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藤夢 其の捌
「太宰さん!」
「なんだい、芥川くん」
急ぎ足でヨコハマの街中へと向かう私に、芥川くんが息を切らしながらも追いついた。
私は歩を緩める。
「先ほどの、蝶壺との会話の意味は」
先ほどの会話──嗚呼、あれか。
『見ている月は、同じ月?』『恐らくは。ほどは雲居に、巡り合う、まで』
「あれはね、答え合わせだよ。異能の解除方法の、ね」
「?」
芥川くんが訝しげに眉を顰めた。
意味がよく理解できなかったらしい。確かに、この子が知っている可能性は低いか、と私は思う。
「昔から、“同じ月を見る”というのは“同じ思いです”ということだ。
そして、私が蝶壺に対し、一番最初に尋ねた、“人は眠っていても聞いているでしょう?”という言葉と合わせて考えると、“眠っている彼らを起こすには、彼らの思いと同じものを聞かせる必要があるのですか?”と私は尋ねたことになる。
そしてそれに対する返し……あれは、“どんなに遠く離れていても”という意味の、ある有名な短歌の一節なんだ。つまりは、“イエス”ということだよ」
「なるほど」
芥川くんは頷いた。矢張り、この子は理解が早い。……理解したものを使いこなすにはかなりの練習を要するが。
「彼らの思い……つまりは、悩みを解決するような言葉なのだろうね」
「……太宰さん」
「なんだい?」
「|僕《やつがれ》はなんと、人虎に云えば良いのでしょう」
そう言い乍ら視線を彷徨わせる姿は、私に拾われてきた当初の姿を思い起こさせた。
自分の道がはっきりとわからない迷子のような。
私はそれにくすりと笑うと、歩みを止めて芥川くんに目を合わせた。
叱咤されると思ったのか、芥川くんが体を硬くする。
「私にも其れは解らない。けれど、蝶壺と藤式部は其の答えを教えてくれた。
“同じ思いですか?”と私は聞いたんだ。私と彼は、同じ思いなのか、とね」
「、 」
彼ははっとしたように此方を見た。
何かを迷うように外套を握りしめる。
だが、数秒後には彷徨わせていた視線を確りと上げ、頷いた。
言うべきことが定まったようだった。
私は其れを確かめると、手を彼の肩においた。
偶には良いだろう。若い者を激励するのも歳上の仕事だ。
「!」
「頑張ってね」
「……太宰さんこそ」
「あは、一寸耳が痛い」
いつのまにか、私たちは森を抜け、街の中に入っていた。
右に行けばマフィアの本拠地が、左に行けば探偵社がある。
私たちはそれぞれの場所へと向かった。
---
嗚呼、疾くしなければ。
そう思っても、体の弱さは変わらぬもので。
羅生門を使っていても、直ぐに息が切れてしまう自分が恨めしい。
息も絶え絶えに、どのくらい移動した頃だろう。
「ゴホッ……、!」
建物の屋上から、探偵社の入るビルディングが見えた。
其の三階の窓の一つが開け放たれているのが見える。
(彼処か)
羅生門を使い、其の窓枠に足をかける。
清潔な白い|遮光布《カーテン》の向こうに、これまた白き姿が見えた。
音を立てても起きないと解ってはいるが、出来うる限り静かに降り立つ。
「……」
人虎は|寝台《ベッド》の上に寝かされていた。
其の首筋には、噂通りの藤の跡が付いている。
其の寝顔は、人形のようだった。
そっと近くへ寄る。
|僕《やつがれ》の言葉で、本当に目醒めるのだろうか。
此処に来るまでにもたげた疑問が再び頭を占める。
けれど。
『同じ思いですか?』
太宰さんの答えに、主犯の女は肯定を返した。
貴様と、思っていることが合致しているのなら。
それなら。
「────────」
此れが如何か、聴こえているように。
---
ポート・マフィアの黒いビルが見えてきた。
其れを視界に収めた頃、私は或る人物に連絡を取っていた。
私は仮にも裏切り者だ。
それなりの手引きというものが必要である。
ビルの真下に着いた時には、其の人物は私を待っていた。
「遅いぞ、太宰」
「すみません、姐さん」
手引きを引き受けてくれたのは紅葉姐さんだった。
時間は夜。赤い傘を差さない姿は久しぶりに目にした。
「行くぞ」
姐さんはくるりと踵を返して中に入ると、|昇降機《エレベーター》の釦を押した。
人払いをしているのだろう、ボーイや警備の者は目につくところには居なかった。
