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アイ
何だか、面白い夢を見ていた気がする。
夢というのは不思議だ。
その瞬間、一瞬一瞬を、現実ではない世界で生きていたはずなのに、目を覚ました瞬間から、手から水がすり抜けていくように、音を立てながら消えていってしまう。
──ああ、誰かと話しながら笑っていた。
ぽちゃん。
──ああ、何故か笑っていたはず。
ぽちゃん。
──あれ、もう思い出せない。
こんな風に。
さっきまで、身を捩るほど面白くて、行き場のない苦しさがあって、背筋を氷が伝うような恐怖があって。なのにそれは、霧をつかむより曖昧に、花弁が零れるように呆気なく、記憶の中から走り去ってしまう。何ともやるせない。
現実より、夢の中の方がよっぽど面白い、と思った。夢には明確で鮮やかな喜怒哀楽がある。現実世界ではそうは行かない。何も考えていない時、つまらない時。そう言った無彩色で濁った瞬間が何度もある。夢にはそんな瞬間はない。いつだって色鮮やかで、透き通った純粋な感情ばかりが存在している。例えば、そう、映画やRPGのように。
何だか思考がぐちゃぐちゃとしている気がする。
私は頭を振って体を起こした。
カーテンの隙間から薄らと光が差し込んでいる。遮光カーテンだから光はあまり入ってきていないけれど、暗闇に慣れた目で見ると眩しい。サイドの時計をみると、いつもより1時間ほど遅い時間だった。用もないし、別に支障はないだろう。
階下に降りてみると、両親はいなかった。代わりに、机の上にメモが置かれている。『夕方くらいに帰ってきます。何かあったら連絡』。そうだ、今日は丸一日一人なのだっけ。
一人という簡単な二文字に、いとも簡単に心が躍る。一人は気楽だ。何をしても怒られない。本当に最高。ソファで寝っ転がっても怒られないし、菓子を食べながら本を読んでも咎められない。
躍る心と欲求のまま、スマホでテレビ配信アプリを開いた。追いかけているドラマの最新話は今日配信されるから、過去の放送分をもう一度見ようか、と考える。
特に好きだった放送回のサムネイルをタップすると、最早覚えてしまった出だしが画面の中で動き出した。
それをBGMにしながら、冷蔵庫を開ける。昨日の残り物の味噌汁とご飯があるから、レンジでチンして朝ごはん代わりにしてしまおう。
取り出してお椀によそい、電子レンジのスイッチを押す。ブワワアンとも、じじじじ、ともとれる音を鳴らしながら頑張る電子レンジの中でくるくる回るお椀を見ていたら、ふと、こうしていた時間が前にもあったな、と感じた。
といっても、明確な“その時”があったわけでもない。何故だかそんなことを思っただけだ。デジャヴというやつだ。理屈がまだつかない、人間の脳の謎。予知夢だとかいう人もいるが、馬鹿馬鹿しいと思う。けれども、私だって夢の内容を覚えているわけじゃあないから、はっきり否定もできないのだけれど。
ドラマの中でも、夢について話していた。
こんな話だ。
夢というのは二つある。
将来の希望的な理想と、睡眠中の非現実。
二つが同じ言葉って、悲しいことだ。
理想は非現実的だと言っているようなもので、非現実が現実以上に理想だと言っているようなものだろう。
理想は生きるためにあるのに、結局は生きている現実以外のところが理想なんて悲しい。
これを聞いた時、屁理屈だと思うと同時に、思ったことがあった。
実際、そうなのかもしれないと。
フランス語でも、英語でも、もっと言えばアラビア語でも、夢という単語は大体同じ。
つまりは、皆、理想と非現実は同じだと見做してきたということ。分ける必要がない言葉だったということだ。
そう考えると、I have a dream.なんていうのは、案外、残酷さと希望が表裏一体なものだと感じる。
もちろん、非現実が悲しいものとは限らないし、私には夢がある、と言った人はその夢が現実になる時だと演説したけれど。
ふっと、味噌と出汁のいい香りが鼻をかすめた。気づけば、レンジの中のスポットライトは消えて、中は曇っている。それと同時に、空腹感が今更ながらに主張を始めた。腹時計が遅い。私は少々焦りながら朝食の準備を再開した。
「いただきます」
周りに誰もいないから、その言葉が妙におかしく聞こえる。スマホを横長画面にしてドラマを流しながら箸を動かす。いつもは行儀悪いからしないけれど、注意する人がいないから良い。エンターテイメントを見ながら食べるご飯って、結構楽しいと思う。
眠りから覚めたばかりで、まだ乾いていた舌に汁の塩分は強く感じられた。白米も口に運ぶ。いつもの朝はパンだけれど、ご飯を食べるときもたまにある。味噌汁とパンが並んでいる光景って、可笑しい。口の中がカオスな状態になりそうだ。試したことがないから、案外合うのかもしれないけれど。
そんな風に朝ごはんをとっていたら、見ているドラマは恋愛色のある部分に入っていた。
主人公が、大嫌いだけど好きな相手に偶然出くわしてしまう場面だ。嫌いで、好き。矛盾しているけれど、その関係がまた面白い。
けれど、とふと思う。
