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ゆめのつづり
誕生日や名前を書くといいことありますよ?
アプリ名は「ゆめのつづり」。
夢を保存し、共有し、再生するためのアプリ。
曖昧であったはずの睡眠の残滓が、
いまでは精密な体験として流通している。
私はそれを日常の隙間に差し込んでいた。
朝のわずかな時間、あるいは帰宅後の静かな夜。
ヘッドセットを装着し、他人の夢へ沈む。
読書のようでもあり、
映画のようでもある。
しかし。
決定的に異なるのは、そこに《《身体が》》含まれることだった。
最初に選んだ夢は、
なんでもないものだった。
投稿者は匿名。
再生数も少ない。
タイトルは「夏の帰り道」
ヘッドセットを着用した瞬間に暗転した。
視界がひらく。
私は見知らぬ町の坂道を歩いていた。
夕暮れ。
空は橙色に沈み、
アスファルトはまだ熱を残している。
遠くで子どもたちの声がする。
蝉の鳴き声が、
一定のリズムで空気を震わせている。
ただ、それだけの夢だった。
誰かと出会うわけでもなく、
事件が起こるわけでもない。
ただ歩き、ただ風を感じる。
やがて視界はゆるやかに薄れ、暗転する。
――――再生終了
ヘッドセットを外したとき。
私はしばらく動けなかった。
現実に戻るまでに、
わずかな遅延がある。
その遅れが、妙に心地よかった。
——こういうのでいいんだ。
私はそう思った。
特に意味はない。
ただ他人の夢に触れるだけで、十分だった。
数日後。
私は別の夢を選んだ。
今度は少し再生数の多いものだった。
「白い部屋」
――――再生
いつも通り暗転した。
そしてすぐに視界がひらく。
白い部屋だった。
窓も扉も見当たらない。
私は中央に立っている。
床も壁も天井も、均一な白。
しばらくすると、
どこからともなく音がする。
滴るような、水の音。
―――ぽたり、ぽたり、ぽた、ぽたり
しかし水は見えない。
音だけが、空間に存在している。
空間が水面のように歪む。
私は歩こうとした。
だが、距離が変わらない。
どれだけ進んでも、
同じ場所にいるような感覚。
やがて―――
壁の一部に影が差す。
人の形をしている。
しかし、厚みがない。
平面的な、影だけの存在。
それが、ゆっくりとこちらを向く。
顔はない。実態も。
それでも「見られている」と理解できた。
再び視界が暗転した
――――再生終了
ヘッドセットを外すと、
部屋の空気がわずかに
冷えているように感じた。
無論、実際には変わっていない。
ただ。
感覚だけが麻痺しているのだ。
それから、夢の選び方が《《変わった》》。
私は意識的に評価の低いものや、
奇妙なタイトルのものを選ぶようになった。
なぜだか、|理由《わけ》を説明できない。
ただ平坦な夢では満足できなくなっていた。
――――階段のないビル
――――声だけの食卓
――――太陽が落ちた世界
どれも共通していた。
現実に似ているが、
どこかが決定的に欠けている。
あるいは過剰である。
夢の視聴を重ねるごとに、
私は自分の感覚に。
確信を持てなくなっていった。
現実に立っていても、
時折、違和感が紛れ込むようになる。
信号が青に変わる瞬間、
周囲の動きが一瞬だけ
止まったように見える。
会話の最中。
相手の言葉が意味を持たない音に分解される。
夜。
部屋の隅に、何かが立っている気配を感じる。
振り向いても、何もない。
ある日。
私はひとつの夢に出会った。
タイトルはない。
投稿者も匿名。
再生数は、ほとんどない。
なぜそれを選んだのかは分からない。
目が留まって、そのまま再生を押していた。
いつも通りの暗転。
視界がひらく。
そこは、私の部屋だった。
机の傷。
カーテンの折れ目。
床に置いた鞄の位置。
すべてが一致している。
鏡に映る自分の姿まで寸分違わない。
私は椅子に座っている。
背後から音がする。
足音―――
廊下を踏む、柔らかな音。
私は振り向こうとする。
しかし、身体は石のように重い。
意識だけが先行し、動作が追いつかない。
扉が開き、誰かが入ってくる。
顔は見えない。
光に溶けている。
輪郭だけが、そこにある。
その人物は、静かに近づく。
何も言わない。
ただ、手にしたものを持ち上げる。
刃物だった。
理解は、遅れてやってくる。
これは夢だ。
そう認識した瞬間、別の思考が割り込む。
——これはきっと、現実になる。
刃が振り下ろされる。
痛みがある。
鮮明で逃れようのない痛み。
私は声を出そうとした。
でも音にならなかった。
視界が揺れる。
床に倒れる。
血の匂いがする。
最後に見えたのは、自分の顔だった。
歪んでいる恐怖と理解。
そして奇妙な納得が混ざり合った表情。
突然視界が暗転した。
――――再生終了
私はしばらく、
呼吸を整えることができなかった。
ヘッドセットを外す手が震えている。
現実の部屋を見回す。
同じ。
同じだ。
すべて、同じだった。
それでも、何かが変わっている気がした。
私は立ち上がり、扉の方を見る。
閉じられている。
鍵もかかっている。
耳を澄ます。
――——音がする。
微かな足音。
廊下を踏む、柔らかな重み。
私は理解する。
順序が逆転しているのだと。
夢が現実を模倣しているのではない。
現実が、夢に追いつこうとしている。
扉がゆっくりと開く。
私は振り向く。
そこに立っていたのは、
顔の見えない人物ではなかった。
それは、#名前#だった。
刃物を持ち、無言で立っている。
もう一人の私。
私は何かを言おうとする。
しかし、言葉は意味を持たない音に崩れる。
#名前#は一歩、踏み出す。
その動きに、既視感はない。
むしろ、既定感がある。
すでに決められていた動作を、
ただ、なぞっているだけのような。
刃が持ち上がる。
私は、理解した。
あの夢は、記録ではなかった。
予告でもなかった。
それは、ただの再生だった。
すでに起こったことを、
別の順序で見ていただけなのだと。
刃が振り下ろされる。
痛みが来る前に、視界が暗転する。
その一瞬、私は確かに思った。
——次にこれを見るのは誰なのだろう。と
<『#名前#の最期』を再生しますか?>
<🢒はい いいえ>