案外|昇降機《エレベーター》は早々にやって来て、私たちはそれに乗り込む。
姐さんが口を開いた。
此方には目もくれない。
「中也がこうなったのは、悩んでおった故のことなのじゃろう?」
「……そうですね」
「こうなってから、|私《わっち》は首領を問い詰めた。聞くに、彼奴は胃薬や睡眠薬を処方されておったそうじゃ。それも、随分と前から」
「……」
姐さんの声色は変化していないが、静かな怒りを湛えているのが空気でわかる。
其の怒りは、恐らく自分自身に、中也に、そして私にも向けられているのだろう。
「それが、お主等がムルソーから帰って来てから。もっと云えば、澁澤の件で汚濁を使ってからだとすれば、どう思う」
「……」
どちらも、自分と深く関わった頃だった。
「太宰、中也がお主の言葉で目醒めると、本気で思うておるのかえ?」
姐さんは静かな怒りを発散させつつ、此方に目を向けた。
「|私《わっち》は憤っておる。自分に、そしてお主にの」
「……知ってます」
「なら……」
「ですが」
「然うだとしても、私は伝えたいことがある」
此れは自己満でしかないし、彼が言い返せない状況で言うのは卑怯でしかないけれど。
漸く気が付いた、自分の気持ちを一度で良いから伝えたかった。
其れで彼が目醒めることが無いとしても。
彼が同じ気持ちで無いことなどわかっている。
然うだとしても、私は口に出したかった。
私は姐さんに負けないほどの強さを目に湛えて言った。
姐さんは私の目を見ると、ふいと目を逸らした。
「お主は、卑怯じゃな。そして、|私《わっち》も」
そう言うと、姐さんはふうっと息を吐いた。
「彼の子の悩みを、一度だけ聞いたことがある。」
「『彼奴は、どうしようもない放浪者で、社会不適合者で。俺のことなんて取るに足らない駒とでも思ってたんでしょうね』── |私《わっち》は何も云えなかった。此れを聞いたのも、随分と昔の話じゃ。|私《わっち》にとっては、の」
放浪者、社会不適合者。どちらも私を罵倒する時に、彼が使う言葉だった。
取るに足らない駒。
私がいつそんなことを言った?
莫迦も休み休み言って欲しい。
でも、きっとそう思わせたのは私なのだ。
どんな叱責も甘んじて受け入れよう。
「『俺が相棒であるか否かは、彼奴にとって下らないことだから』──不憫な彼の子に、そう言わせたのは太宰、お主じゃろう!?」
姐さんは、きっと此方を睨みつけた。
『俺が相棒であるか否かは、彼奴にとって下らないことだから』
──嗚呼、君はそんな風に思っていたの。
そんな意味ではなかった。
『そんな単純で下らないこと考えてる暇があったら、さっさと敵を殲滅してきなよ』
過去の自分の口下手さが恨めしい。
相棒であるか否か。そんなわかりきったことなど訊くな。僕たちは、相棒だろう、と。
そう言う意味で言ったのに。私はなんと言葉が足りないのか。
「そうです。だから、其れを改めさせて欲しい。どんなに卑怯で、不躾でも」
そんな言葉が足りない私に、其の言葉の継ぎ足しをさせてほしい。
今からでも、其れが間に合うのなら。
だから、私は君を守る砦のこの人に、会う許しを乞うているのだ。
「どうか、お願いします」
私は頭を下げた。
真剣なこの気持ちが、どうか伝わって欲しいと思い乍ら。
姐さんからは、今はもうなんの空気も感じられなかった。殺気ですらも。
「……|私《わっち》が言ってはいけぬことじゃろうが……彼の子は、相棒以上の繋がりを欲しておった。それでも、鈍い相手に其れが知られぬようにと隠し続けておった。
相手が勝手に、此処を出て行きおってからも……
お主に、今後を懸けて其れを満たす覚悟はあるのかえ」
姐さんの表情は、この体勢では見えない。
「ええ」
|昇降機《エレベーター》が開いた。中也の執務室が有る階だ。
「そうか……」
姐さんはそれからはもう何も言わなかった。
|昇降機《エレベーター》が閉まる直前に聞こえた嗚咽は、聞かなかったことにすべきなのだろう。
---
黒い扉を開けると、普段は|長椅子《ソファ》が置かれているのだろう場所に、簡易|寝台《ベッド》が置かれていた。其の上に、中也が眠っている。
「ッはは。これじゃあまるで澁澤の時と逆だ」
ふと、私が仮死状態になり、君が私を殴って目覚めさせた時のことを思い出した。
あの時は白雪姫と言ったが、今回は例えるなら眠り姫だろうか。
