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クリスマスの魔法を、貴方に
窓の外にゆっくり落ちる雪を眺めていた。夕焼けの綺麗な茜色を移しながらひらひら落ちていく。昨日の夜から振り続けていたからだろう。辺り一面雪景色だった。クリスマスに雪が降るのは特別感がある。だが、ただ特別感があるだけで、うれしい訳では無い。隣に誰かがいればよかったけど。
こんなに孤独なクリスマスは、これで2回目だ。
「おとーさーーん!!こっち!」
窓の外から白色のニット帽をかぶった少女が父親らしき人に話しかける。中学生くらいの少女だろうか。わたしと同じくらいだと思う。隣には女性も立って笑いかけていた。きっと母親だろう。何とも言えない気持ちを抑えながら、幸せそうな家族をずっと眺めていた。虚しくなるだけなのに。
わたしの家は、片親だった。お父さんが男手ひとつでわたしを育ててくれた。なぜお母さんがいないのかはよく知らない。別に知りたいと思ったことはないし、なんとなく気まずいので聞いたことなかった。それにわたしは、お父さんがいるだけでとても幸せだった。
「りんかは、幸せに生きるんだよ」
これは、お父さんの口癖だった。わたしはこの言葉が嫌いだった。まるでお父さんは幸せじゃないみたいで、いつもこの言葉を言われるとお父さんは幸せじゃないのと聞き返した。お父さんは何も言わずに出来損ないの笑顔を浮かべていた。それは幸せじゃないよと言われるよりも、深く心に突き刺さった。
窓の外の家族が笑い合いながら手を繋ぎ、夕焼けに向かって帰っていった。きっと帰ったら温かい料理をつくって、おいしいケーキを食べるんだろうな、なんて想像した。
目を瞑る。湯気を立てているチキンを差し出す手が見える。お父さんだ。周りにはグラスが2つ。わたしとお父さんはサンタ帽をかぶっていた。壁には飾りまであり、小さなクリスマスツリーも置いてある。全てがキラキラして見えた。
なんて、もうできるはずないのに。
テーブルに置いてあるのはおにぎり一つと冷凍食品の唐揚げだけ。他の家族は、なにを食べているのだろうか。
「……いただきます。」
私の声だけが小さい部屋に響いた。
ベッドに潜り込んだ頃にはもう11時を過ぎていた。勉強や洗濯、皿洗いをしていたら大体いつもこのくらいの時間になる。寝転びながら窓の外を見る。変わらず雪が振り続けていた。明日は雪かきしないといけないかな。隣の家の電気はまだついていた。楽しそうな声が聞こえる。周りはクリスマスに染まっているのに、雪かきのことを考えているわたしは馬鹿みたいだと思う。小さい頃はあんなにも満たされた気持ちでクリスマスを待っていたのに。サンタなんて私の家には来ないと分かっている今、なにもクリスマスイブに特別なものなんてなかった。もう、なにもない。
この前、父が死んだ。交通事故だったそうだ。トラックと軽自動車の衝突なんだから、小さな軽自動車が勝てるはずもない。即死だったと、顔を強張らせながら警官がわたしに告げた。それが本当か嘘かは、警官の灰色の顔を見ればすぐに分かることだった。後悔を残したまま死んでしまった。小さなことでけんかをしてしまったままだ。ちょうど、今から1年前、クリスマスイブだった。
「お父さんは幸せじゃなかったの!?幸せだよって言ってくれるだけでいいのに。それだけでわたし、嬉しいのに。やっぱりお父さん、何も分かってない。おかあさんもいないし、わたしのこと分かってくれる人なんて誰もいないんだ。」
そう言い放った時には遅かった。お父さんは子供のように目を丸くして固まっていた。その後小さくごめんねと呟いていた。わたしは聞こえていないふりをした。
「もう出ていって!!!お父さんの顔なんて、見たくない。」
お父さんは一度私の顔をみたが、それから俯いて申し訳なさそうに出ていった。わたしのお父さんは、その日からずっと帰ってこなかった。
それからはお父さんのお姉さんに引き取られた。わたしへの扱いは良いと言えるものではなかった。当たり前だと思う。お姉さんはお姉さんで人生があるし、父親を失くした少女にどう接すればよいのか分からないのだろう。わたしをこの家に残してどこかへ行っている。月に一度、お金を置きに戻ってくるだけ。もう諦めていた。そういうものなのだと。