私は、恋愛を見るのは好きだ。陳腐なハーレムとか少女漫画展開よりも、友人以上恋人未満的で、もっと苦味がある関係の方が良い。甘いと見ていられない。そんな好みはあるけれど、そんな恋愛を自分がしたいと夢見たことはない。というか、誰かを好きになったことがない。
私は、レズビアンだとかゲイだとか、そうやって名乗る人が羨ましい。こんなことをもしSNSに呟いたらフェミニストの方々に多くの着火剤とマッチを投げ込まれるろうが。
でも、本当に羨ましいのだ。自分というものに、プライドをもってそれを記せる人が。
私は、『誰かを好きになったことがない』だけで、未来はわからない。そんな思いがあるから、アセクシュアルとかアロマンティックとは名乗らない。別に不便は無いし、疎外感を覚えたこともないけれど、ただ、恋をしたいと思わないだけだ。
お椀の中に箸を入れて、中を掻き回す。味噌の麦や豆腐、わかめの破片がぐるぐると舞うのを見つめながら思う。
昔もそうだった。ティーン初期から恋愛をしたがる同級生を、内心馬鹿にしていた。どうして、そう恋をしたがるのだろう。どうして、そんな若い時分からしたがるのだろう。ドキドキするって、それは恋なんだろうか? ただ、会いたいと心が躍っているだけとは違うのか。友達とは、親友とは、違うのか。分からなかった。そこから数年経ったけれど、その考え方は変わらぬままだ。
私だって、愛したいとは思うし、愛されたいと思う。友達を愛しているし、親を、まあ一応、愛している。でも、恋をしたいとは思わない。手を繋いで、デートして、唇を重ねて、熱と感情を共有したいとは思わない。見るのは好きだけれど。そう言えば、昔友人に、皆若い時から恋愛したがっているなら、性教育もっと進めた方が良いんじゃないのと溢したら、そんなことをファーストフード店で話すなと言われたっけ。
箸から雫がぽとん、とお椀の中に落ちた。
気づけば、スマホの中の劇場は柔軟剤のCMを流していて、汁からの湯気は穏やかになっている。
少しひしゃげた一欠片の豆腐を、もやと共に飲み込んだ。
「ごちそうさま」
そう口にして、お椀と茶碗を重ねて流しに運ぶ。スマホのドラマは停止ボタンを押した。水道からさあっと水を流して、食器を洗う。
この綺麗な水の流れになりたい、と突発的に思った。こんな風に、無色透明で、綺麗で、涼しげで。そんな人間になってみたい。汚れを取り払った、鏡のように曇りない人になれたら、どんなに良いだろう。嫉妬もせず、疎ましくも思わず。まるで雨ニモマケズか、聖母マリアのようだ。けれども、あんな純粋な人なんてそういないし、なってしまったら面白くないと思う。ああいうのは、綺麗だなあと遠くから眺めてるくらいが良いのだ。実際に付き合ったり、当事者だったら、面倒くさいしつまらないものだろう。
食器を洗い終わったので、さっさと着替える。素肌に触れた空気が思いの外冷たくて、ぞわりとした。こうやって着替えると、なんだか今ならなんでもできそうな気分になる。このまま外へ出て、バスに乗って、図書館にでも行こうか。なんでもないけれど、内緒でケーキでも買おうか。そう思うと、なんだかわくわくしてくる。ちょっとくらい外へ出かけても良いかもしれない。
そこで、はたと思い返した。ああでも、今日は寒いだろうな。途中で配達が来たりするかもな。一旦立ち止まってしまうと、そういう行動を起こす気というのはもう進み出さないもので、なんだか行動力は失せてしまった。太陽が昇ると朝顔は萎むというけれど、それと同じ感じだ。頭の回路の気まぐれで、しゅんと下がってしまう気分は面倒くさい。気分というのはホルモンなどにも左右されてしまうのだから、手間のかかるやつだ。薔薇やビーフシチューよりも手間がいる。棒人間が手間暇かけて気分という文字を世話している様子が頭に浮かんだ。なんだかおかしくて笑ってしまう。気分は棒人間のものなのに、主従逆転だ。
やっぱり、人間の力関係って、身体>気分>思考>人格なのだと思う。体の調子で気分が変わるし、気分が変わったら思考の方向性も変わる。思考の方向性が変わったら、普段の人格より刺々しくなったり丸くなったりする。人格の地位は、案外低いのかもしれない。そもそも人格だって、長年の経験に基づいて形成されるものだから、あやふやなものだ。
その時、ピコン、と軽やかな電子音が鳴った。時間の表示されたホーム画面に、横長の通知が存在を主張している。友達からの連絡だ。少し目を丸くする。珍しい。パスコードを打ち込んで、アプリを開いた。
『今日、遊ばない?』
画面に表示された数文字に、口角が上がる。何にもない日だったけれど、矢っ張り遊んでみるの良いかもしれない。
『おけ! 何時からどこ集合にする?』
そんなメッセージを送って、親とのトーク画面を開く。少し友人と遊ぶことを伝えてから、トークを閉じた。
楽しいものだ。色々考える日も、遊ぶ日も。今日は、きっと良い日になる。そう信じて、また今日も息をしよう。
眠り姫です!
最後の方で書きたいことがなくなって来て力尽きたので、尻切れ蜻蛉。
書きたいことが色々あって、書いた話です。
では、こんなところまで読んでくれたあなたに、心からの感謝と祝福を!