公開中
プレバトの俳句のやつ 下
https://tanpen.net/novel/6687e7aa-2be7-45c1-9fc6-69960bcd81ba/
の第二弾。更新終了
**刑務所を囲む桜の仄白き**
慰問ライブで刑務所に赴いた。
陰鬱とした空気、規律を厳守しなければならない佇まい。その雰囲気を見守る周囲の桜だが、普通の桜よりもなぜか色が薄くみえた。
刑務所にて収容されている悪人。その周りを逃がさないとする桜の白さには、全量たる市民の目を光らせているように厳格で、怖さがある。異様に発光している桜のこわさに|戦《おのの》く。
---
**|濠《ほり》の端を羽音走れり初桜**
皇居の堀沿いの桜。咲き始めの桜を目で愛でながら歩いていると、濠の端にて水鳥たちが起こす羽の音が鋭くピンと聞こえてくる。
堀の水鳥たちも春の水温を感じつつ、桜を楽しんでいるのだろうか。
端、羽音、走れり、初桜……と、「は」が連続で踏むのが、少しずつ桜が成長している日を待ち遠しく思っているのかもしれない。
---
**さくらさくら子のたましいのさくら色**
もうすぐ幼稚園を卒園するうちの子を連れ添い、春の通りへ。
今この子を連れ添っている色は、頭上にて咲き誇るさくらのような色合いをしているのだろう。そんな叙情を託した句。
---
**苗代の桜や鬼の住まいする**
岐阜県の下呂に「|苗代桜《なわしろざくら》」という大木の桜がある。その大樹の桜が桜散ることで、空間に大きな穴が開くように散らばってゆく。
もしかして桜の花びらは空間のかけらなのかもしれない。桜好きの鬼が住んでいるのではないか。この奥に。この桜の中に。
この世界と、未知の異世界。この二つをつなぐのが、苗代桜という大木で、大量の花びらが「自然」という名の時間で覆い隠しているのかもしれない。
---
**秋高し肉まんの湯気食らう犬**
コンビニの前につないだ柴犬。戻ってきた飼い主の手にはアツアツの肉まんが。
鎖をほどく前に嗅覚に呼ばれたのだろう。かぶりつくような、飛び上がるような。後ろ足のみで身体を支え、前足で肉まんをつかむようにしている。
飼い主は取られまいと防御して、肉まんを遠ざけ空へ。それが「秋高し」の空にかかっている。
---
**終点は天空の城|春《はる》の|雷《らい》**
見渡す限りの雲海に、ちょこっと飛び出た天空の城。
その背後の、さらに高度を上げた雲から春の雷の光が柔らかく点滅した。
音はやさしげで、威嚇の雰囲気はない。おそらくこの雷は到着を知らせる警笛のようなものなのか。天空から天空城へ向けて、斜めに滑空しようとする架空の乗り物。
不思議な効果・世界観の広がりを持つ、ファンタジー的な想像をかき立てる句。
---
**古城抱く雪あえかなる別れ雪**
三月の終わりごろに降る最後の雪。その雪の景色を抱きて江戸時代建城の古城は佇んでいる。この雪が溶けていくにつれて、春の陽気が影を差す。
不変たる季節の推移を知っているからこそ、古城は儚く雪を抱いているのである。
二回使われる「雪」は、そっと消えてゆくのが名残惜しく、だから雪は美しいと作者が感じているのだと思われる。
---
**義母の立つホームや風の春ショール**
停車する東京行きの電車と上京する私。その私を見送りに来た義母。
さびれた田舎のホームに一人立つ義母の、着ている春ショールが風に揺れ、風すらも私の出立を見送っているように感じた。
---
**旅ひとり「はくたか」を追う|百千鳥《ももちどり》**
北陸新幹線「はくたか」に乗って一人旅をしている。途中の駅で減速している車窓から、鳥たちが追うように飛んでいた。「ひとり」、「百」千鳥などの数詞が、私の旅が一瞬団体旅行にでもなった気分にさせる。
---
**校印の長閑なかすれ学割証**
「長閑」が春の季語。
新幹線は高いので、学割を使うために事前に学割証を発行してきた。
いざ学割を使うために持ってきたが、押された大きな校印がかすれてしまっている。
証明書を発行する学校は厳格な雰囲気があって、きっとしっかり押されていると思ったのだが、春の陽気にぼんやりしてか、印字すらぼんやりさせている。
それを見て自分もぼんやり。
気が抜けるな。あれもこれも全部春の陽気のせいにしてしまおう。
---
**スッカラの|窪《くぼ》みは浅し春の宵**
スッカラは韓国のスプーンの一種。普通のスプーンに比べるとくぼみが浅い。
春の宵は春の季語。夕暮れから間もない夜は|時間経過《バトンタッチ》が長く趣がある。
|春宵一刻価千金《しゅんしょういっこくあたいせんきん》だというように、夕暮れの空から時間をかけて満天の星空になるさまは、千金に値するほど素晴らしいと昔の人は説いた。
しかし、時間経過が長いとはいえ春の宵。一時間程度と貴重だ。
また夏の気配がすると、時間は確実に短くなっていく。一杯ずつ掬い取られ、やがて飲み干される一杯の高級スープのようである。
スッカラは掬い取れる量は少ないが、底に残ったスープも最後まで掬って食べることができる。高級スープも春の宵も、貴重な代物だが時間経過とともに少しずつ無くなっていく。だが、スッカラでいただくことでそれすらも味わえる。
スッカラの浅い窪みに気づいただけで、スプーン一杯に映り込む春の宵の陰影を|仄《ほの》めかし、そこから一杯の高級スープが出現する。贅沢なひと時を詠んだ一句。
---
**春愁と一人焼肉持て余す**
ある日一人で焼肉屋に寄ったが、適当に注文した焼肉たちを持て余してしまった。
誰が注文したというのだろう。誰が食べるというのだろう。
すべて俺一人だ。
年波には勝てないな。この年で一人焼肉なんてだめだな。若くないのにどうして入ったのだろう。
春の日にふと感じる物悲しさ、原因不明な悩み――そういった春愁がエッフェル塔のようにそびえたつ。