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#9:向かう者と送る者と
新年一発目のギルティです。今年もどうぞよろしくお願いします。
「ただいま戻りました。」
「あ、おかえりなさい。」
ところどころで会話が漏れ聞こえるサポーターのオフィス。向き合っていたコンピュータから顔を上げ、朗らかに笑った青年が1人。
「持って帰ってきましたよ、ランフェさん。ギルト結晶と体液。」
「お疲れ様です。すみません。ホントは僕ももう少し何かするべきですよね、いつも渡してもらう側で……。」
「適材適所って言いますし。その、私はそういうのが苦手なので。」
ランフェさんの机に山積された書類、そして膨大なデータが内蔵されたコンピュータ。私の視線の先にあるものと私を交互に見て、その人は曖昧に笑った。
「慣れです、こういうのは。慣れれば、得意とか苦手とか関係なくある程度はできるようになりますから。だから、次第に僕は相対的に役立たずに……」
「はい!やめましょうこの話!」
「そ、そうですね。」
ランフェさんは立ち上がる。片手にビン、もう片手に資料の束を持って。
解析を始めようと、ランフェさんは精密機器が集まるクリエイターたちと共通の部屋に向かう。
「結果が出たら、お知らせします。今日はもう遅いので、明日でもいいですか?」
ランフェさんがちらりと時計を確認した。深夜、といえる時間帯だ。体力的にも、このまま分析結果を聞くのは難しそうだ。そもそも昼間に聞いても理解できるか怪しいのである。
「はい、よろしくお願いします。」
「では。……また明日、亜里沙さんに会えることを願っています。」
私の席の方をちらりと見てから、ゆっくりと去っていった。
どうにも、その言葉が引っかかった。
まだ人がいるオフィスを後にする。LEDライトで白く照らされている廊下に、私1人の足音が響く。
途中で何人か、局員とすれ違う。面識のある人には挨拶を先にしたり返したりして、同僚からかけられた今日の仕事に関する問いに答える。ふいに訪れた賑わいから抜け出して、長い長い沈黙を突き進んでいく。
仕事前に腹ごしらえは済ませていたので、今日はそのまま自室に戻ることにした。明日の朝食べる菓子パンだけで大丈夫だ、と言い聞かせながら、迷路のように入り組んだ長い長い廊下を進んだ。
夏はまだ秋に季節を譲り切っていないようで、外は少し蒸し暑い。冷房をかける必要はないが、何かまだ対策をした方が良さそうだ。
そんなことをぼうっと考えながら歩いていると、いつのまにか局員の居住棟に着いた。エレベーターが軽やかに上昇し、慣れた景色に切り替わる。
ただ、どこの階も同じようなつくりのようである。慣れていると錯覚していたそこは、1つ下の階の廊下だった。面倒臭いが、階段で上がるしかないか。
階段の方向に目を向ける。見覚えのある背中を見つける。人工の光を跳ね返す白衣だ。
「こんばんは、先生。」
声をかけても、微動だにしなかった。気づいていないのか、反応する元気がないのか。どちらなのだろう。
「先生?こんばん、は」
私は屈んで、彼が何をしているのか知ろうとして。
それを後悔した。
「……亜里沙さん、こんばんは。」
不幸な交通事故があった場所のように。もしくは誰かの墓のように。
花やお菓子が手向けられていた。
先生の緩く開かれた手にも、綺麗な桃色の花が握られていた。完全にその手が開かれて、握られていたものは花々の群れに加わる。
お互いに何を話せばいいのか、どう動けばいいのか、分からないようだった。思考はぐるぐると動いているのに、体を思うように動かせない。
体感、一時間。いや、それ以上かもしれない。長い長い沈黙の後、自主的な金縛りから先に解放されたのは、向こうだった。
「彼はサポーターでした。あなたと同じ、サポーター。ようやく弔う暇ができました。」
「お墓は、ないんですか?」
「ありますよ。骨とかは、髪とか、そういうのは残ってないんですけどね。丸ごと、いかれちゃったので。」
「丸ごと……。」
左足を噛みちぎられる感覚。それが数回、全身に広がっていくということである。あの恐ろしい苦痛が、精神を苛む苦痛が、もっと強くなるということである。
緩やかに壁際ににじり寄って、寄りかかることにした。胃はキリキリと悲鳴をあげているが、まだ耐えられるだろう。
「……どうして、丸ごと食べられたのに、忘れられてないんですか?」
