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All the bad days (Ⅰ)
碌でもない話をしよう。とびっきり、碌でもない、馬鹿な人間の話をさ。
灰色単色とも思える程に面白味の無い都市の上空を、分厚い雨雲が覆い隠している。ここ一週間雨天続きで、アスファルトは常に水溜りになっていた。そうはいっても、特段梅雨入りしているわけでもなく、ここらに台風やらが停滞しているわけでもない。何故こんなにも雨が続いているのかはどうやら、現代の科学をもってしても不明らしい。
俺が好きないつも笑顔のお天気キャスターのお姉さんが、『異常気象』などと陰った表情で呟く程には、ここ最近の天気は荒れているらしい。今日はお姉さんの代わりに出た天気予報士のおっちゃんが『珍しく晴れるかもしれない』と言っていたから、傘を持たずに、タバコ代だけ持ってコンビニに向かう。ポケットに入れた五百六十円分の硬貨が、歩くたびにジャラジャラと音を立てて煩い。
一番近いコンビニは家から徒歩五分程度の場所にある、品揃えの悪いコンビニだ。自動ドアを通り抜け、俺は真っ先にレジへと向かった。
「……煙草、十九番のやつ…」
早く煙草を吸いたくて、イラつきから足踏みをした。カツカツと床を鳴らす音が、俺以外に誰も居ない店内に響き渡る。内心舌打ちをしながら店員が煙草を持ってくるのを待つ。
新入りのバイトなのか知らないが、随分慣れない手付きで棚から俺の頼んだ銘柄を選んでいた。店員は少し怖気た様な表情でレジカウンターに煙草を置くと、静かに、
「……五百八十円になります」
と、確かにそう言った。
「………………はァ…??」
五百《《八十円》》?俺は即座に店員に値段を聞き返すと、先程と全く同じ値段を言われた。どうやらこの国はどこまでも愛煙家から税金を絞りあげたいらしい。こんな六割税金みたいな嗜好品にまだ税を上乗せしようと言うのか。どこまでも高額納税者に手厳しい世界だ。
「………やっぱり六番のやつで……」
深々と溜息を吐き、いつもと違う安い銘柄に注文し直した。
店から出ると、雨が降り出していた。ぴしゃぴしゃと、アスファルトに広がる水溜りに落ちる雨粒が跳ね踊っている。
家に帰るまで我慢できそうもないので、店先にて、懐から先程買った煙草を取り出し、ライターで先端を炙った。次第にその箇所から煙が立ち上がり、煙草特有の臭いがそこらに立ち込める。
「…………まっっっず」
やはり普段から吸っているもののほうが味がいい。やはり安物は安物だ。ただ煙たいだけの不良品じゃないか。どうせタールもニコチンもそこまでの含有量じゃないのだろう。
喫煙している間に、徐々に雨が強くなり始めた。雨音が先程のものから、ジャージャーと、地面を叩きつけるような音に豹変している。
「……あのハゲキャスター許さねぇからな……」
今朝のニュースで、にこやかに『雨が久しぶりに止みそうです』と語っていた禿げたおっちゃんに恨み言を呟くと、口に溜まった不味い煙を一気に吐き出す。
俺は雨が嫌いだ。服も、髪も濡れるし、何よりジメッとした空気が気持ち悪い。それが濡れた身体に纏わり付くと思うと、身震いが止まらない。
「とっとと止めよ、雨」
空に向かってそう語りかけるが、一向に天穹は泣き止みそうもない。もっと母性のある人が赤子をあやすように言ったほうが空も喜ぶんだろうなと、俺は自嘲気味に笑う。先程、俺は雨が嫌いだと言ったが、恐らく、雨も俺のことが嫌いなのだろう。いつも俺の気分が沈んでいる時、傷口に塩を塗りたくるかの如く、土砂降りの雨をお見舞いしてきやがる。お互いに嫌い合うのはいいが、いつも俺がやられっぱなしなのは気に食わない。
「……俺は天から嫌われてんのかな……」
コンビニでビニール傘を買おうにも、先程の煙草代で手持ちの金はほとんど消えてしまい、手に残ったのは一枚の十円玉だけだ。というか、そもそも手持ちの五百六十円でコンビニのビニール傘を買えていたかどうかも怪しいが。
