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部誌32:Happy Halloween4
ようやく終わり!
サウィンは飛び起きた。いつのまにか地面に横たわっていて、荒く息をしている。
「とりあえず、目は覚めたか。」
ケルトは安心しているかのようなため息をついてから、そう言った。瞳はまだ笑っていない。
「覚めたけど、ここからいったいどうするんだ?このままだと、サウィンは……。」
「ああ。死ぬな。」
ついにサウィンのキャパシティが限界を迎えた。思い切り飛び上がり、声にならない悲鳴が喉から絞り出される。
「ちょっと一回、泉の水を覗き込んでみろ。言ってる意味が分かるだろうから。」
「あたしの姿が、映って……ない?なんで?」
「今日だけ温かい人間の体を手に入れたとしても、魂の本質は変わってない。相変わらず、水面には顔は映らない。ついでに頬もつねってみるか?」
思いっきり腕をつねってみるが、サウィンが痛がっている様子はない。
「痛くない。ってことは、あたし。」
「今日が特別な日だからまだあまり感覚に変化はないだろうけど、明日になったら分かるだろうな。」
派手に崩れ落ちるサウィン。
「あたしが死んじゃってどうするのよ!これじゃあ帰れないし、お母さんひとりぼっちになっちゃう!どうしよ、どうすれば……。」
しばらく2人を眺めていたケルトが、声をあげた。
「落ち着け。」
今までの静かな声だったケルトからは大きく様変わりし、森の遠くの木々まで揺らすかのような、凛とした声だった。サウィンはうつむいたまま黙る。
「君が親を思う気持ちは、十分伝わってくるから。」
「お母さん、あたしがちっちゃい頃にお兄ちゃん亡くしてるんだって。」
思い出される、涙を滲ませて頭を撫でてくれた母のこと。
「あたしはその時のこと、よく分からないけどさ。だから、あたしだけは、サウィンだけでも元気に育ってね、素敵な大人になってねって……。」
次第にぽつりと呟かれた言葉は、嗚咽に変わっていく。
「……別に、絶対に明日幽霊になる、って決まったわけじゃない。」
小さいながらも、サウィンを慮ろうとした声。それに反応して、パッと彼女は顔を上げた。
「いるんだろう?君を幽霊にした奴が。」
言葉を選んで、サウィンはその女のことを伝える。
「なんか、変な女だった。ぶつぶつ『これで私自由〜とか、私を取り戻すことができる〜』みたいなこと言っててさ。」
「……じゃ、ほぼ決まりじゃないか?」
「そうだな。」
2人でこそこそと、サウィンに背を向けて軽く話してから、彼らはまた向き直った。
「もう少し補足しよう。君が仮幽霊になったのには、満月草が関係している。」
「……なんとなく、そんな気はしてたけどね。」
「アレには命を操る力があるから、持つ者が持てば、悪用されることもある。魂の入れ替えだ。特に今日は人間と幽霊の境目が曖昧だから、地縛霊たちの間でも管理されている……らしい。」
実にわざとらしく『らしい』を付け足してから、ケルトはサウィンを見据える。
「まあハロウィンだから大目に、と言いたいところだが。流石に看過できないな。だから」
サウィンも目を擦って、立ち上がった。確かな意志を持って。
「行こう。アイツのところへ。」
---
「もうここまで来たんだ。」
気づけば舞台は終盤。せわしなく動き回り、指示を出していていれば、時間はあっという間。今のところトラブルもなく、うまくやれている。
それでも、不安なものは不安だ。何せ、舞台が大盛り上がりするところで何か起こってしまうのが、最もムードを壊してしまうことになる。それが、私にとっては恐ろしい。
積み上げてきたものが一瞬にして壊れてしまう恐怖。そういう緊張感が、舞台にははびこっている。
もう一度、幕の隙間から覗いてみる。相変わらず、私の心配が杞憂であるように、その目は一点に向いていた。
映写室からは見られない表情。瞳。頬の赤らみ。それは、今こうして、誰にも見られず作業をしている私でも作れた一部なのだと、より実感できるのだった。
……じゃあ、それが舞台から見られたら、いったい私はどうなるんだろう。
もっとそれを眺めてみたくなる。永遠に見つめていたくなる。
今度ははっきり、真正面から。
「無理かな?」
私はその時、自覚したんだ。
役者になってみたい、って。憧れが夢へと変わる瞬間だったのかな、って。
「何が?」
「え!?……ああ、ごめんね蛍くん、何でもないよ。あははー。」
今はまだ、誰にも言えないけれど。
そのうち、胸を張って言えるようになれるかな?
