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週末の終末
この世界、終わった。私・遙はそう思った。
この世界は植物は枯れ果て、太陽もジリジリしている。人口は大幅に減って、働き手不足。何人もの人が飢え死にして、さらに人は減少の一途をたどっている。なぜこんなことになったかと言うと、
過去の私たち人間が、地球温暖化を止めるための行動を、あまりにも長く先延ばしにし続けたからだ。
「まだ大丈夫」「誰かがやってくれるだろう」という無責任な言葉が世界中を飛び交い、具体的な対策はことごとく後回しにされたのを覚えている。国際会議で立派な目標が掲げられても、各国の利権や経済的な都合が優先されて、結局実行されることはなかった。
その結果、地球の平均気温は制御不能なレベルまで上昇した。極地の氷は完全に溶け去り、海面は上昇して多くの都市が水没した。干ばつは日常茶飯事になり、広大な農地は砂漠と化してしまった。
植物が枯れ果てたのは、土壌の塩害と慢性的な水不足、そして降り注ぐ有害な紫外線によるものだった。太陽がジリジリと照りつける空には、もう豊かな青空はなく、常に黄色く霞んだ粉塵が舞っていた。
飢餓が蔓延し、社会システムは崩壊した。争いが絶えず、人口は激減した。
私は、打ち捨てられた街の廃墟に座り込み、乾いた風に吹かれながら、ぼんやりと空を見上げた。もしあの時、人間が手を取り合い、未来のために本気で行動していれば、この世界はまだ緑豊かだったかもしれないのに。
「私たちに残されたのは……ただ、後悔だけ」
私のつぶやきは、乾いた世界に虚しく響き渡った。
私だってもうひとりぼっち。だから、何も頼るものもないしできることすらない。ただ必死にもがいて生きるだけ。外で獲物を狩って食べて、飲んで。この世界に生きている人はおよそ1000人にまで減少。みんな、同じ国に集まって働いてるこの国は~~ Iaponia ~~という国。
Iaponiaと呼んでいるここは、かつて日本だった場所。私の出身地。
Iaponiaの集落では、誰もが過酷な労働に従事している。子供たちは、土壌再生技術や浄水技術を学び、大人は農場や探索隊として働いている。私は、この極限状態の世界で、人間がまだ「共同体」として機能していることに驚きを感じている。
この世界では、もはや国境も、人種も、宗教も関係ない。生き残るという共通の目的だけが、私たちを結びつけている。かつて世界を分断し、気候変動対策を遅らせた「利権」や「経済的な都合」は、もはや存在しない。皮肉なことに、世界が一度崩壊したことで、私たちはようやく手を取り合うことができたのだ。
私は、集落の浄水プラントで働く友人のケンジに、今日見つけた鳥の話をした。彼は目を丸くして驚き、少しだけ笑みを浮かべた。「それは希望の兆しだ」と彼は言った。
私は希望なんて信じていない。しかし、ケンジのその言葉を聞いたとき、私の心の中の乾いた部分に、微かな潤いが戻ってきたような気がした。
私たちに残されたのは後悔だけかもしれない。でも、その後悔を胸に、私たちは未来のために生きている。この世界を緑豊かな場所に戻すことはできないかもしれないけれど、少なくとも、次の世代にこの過酷な歴史を伝え、同じ過ちを繰り返さないようにすることはできる。
そう、私は後悔を背負いながら、今日も生きる。ただ必死にもがいて、生きる。それが、過去への唯一の償いだから。私も1人じゃない。1000人で生きる。子供は100人しかいないけど。
だけど、、、頑張りたい。