外から微かに歌声が聞こえた。近所の教会からだろうか。美しい歌声がするすると胸の中へはいってくる。その声がわたしを普通のクリスマスイブへと連れて行ってくれる。そんな気がした。目頭が熱くなる。止めようと思えば思うほど溢れてくる。ぽたぽたと枕に水滴を落としていく。
お願いします、サンタさん。またわたしに夢を見させてください。
「お父さんに、会わせて。」
絞り出すように出たその声は自分でもびっくりするほど弱々しいものだった。たった一瞬でいいから、クリスマスの魔法が欲しかった。泣きつかれたわたしは、そのまま目を瞑った。
どこからか、鈴の音が聞こえる。ここは、何処だろうか。夢とも現実とも言えない妙な感じがする。夢でも見ているのだろうか。目の前には光が広がっている。わたしは、光の方へ足を進めた。
コトッと懐かしい音が聞こえる。お皿をテーブルに置く音。周りにはクリスマスの飾りと小さな小さなツリー。目の前で椅子を引き、座る音が聞こえる。
「りんかは、幸せに生きてね」
耳に入ってきたその声は信じ難いものだった。低音で響く声。聞き間違えるはずがないだろう。ずっと願っていた。また、その声が聞こえるように。
前を向くとそこには、お父さんがいた。心臓が跳ね上がる。
「お父さん……」
「なんだ。」
まだたくさん話したいことあったんだよ。ずっと、待っていたんだよ。
「お父さんは、幸せじゃなかった…?」
お父さんは困ったように眉を下げ、少し笑う。沈黙。
「答えてよ。」
夢でもいいから。ただクリスマスが見せた魔法でいいから。答えを、教えて。
「幸せだったよ。りんかといっしょに過ごせて、本当によかった。」俯いたまま、そう言った。目を合わせることができなくなる。俯いたまま何の意味もなく机をじっと見た。
「お父さん、ごめんね。わたしお父さんのこと、大好きだったのに、あんなこと言って。ホントは違うの。ほんとは…」
詰まって、言葉が出なかった。涙がぽろぽろと落ちる。お父さんは席を立ち、そっとわたしを抱きしめた。お父さんの顔をみることはできなかった。肩に水滴が落ちる。そこで初めて、お父さんも泣いているということに気がついた。懐かしい。温かい。
「俺のほうこそ、ごめん。りんかのこと、分かってなかったのかもしれない。帰ってこれなくてごめんね。ほんとはクリスマスケーキ、買ってたんだけどね」
「うん、うん」
涙で声が震える。
「途中でトラックに轢かれたんだ。クリスマスケーキ、食べたかったよね。ごめんな、こんな父親で。」
言葉が出てこなかった。ずっとふたりで泣いていた。
その後、2人でチキンとケーキを食べた。他愛のない話をして笑い合った。この前の夏休みの話や、最近食べたもの、好きなケーキの味、昨日したこと、全部全部話した。お父さんは笑いながら聞いてくれた。2人でいっぱい泣いていっぱい笑った。今までの空白を取り戻すように。
瞼の裏が眩しい。鳥の鳴き声が聞こえる。ハッとなって飛び起きるとそこにはいつもの光景が広がっていた。静かな寝室。誰もいない部屋。冷たいベッド。わたしは、スリッパをはいて、リビングへ移動した。
テーブルにジャムを塗っただけの食パンを置く。
「いただきます。」手を合わせた瞬間、わたしは信じられない物を見た。
懐かしい小さな小さなクリスマスツリーが部屋の端に置いてあった。そのそばには四角い箱も。履いたスリッパを脱ぎ捨てて駆け寄る。床が冷たいなんてことは全く気にしていなかった。
そっとツリーに触れる。本物だ。四角く白い箱を慎重に開けた。甘い香りが漂う。そこには、ショートケーキが入っていた。心臓の鼓動が早まる。お父さんが生きていた時には、ショートケーキが好きだなんて言ったことはなかった。お父さんがチョコレートケーキが好きなのでなんとなくそれに合わせていたからだ。ショートケーキが好きと伝えたのは、昨日見た夢だけ。じっとケーキを見つめる。そこに、ケーキを渡すお父さんも手が、見えた気がした。涙が溢れ出る。これは、悲しいだけの涙ではなかった。もう、お父さんはいない。それは変わらないけど、
「大好きだよ、お父さん。」
返事は、帰ってこなかった。