「彼はリバースだったので。人間を既に卒業しているからか、ギルティに食べられても我々の記憶は飛ばないようです。ああ、リバースには骨の模造品が入っているだけなので、納骨とか出来ませんでした。失礼しました。」
声も朗らかで口角が上がっているものの、目は明らかに笑っていない。
「だから、心置きなく逝けるって人も多いみたいですね。彼もそのうちの1人でした。」
先生は落とした花を拾い直した。そして、白くなめらかな指でそれをなぞった。何度も。何度も。手に持っているものが、まるで戦友そのものであるように。
「戦線に積極的に立って、結界の管理をしたり、傷ついた仲間を自分のところに運んだり……たまに、誰かを看取ったり。」
涼しい風が私の頬に触れてから、先生の髪をなびかせる。髪の隙間から寂しげに細められた切長の瞳が見えて、心臓が跳ねる。
「あっけないものです。帰ってきたらもういないみたいなんですから。自分も彼も何も渡せないし残せないし、残ったとしてもあなた方サポーターが処理すべき面倒な書類ぐらいですよ。」
先ほどオフィスで見た光景がフラッシュバックする。あの書類の山の中に、もしかしたら先生の言うそれがあったのかもしれない。
もしかしたら、いつかは私も薄っぺらい紙になって処理されるのかもしれない。逆に処理をしたり、するのかも……。
そこまで思考したところで、ようやく目の前の景色が動いた。先生が立ち上がって、話しかけてきたのだ。なぜか、私と向き合おうとしていない。
「思い出したことがありました。」
「思い出したこと?」
「はい。あなたに、頼みたかったことです。なるべく多くの人に頼んでおいた方が、絶対叶えてもらいやすいので。」
一呼吸置いてから、先生は告げた。
「自分が、もし死ぬか、それに状態になった時……自分を、リバースにしてください。」
その声には驚くほど抑揚がなかった。感情などはなから持ち合わせていない、機械のような声。
私の返答を待たずに続ける。
「このまま葬られたくないんです。絶対。」
否が応でも引き受けてもらう、という強い意志を感じる。
表情は見えない。見せないつもりなのだろう。ずっと私に背を向けたままで、推測することも難しい。
「分かり、ました。私がどうにかできるかは分かりませんけど。」
「ありがとう、ございます。」
平坦だった声が少しだけ震えた。強張っていた肩が緩んで、息を吐き出す音がそれに続く。
なんで頼みたいんですか、と付け足そうとして、私はやめた。
「お願いしますね。」
ふわりと紫紺の髪と白衣をはためかせて。くしゃりと、まるで花が綻ぶように、幼い子供のように笑った。
……大人なのか、幼いのか。もちろん、普段は頼れて、仕事のことも義体のことも相談できるのだが、ときどきあどけなさを感じる時がある。まさしく今はそうなのだ。
うまく掴めない。信頼できる人だとは思っているものの、どうにもこの人のことがよく分からないのだ。
話すこともなくなって、また私たちは金縛りを始める。
「……じゃあ、また。明日から新しい薬を出しますので、医局に来ること、忘れないでくださいよ。」
「また明日。あなたに会えることを、願っています。」
かけられた言葉を、また誰かに返す。人と人とのつながりが強まったような気がする。
「自分も、です。」
軽やかな足音を鳴らして、去っていく後ろ姿が、ふいに今まで出会った局員たちと重なる。だからなのだろうか、私は肌寒い廊下に自分の身と誰かへのお供物しかなくなってもしばらくそこにいた。
足が動き出すと同時に、腹の虫が静寂を壊す。私は胃の満腹感が薄れたので、ようやく生存本能が仕事をし始めたので、菓子パンを朝よりも前に食べようと思い立った。ついでに、1つ多く持ってきて、名もなき誰かに届けようとも。
供えたとて、届くかどうかは分からない。それでも、きっとそうした方が、私の心の整理がつくから。
私の中に広がっていく、えも言われぬ不安がなくなっていくから。
明日にはどうか、これがなくなっていますように。そう祈りながら、ほてった体を冷ますために、エレベーターではなく階段を使うことにした。
登場が非常に遅れてしまったランフェくんです。お名前なしでは登場が一応していました……。参加ありがとうございました。
迷走しかけているので、展開メモを整理しなくては。時間かけたわりに謎展開が続いている。
もう少し参加キャラさんの出番を増やしたくはあります。もうじき(次回?)あたりから増やせるといい……。