---
「これでいいんだよね?」
サウィンは再三、確認をする。泉の縁すれすれで立つ彼女は少し危なっかしく、顔は緊張で強張っている。
「大丈夫、痛いとか死ぬことはないんだから……もう死んでるけどな。」
「あんたは一言余計なのよ!」
頭をわしゃわしゃと搔き、ユウを睨みつけてから、またサウィンは自分を落ち着けるように目を閉じた。
「じゃあ、行ってきます。」
しゃがみ込んで、水面に触れて、体を思い切り傾ければ、また視界が暗転して。
いつの間にか、サウィンは吸い込まれている。
「さて、しばらく待ちますかー。どうせしばらく暇だもんな、泉の水と睨めっこ……で、お前はいいのか?」
「何がだ?」
「あの子に言わなくて、だよ。」
しばらく思案した後、ゆっくりとケルトは答えを口にした。
「別に、僕のことを言うつもりは最初からなかったよ。一度迷ったけどな。」
「……お前がそれでいいなら、俺は何も言わないよ。」
夜はより一層更けていく。
そのころ、サウィンはまた泡の音を聴いていた。水に潜っているのに、息ができないわけではなく、ただ透明に見えた泉の仄暗い底へと落ちていく。
ふと、水色の美しい空間に辿り着いた。あの時、自分の魂を入れ替えられた場所だと、サウィンは分かってしまう。
そして。
彼女が椅子に腰掛けていた。微笑みながら、古びた写真立てを眺めながら。それは水の中だというのに、なぜか乾いている。調度品も、全て。現世の物理法則が通じない……まさしく黄泉といったところだ。
「また来たの?」
「これから行くあてなんてないもの。あんたは、その、人間になるんでしょ?それなら、こんなに綺麗な場所、あたしに譲ってくれてもいいんじゃない?」
「……ああ、あの2人に教えてもらったってことね。まあ、そういうことならいいわ。明日になれば、ここはあなたのもの。良かったわね。」
全く良くない!
と、叫びたかったところだが、サウィンはその言葉を長くも呑み込み、彼女と対話を続ける。
「聞いてもいい?なんであんたがそこまでして人間になろうとしたのか。」
「どうして聞こうとしたのか、それをあなたが教えるのなら。」
「ただの興味。どうせあたしはもう、人間には戻れないんだから。」
後半は嘘だった。勘づかれたら困るというサウィンの震えは、少しだけ外に漏れている。
それでも、前半は本当だった。
「あの時」の言葉。サウィンが理解できることなら、そうしてみたかったのだ。もし戻るのに失敗してしまっても、諦めがつくような気がした。
「そうね。一言で言うなら、自分自身を取り戻すため、かしらね。」
「あたしにはそれが分からないのよ!」
「気づいた時、私は私じゃなかったの。何が何だか分からずに、幽霊になっていた気持ちがあなたに分かるかしら?」
「……あんた、それ皮肉?」
それはこっちの台詞だ。勝手にあたしの自由を奪っておいて、いけしゃあしゃあと、よくも。頭に血がどんどん昇っていく。
「ふざけないで」
「持ち合わせていたのは、たったのこれだけ。中に写真が入った、古い写真立てだけだった。」
「ふざけないでって言ってるの!人の話も聞かずに、勝手にいろいろやって!他人のこと何だと思ってるの!」
「あなたに私が分からないように、私もあなたが分からないのよ。」
もう我慢ならなかった。
サウィンは掴みかかる。そして、彼女が手にしていた写真立てを奪い取ろうとする。
「やめなさい。あなたにもう勝ち目はない。」
「例え戻れなくても!絶対、これだけは!」
それがサウィンの意地だった。何が何でも一矢を報いたい。その思いだけで、あの2人との作戦も忘れて、無我夢中で写真立てを取りにいった。
「あっ!」
「よし!」
女から写真立てを強奪し、中の写真を眺める。サウィンは既視感を覚える。
「……もう許さない。こうなったらあなたを消し去ってあげる。いつか成仏できるように、幽霊のままで残しておいてあげようと思っていたのにね。存在ごと、葬ってあげるから!」
女は静かにそう言うと、棚から満月草を取り出した。そして、頭上へと持ち上げた。
「ごめんね、2人とも。」
もうここで終わりなんだ。
覚悟して、目を閉じた。
「……お母さん。」
「さあて、いっただき!」
しばらく経って、何も起こらなくて、あまり長い時間離れていなかったわけではないのに、とても懐かしい声が聞こえる。サウィンが恐る恐る目を開けると。
「ケルト!ユウ!」
ケルトが女を拘束し、ユウが満月草をちょうど回収したところだった。奇遇にも、ランタンを盗もうとしたその時の姿勢に似ていて、サウィンは小さく笑いをこぼしてしまった。
