうして彼女は俺を招き入れた?
どうして?