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🌙第4話 『キャンドルポトフと嘘つきの夜』
「大丈夫」
「全然平気」
「俺は大丈夫だから」
そう言い続けるのが癖になったのは、いつからだろう。
高校一年の冬、|相原 遼《あいはら りょう》は少しだけ疲れていた。
テスト、部活、家のこと、友達との人間関係。
どれも大した問題じゃないはずなのに、全部が少しずつ重なって、
気づけば何もかもが億劫になっていた。
「大丈夫って、言っておけば楽だからさ」
ある日、親友にそう言った。
本音だった。でも、違う気もした。
たぶん、本当は――大丈夫じゃないって言うのが、怖かっただけ。
その夜、遼は意味もなく電車を降り、見知らぬ街を歩いていた。
吐く息は白く、街灯がやけに眩しい。
ふと、目の前にあった細い道を曲がると、そこに灯っていたのは、あたたかなキャンドルの明かりだった。
月影亭――知らないはずの店名なのに、なぜか懐かしい気がした。
吸い寄せられるように、遼はその扉を開けた。
「こんばんは。寒かったでしょう?」
ふんわりとした毛糸のカーディガンを着た女性が、優しい声で出迎える。
店内には小さなキャンドルがいくつも灯されていて、やわらかく影が揺れていた。
「なにか、温かいものが食べたいです」
そう言った遼に、彼女が勧めてきたのは――
キャンドルポトフという、不思議な名前の料理だった。
ごとん、と運ばれてきたのは、シチュー鍋のような小さな器。
下にキャンドルが灯されていて、ゆっくりと中身が煮えている。
じゃがいも、にんじん、ウインナー、キャベツ……そのすべてが、やさしい香りとともに鍋の中でほかほかと笑っているようだった。
「冷まさずに、じっくり味わってね。すぐには食べられない料理なの」
遼は、言われた通りにスプーンを取って、ゆっくりと具をすくった。
噛むたびに、だしの味がじんわりと口の中に広がっていく。
それは、心の奥まで染み渡るようなあたたかさだった。
「……俺、いつも嘘ついてるんです」
ぽつりと、遼はこぼした。
「本当は苦しいのに、平気なふりばっかして。
誰にも心配かけたくないし、強く見られたいし。
でも、もうわかんないですよ。どこまでが本音で、どこまでが嘘なのか」
女性は、黙ってスープをかきまぜていた。
その沈黙が、なぜか居心地よかった。
「嘘つきなやつって、やっぱ、嫌われますかね」
「ううん」
女性はゆっくり顔を上げた。
「強がりも、優しさのひとつなのよ。でもね――自分の心にまで嘘をついちゃうと、本当に伝えたいことが見えなくなってしまうの」
遼は、最後のスープを飲み干す。
体の芯から、じわじわと熱が満ちていくようだった。
その器の底に、小さな文字が浮かび上がっていた。
「本音は、弱さじゃない。あたたかさだ。」
店を出ると、冷たい夜風が顔に触れた。
でも、もう大丈夫だった。いや――"大丈夫だよ"って誰かに言える自分になれそうだった。
スマホを取り出し、未送信だったLINEに、短い言葉を打ち込む。
「ごめん。今日ちょっとだけ、しんどかった」
送信。
その文字を見て、遼は初めて心から笑えた気がした。
月影亭の灯りは、もうそこにはなかったけれど、
胸の奥には、まだキャンドルが灯っていた。
「キャンドルポトフと嘘つきの夜」を読んでくださった皆さんへ
強がってしまうのは、弱いからじゃなくて――
きっと、それだけ誰かを大切に思っているから。
このお話は、「大丈夫」ばかり口にしてしまう少年の、小さな再出発の夜を書きました。
本音を言うのは、勇気がいることです。
でも、ほんのひと匙の言葉で、世界がやさしく変わることもあります。
この物語が、皆さんの中に灯る小さなキャンドルになってくれたら幸いです。
次回もまた、月影亭でお会いしましょう。
深夜の小さな光と、美味しい料理を用意して、お待ちしております。
――月影亭 店主より(作者のこころ)