「人がようやくお前を助けに来たってのに、何で笑うんだよ!」
「だって、だって……安心、しちゃったんだから。」
座り込んだまま、サウィンは大笑いした。
顔を見合わせて、ケルトとユウも微笑んだ。
「さあ、戻ろう、人間に。」
2人がポジションを変わり、ケルトが女の前に立つ。
「どうして、あなたたちまで?」
「お前らが話に夢中になっているうちに、こっそり侵入したんだよ。どうせすぐにお前らがいるところへ、泉が連れていってくれるほど優しくはないだろうからな。何とか間に合って良かったぜ。」
「台無しってことね。あーあ、今まで準備してきたこと、全部無駄だったじゃない。どうしようもないのね。」
諦めて天を仰ぐ女。その目は寂しげに、虚空を見つめている。
「私は結局、自分のことすら何も分からないまま、ここで一生縛られているんだね。」
「……ねえ、あんた。」
女はゆっくりと顔をサウィンの方に向ける。
「この写真、見たことあるかもしれない。」
「どういうこと?」
彼女の表情を、困惑が支配する。
「左があんたで、右が……お姉さん?左はあんたの顔そっくりだから、たぶんそうなんだろうけど。」
「私に訊かれても分からないわよ、何にも覚えてないんだから。」
「……川の近くの、おばあさんの家であたし、これを見たわ。息子のところで面倒を見てもらうから、古い家を片付けて欲しいって、あたし頼まれたから。」
女はうつむく。少しだけ穏やかになったその雰囲気を見て、サウィンは続けた。
「詳しい話は聞けなかったけどさ。もしかしたらあんた、あの人の妹なのかもね。」
サウィンは彼女に近づいて、笑いかけた。
「あの人は、幸せになったよ。あんたがどうして幽霊になっちゃったのかは知らないけど、あんたが大切にしてたであろう人は、幸せな家族を持っただよ。」
「……そう。そうなのね。写真のあの人、笑ってるから。私にとって、大切な人じゃないわけじゃないね。」
女の声は少しだけ湿って、浮かべた微笑みは柔らかくなった。
「……始めてもいいか?」
何が、とは誰も言わなかった。ケルトが大きく息を吸い込んで、呪文を唱えた。
「魂の収穫と、自然の恵みに感謝を!」
きらきら、生命が輝く音がする。
「……あいつに満月草も分けてもらったし、出口ももうすぐだな。」
「そうね。」
気づけばもう規制線が目の前だ。
随分と長い長い時間が経ったようには思えるけれど、たったの一晩だ。そこは来た時と何も変わっていない。変わったことがあるとすれば、夜明けを示す光が、差し込んできていることくらいだった。
「じゃ、俺は帰るよ。相変わらず俺も、さっきのあいつも地縛霊。いつか成仏できるように、頑張るからさ!」
「あんたなら大丈夫よ。あの子は……」
「きっと、立ち直れるさ。」
サウィンとハイタッチして、ユウは大きく手を振った。
「じゃあな!元気でな!ランタン大事にしろよー!」
ユウが去っていくと、2人の間は沈黙が包むようになる。
「僕は……そうだ。まだ忘れ物を回収してなかったな。戻らないと。」
曖昧な笑みを浮かべて、サウィンに背を向けようとした。
「待って!」
サウィンはケルトに駆け寄って、真剣な目で見つめる。ケルトは振り返る。何も、気づかないふりをしている。
「忘れ物って、いったい何なの?」
「さあな。君には関係のないことだ。」
「よく思い出してみれば、ユウってケルトのこと、知ってそうだったよね?」
「気のせいじゃないか?」
「満月草のことについても、やけに詳しかったし。」
「僕も昔、集めていた時期があったんだよ。」
「呪文は、最初から知ってたの?」
「実は僕はオカルトマニアだったんだ。」
「……ねえ、本当に、ケルト、あなたは」
人間なの?
サウィンは明確には言わなかったけれど、ケルトも十分それを分かっていた。
「世の中には、知らなくていいことだってたくさんあるんだよ。」
「それとこれとは、話が違うでしょ……ケルト。」
「何だ?」
無言で手を突き出すサウィン。苦笑しつつ、それにしっかりと応じるケルト。朝日はどんどん強くなっていく。
「じゃあね。ありがとう、ケルト。これでお母さん、助けられるよ。」
「ああ。」
朝日に照らされながら、ケルトはにっこりと微笑んで、サウィンを見送った。
「長生きするんだぞ。」
サウィンが見えなくなってから、こう付け足した。
「母さんのこと、よろしくな。」
ケルトは去った。爽やかな朝の風が、吹き抜けていった。
ハロウィンの起源は、古代ヨーロッパのケルト人が行っていたサウィン祭らしいですよ。
それでは、ハッピーハロウィーン!(思いっきり季節外れ)