「さて、どうしたもんだか………」
もう走るしか家に帰る方法はなく、仕方無しに拳を握りしめ、全力で腕を振りながら地面を蹴った。
---
玄関先で煙草を吸っていると、外に、雨が振っている中、誰かが全力で疾走してくるのが見えた。手摺に煙草を擦り付け、階段を降りてアパートの入口まで向かう。
そこには、ゼェゼェと息を切らして壁にもたれ掛かっている男がいた。髪も、灰色のパーカーも見事にぐしょぐしょに濡れており、傘を差さずに帰ってきた様が目に見える。
「よぉ、お帰り」
私はそう男に声をかけると、キッと鋭い眼差しで見返された。男はこちらを指差し、「てめぇ……」と何やら呟きながらまだ息を切らしている。
「随分と濡れたね……こんな|御時世《異常気象》に傘を差さずに行くなんて風邪ひきたいのかい?」
「うるせぇ……第一、俺が煙草買いに行ったのはお前が勝手に俺の吸い尽くしたからだろうが」
「おいおい、洗面台の前に何も言わずにポンって置いてあったんだから私への細やかなプレゼントかと思うのは仕方無いだろう?」
「ヘビースモーカーがそんな粋なことするわけねぇだろうが、お前本当に素面か?」
「忘れたか?私は下戸だぞ?アルコールを頭に回してる暇があったら、肺に|酸素《ニコチン》を巡らせる人間だぞ?」
「だから本当に素面かどうか聞いてんだよ」
「それはつまりストレスで私が酒にまで手を出していないか心配してくれているって見方でいいのか?」
「………」
男の愚痴をのらりくらりと躱し、私は箱から自分の持っている最後の一本の煙草を差し出す。
「疲れただろ?一服したらどうだ?」
「……さっきコンビニで買った銘柄が不味すぎて、口直しする気にもならねぇよ」
「珍しいな、お前が吸いたがらないなんて」
私は煙草を炙るべく、ライターをポケットから出そうとした。が---
「………なぁ、理那」
---突然、男から名前を呼ばれた。名前で呼ばれる事自体が珍しく、一応同棲している身だが、大体『お前』と呼ばれるため、その呼び方に何らかの意趣を込めたのは解った。
「どうしたの?祐介」
理那は動揺を隠すため、ポケットを弄りながらライターを取り出すふりを続ける。
祐介と呼ばれた男は、理那をちらりと見たあと、気まずそうにすぐに目線を下に落とした。
「いや……なんでもない…」
「ふぅん……あっそ……」
祐介が何故かしどろもどろしているため、こちらも素っ気なく返した。真面目に聞こうとしても、この様子じゃ多分、私には喋ってくれないから。
理那は火を点けた煙草を咥えると、一気に息を吐き出した。雨で湿気た空気に白い煙が流れていくのを、頭を空っぽにして眺める。
今日はなんだか、味気ない。
「そんなことより、早く部屋に入って髪乾かしたら?ほんとに風邪ひくよ?」
理那が、まだ陰った表情で入口に立ち竦む祐介に静かにそう声がける。彼は「あぁ」と呟き、ゆっくりと手摺を掴んで、トボトボと階段を登っていく。その背中には、哀愁じみたものが感じられて、だから、理那はそれを感じないふりをして、祐介の後を歩いた。
まだ、このままでいたいから。
解説
今作は、『何気ない日常』をテーマに書いています。主人公の祐介は、そんな日常で、何かを抱えて生きている一人の人間で、理那は、彼の生き辛さをわかっていながら、わからないふりをする人間です。お互い、素直になれずに、片方だけが深く相手に干渉しないように譲り合うような感覚は、現代社会において一般化したものとなっているのではないかと個人的に考えています。それが蔓延した空間では、お互いの心の内を明かし合うことは禁忌のように思えるのです。そう見ると、この二人は個人的にとても人間らしく書けたなと思っています。表面上の関係だけではないと思いたい二人ですが、なかなか素直になれず、結局お互いに擦り切れてしまう。そんな彼と彼女のストーリーはまだ今後も続きますので、エンドロールまで見届けていただければ嬉しい限りです。それでは、次の回でお会いしましょう。