(目醒めのきっかけは、接吻ではなくて言葉だけれど)
『眠り姫』では、王子を手助けした妖精はこう言ったらしい。
『どうすれば良いのか、考えなさい』と。
(私はもう考えた)
自分でも卑怯だとは思っている。
けれど、真剣なのは、何に誓っても偽りではないから。
先ほど姐さんに言われたことを思い出す。
自惚れかもしれないけれど、思っていることは同じなのかもしれない。
少しくらい期待させて貰っても良いだろうか。
「──────」
私らしくない台詞になってしまったのは勘弁して欲しい。
---
僕は、不安だった。
彼奴に、引き合わされただけの僕が相棒として思われているのかどうか。
俺は、厭だった。
彼奴には駒としか思われていないと言うのに、こんな想いを抱えてしまっている自分が。
悩んで、悩んで。
でも、何も分からなかった。
消してしまおうとして。
けれど、出来なかった。
だから、異能にかかった。
だから、異能に屈してしまった。
これが夢だと気付いたのはいつだろう。
何故か、気付いてしまった。
自分に信頼を向ける彼奴が、
自分を大切にしてくれる彼奴が、
どうしようもなく辛くなった。
だけど。
『貴様は|僕《やつがれ》の相棒だ』
『愛しているよ』
嗚呼、これが本当なら。
((この夢から、目醒めたい))
僕は、俺は、差し込んだ声と光に手を伸ばした。
---
「ッ……んぅ……?」
「中也ッ!?」
声に手を伸ばしたところで目が醒めた。
耳馴染みの良いテノールが聞こえて横を見る。
「嘘、合ってたの……!」
「は?」
此奴にしては珍しく狼狽しているらしく、声が震えている。
「否、私が|先刻《さっき》言ったこと」
其の言葉を聞いて、夢の中で聴いた声を思い出す。
言われた言葉を頭の中で再生するうちに、頬が熱を持っていくのがわかる。
ちらりと太宰の方を見ると、此方の熱が伝わったかのように、頰を僅かに染めていた。
「……手前にしちゃ」
「わ、言わないで! 私らしくないのは分かってるから」
「え、」
「なに?」
「ほ、本気だったのか」
「は」
俺の言葉に太宰が間抜けな声をあげた。
言われた言葉の意味が分からない、と言った様子だ。
「え、嘘なわけないじゃない」
きょとん、という擬音が合いそうな仕草で首を傾げる太宰。
なに言ってるの君、と聞こえてきそうな顔を見て困惑する。
「いや、だって……」
「待って」
俺が理由を口にしようとすると、太宰が遮った。
額を抑え、気まずそうな顔をしている。
今日は表情豊かだな、と思い、少しばかり嬉しさが湧く。
「先ず、君の認識を変えさせて欲しい。君は、私に駒だと認識されている、と思っているのだろう?」
「ッ!」
理由として挙げようとしたことの一つだった。
こうも相手に言葉にされると、それなりにメンタルにくるものがある。
当たり前だろ、と返そうとすると太宰がまたしても遮った。
「違う。私は、君のことを駒だなんてこれっぽっちも思ってないし、相棒だと思ってる」
そう言うと、太宰は話し出した。
昔、自分が言ったことへの訂正と謝罪。
其れは、俺が思っていた鎖を少しずつ溶かしていった。
言葉が足りなかった、と力なく笑う此奴に、吹き出してしまう。
「一寸、なあに?」
「否、何でもねェ」
(嗚呼、でも良かった)
そう言う意味で、此奴が『愛しているよ』と言ったのなら。
此奴はこれ以上、俺に縛られることはない。
探偵社とマフィアが仲良くするなど、言語道断なのだから。
ましてや、恋仲になど。
抑も男同士なのだし、この気持ちは伝わらないままがお互いのためだ。
そう思っていたと言うのに。
「あと、もう一つ。言わせて欲しいことがある」
「この言葉で合ってるのか分からないのだけれど……中也のことがすき」
俺の目を真っ直ぐに見据えながら、此奴は願ってやまなかった言葉を口にした。
現れるはずがないと、とうの昔に諦めた未来だった。
「なん、で」
今にも、冗談だよ、そんなこと言うとでも思った? なんて返してきそうで恐ろしかった。
けれど、此奴は言葉を続けた。
「今回のこの事件、私は本当に怖かった。二度と中也が目覚めないんじゃないかって。考えてるうちに気がついたから。私が中也に向けているのは、“愛”なんだってね」
自分でもよく分かってないけど、と付け加える太宰。
だから──と続ける。
