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この花火を見て
花火
水面祭り
水面に映るものを見て平安時代に詩をうたったことがきっかけで毎年秋に開催される地方の祭りだ。この祭りが開催される度に空へ花火が打ち上がる。
水面祭りという言葉の通り空へ打ち上がる花火を愛でるのではなく、水面に映る花火を愛でる不思議な祭りだ。
そして、この祭りには代々伝わる伝承がある。それは、川を跨げる橋には小さい子供は近くにいってはならないし、大きな大人も近づいてはならない。ようには思春期の子供にしかこの橋を渡ってはいけないのだ。さらにこの子供も二人の男女でなくてはならない。
ここまででわかるだろう。つまりは告白スポットなのである。
そして私は今日ここにいる。顔が赤くなっていないか心配だ。というか、赤くなっていない方が奇跡だ。この言い伝えはどこの家でも伝えられている。
誘った側も覚悟をしているのだろう。今日告白すると。そして誘われた側も今日告白されるとわかっている。この祭りに誘われて、誘いを受け取ったら、もう付き合ってるも当然なのに。
なのに、この町の言い伝えを守らなくてはならない。それは後世でもこの事を語り継いでほしいから。この小さな町の伝統行事を守らなくてはなはない。
「……」
「……」
お互い無言。橋に着くまでろくな会話はなかった。お互いに「あ、」や「えっ、」が限界である。
橋についた。今年は私たち二人だけらしい。
「その、今日の奏は綺麗!だと思う……」
「言い切って、欲しかった……」
なんて可愛いげがないのだろう。ありがとうとかほかにもいうべきことはあるだろうに。でも、そんな可愛いげがなくても彼はなんもきに止めない。
「綺麗!絶対綺麗!」
「っ!!」
私のことを褒めてくれる。私のために言葉を尽くしてくれるそんなかれのことが……
バッン
花火がうち上がるそして二人とも川を見る。水面を見る。普通は空を見るのだろう。
「奏!好きです付き合ってください!」
花火がうち上がっている間に二人は愛を語るそんな祭りの面もある。
「っはい!よろこんで」
そして、二人とも顔をあげる。このときはじめて、本物花火をみる。彼の顔が真っ赤かだ。私も恐らく。
皆が水面を見ているなか私たちは空を見る。お互いの顔を見る。
これは確定していない。本当にそうなのかわからないが、恐らくこの祭りのきっかけになった詩をうたった人は、水面がきれいでそして水面から目をはなすときはどんなときだろうと想像して、はなしたからには思う存分楽しめ、そしてこの祭りの伝承を作られたのではないか。と私は思う。そして、その思い通りに私たちは思う。
(この人とどこまでも一緒にいたい)
そう思うのだ。
読んでいただいてありがとうございます!水面祭りは、実在しない祭りです。想像して書きました。
やってほしいこといりません。
準優秀賞をいただきありがとうございます!こらからも頑張ります!