「中也、君が教えてくれないかな」
「、 」
息が止まる。
「君にこんなに悩ませていたことに気づきもしなかった自分が恨めしいし、こんな状況で告白する自分の卑怯さにも嫌気がさすけど──」
「私と、付き合ってくれませんか」
其の言葉を口にしているのは誰だ。
其の真剣な目を俺に向けるのは誰だ。
それが太宰だと認識した時、俺は同時に、自分の頬に何かが流れていたのを知った。
「え、中也? ご、ごめん泣くほど嫌だった!? そうだよね、ごめん」
俺は、慌てる太宰に首を振り、その砂色の|外套《コート》を引っ張った。
突然のことに僅かにバランスを崩す太宰の胸に飛びつく。
普段の自分ならこんなこと絶対にしない。
けど、今日くらい、こんなことがあった日くらい良いじゃないか。
「喜んで」
俺の小さな返事に、太宰は驚いたように肩を跳ねさせた。
其の数秒後に感じた、背中の暖かさと重みにこの上ない喜びを感じる。
お互いに一歩踏み出したばかりの二人が、窓に薄く反射していた。
---
「ッ……?」
「人虎……!?」
瞼の奥に光を感じて目が醒めた。
それと同時に、先刻まで夢の中で聴こえていた声が耳に届いて。
「へ?……ふぁっ!?」
「五月蝿い……耳に響く」
自分が寝かせられていたらしい|寝台《ベッド》の横に、芥川がいた。
体を起こし、周りをきょろきょろと見渡す。探偵社の医務室のようだ。時間は夜。
ふむ。
「いや、えぇえっ!」
「だから五月蝿いと言っているだろう」
「なんでお前此処にいるのさ!」
そりゃあ吃驚もするだろう。
敵対組織(今は停戦協定を結び、比較的友好な関係だが)の奴が隣にいるのだから。
しかも、自分の相棒が。……彼奴にどう思われているのか知れないが。
先刻の夢で光と共に聞こえた声を思い出す。
(あれが本当に言われた言葉だったら良いのに)
そう考えてしまい、軽く落ち込んでしまう。
そんな僕を気にもせず、芥川は先程の自分の問いに答えた。
「貴様を目醒めさせてやったのは|僕《やつがれ》だと云うのに、何で、とは。恩知らずめ」
「へ」
目醒めさせてやった? 僕が目醒めたい、と思ったのは夢で聞こえた声のお陰なわけで……
「『貴様は|僕《やつがれ》の相棒だ』と言ったではないか」
真逆、覚えていないのか? と首を傾げる芥川。
意味が分からん、みたいな顔をされても、僕の方が意味が分からないよ。
「僕の深層心理とかじゃないの!?」
「何故そうなる」
芥川が頭が痛い、とため息を吐いた。
(だって、お前がそんなこと言うわけないじゃないか)
人の脚を初対面で喰い千切り、その後の共闘でも憎まれ口ばかり叩くような奴が、そんなことを言うとは思えなかったのだ。
でも、言ってくれたと云うことは。
「だって、お前何も言わないじゃないか」
「其れは──貴様も同じように思っていると、ばかり……」
目を泳がせながら小声で言う姿に、ふは、と笑ってしまった。
むっとする芥川に、謝罪を返しながら思った。
結局、自分たちは言葉が足りなかったのだと。
此奴は思っていることを言おうとしなかった。
僕は、悩みをぶつけなかった。
けれど、お互いに“相棒”なのだと、擦り合わせができたのなら。
これからは悩みを抱えても、大丈夫だろう。
仮に同じように壁にぶち当たっても、話をすれば、きっと。
「ははっ……宜しくな、相棒」
「……此方こそ」
二人ともが、相棒だけでは説明できない感情を持っていることは。
空にある月しか、まだ知らない。
了
・
どうも、眠り姫です!
やった……やったぁ!
終わったぁ!
真逆の文字数約7000! 二倍! でも終わった! 嬉しい!
書き切った感があります!
(感嘆符多めだな)
あ、紫が初めてあとがきに現れた
(どうも、もう一人の主、紫です)
詳しいことは日記にあります
ってそれはさておき
満足です! まあまだ書く気でいますけどね!
特に太中! 紅葉姐さんグッジョブ!
もしかしたら今度番外編とかをあげるかもしれません。
でもひとまず藤夢編は終了です!
ここまでこの話を見届けてくれた方々、ありがとうございました!
また、私の小説たちを見てくれると嬉しいです!
そして! リクエストを募集中です
この文豪を今度出して欲しいと言うのがあればお寄せください!
どなたでも歓迎です
では、ここまで読んでくれたあなたに、私からの心からの感謝と祝福を!