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夜間の出撃要請
「皆さん! 起きてください!」
突然のイバネスの大声により、モルズたち雇われの傭兵は跳ね起き、各々の武器を取った。
「どうしたんだ?」
双剣を構えた男が聞いた。
「王都が魔王軍に襲われました。総数、一万以上。騎士団はほぼ壊滅状態です」
「どうか、どうか……救援を、お願い、します……」
息も絶え絶えといった様子でそう懇願したのは、王都からここまで走ってきた伝令だ。
「報酬は」
だが、|傭兵《彼ら》は情だけでは動かない。
「……参加のみで金貨三十枚。追加報酬は、皆様方の働きで決めさせていただきます」
「そ、それは……!」
イバネスの傍らに転がる伝令が、それは許容できないといった様子で声を上げる。
金貨三十枚。それだけあれば、半年ほどは食べるものに困らない生活ができる。
ましてや、この戦争に参加する傭兵の数は三百以上。その全ての報酬を用意するとなれば、かなりの額となる。王国の財政が傾くとまではいかないが、余裕のある政治はできなくなってしまう。
それに報酬を上乗せするのだ。国の出費は無視できないものになる。
「ふむ……最低報酬がちと安すぎるが、引き受けよう」
「俺もだ」
「私も」
「やってやろうじゃねぇか!」
「やるか」
半年分の食費。それは、命を賭けるのには安い。安すぎる。
だが。これまでの依頼により培ってきた信頼。王国は必ず約束を違えず報酬を支払ってくれるという信頼。確かに一度雇用条件が変わったが、それはやむを得ないことであり、全員納得していることだ。
傭兵たちが期待しているのは参加報酬の金貨三十枚ではなく、追加報酬の方だ。
そして、それを必ず支払ってくれるという信頼があるからこそ、傭兵たちは動く。
これまで傭兵たちに誠実に接し続けてきたイバネスに対する信頼により、ここにいる総勢十名余りの参戦が決定した。
「皆さん……ありがとうございます!」
直立不動からの四十五度の礼。
イバネスの誠意がこもった態度を目にした一同は、
「良いってことよ」
「任せろ!」
「さあ、善は急げです。馬車の手配は終わっております。出発しましょう」
――騎士イバネスを中心とした十名余りは、戦意を漲らせ馬車に乗り込んだ。
◆
一方、その頃、別の場所では。
「起きなさい!」
「な、何かありましたか……?」
とある騎士の号令が響き渡り、傭兵がびくびくしながら飛び起きた。
「王都に魔獣が押し寄せてきました。行きますよ」
騎士――テトラは傭兵がついてくると信じて疑わない。
テトラが背を向けた時だった。
「ふ……」
傭兵の男――ヴィンが小さく呟く。
「だ、駄目だよ……」
気の弱そうな女が男を止めた。
「いいや、もう我慢ならねぇ」
ヴィンの拳が固く握りしめられる。
武器は寝首をかかれる危険性がある、と取り上げられた。だが、|テトラ《あいつ》をとっちめるにはそれで十分だ、とばかりにその拳が振りかぶられる。
「ふざけんな!」
ヴィンの拳が美しい軌跡を描き、テトラの頬に吸い込まれる。
流石傭兵、とでも言うべきか、テトラの体はそのまま一メートルほど吹き飛ばされた。
「くっ……な、何を……」
テトラは不可解そうにヴィンを睨んだ。
「何を? ふっ、反抗だよ。俺たちが今までお前にやられてきたことをやり返すんだ」
鼻で笑われたテトラは、怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「そんなことをやって何になります? 私たちはこれからたくさんの魔獣と戦う仲間でしょう!」
「仲間? 俺たちにお前は何をした?」
ヴィンの脳裏に、今まで受けてきた数々の仕打ちがよぎる。
「力の差を分からせるためだと言って、俺たちを一方的に痛めつけた!」
私とあなたたちの間には、決して埋められない力の差があるのです。
そう言われ、一人ずつテトラと戦わされた。
案の定勝てるはずもなく、圧倒的な力の差によって心を折られた傭兵たちは、テトラに|唯《い》|々《い》|諾《だく》|々《だく》と従ってきた。
「危険な魔獣と戦う時、俺たちばかりに危険な役回りをやらせた!」
曰く、|騎士《自分》と|傭兵《あなたたち》では命の価値が違うと。
魔獣の攻撃を受け止める役は傭兵にやらせ、自分は安全圏からチクチク攻撃していた。
「ここで生活する時もそうだ、身の回りの雑用は全て俺たちに押しつけていた!」
衣食住のうち、食事は専用の仕事の者が用意してくれるが、衣服と住居はその限りでない。
服が汚れたら自分たちで洗濯しなければならないし、住居だって自分たちで掃除しなければならない。
テトラは、その全ての作業を傭兵に押しつけ、その隣で自らは悠々自適に紅茶を嗜んでいた。
「もう我慢ならねぇ! 俺たちは王国を見捨てる!」
「そ、そんなことが……!」
テトラは怒りで声が出ないといった様子で、口をパクパク動かしていた。
一度深呼吸し、多少は怒りが収まったのか、
「そんなことが許されるとでも、思っているのですか!?」
それは、言外の脅し。
「こんなことが許されるわけがない。今なら最悪の手段に打って出ることはないから、ここでやめておけ」と。
その証拠に、テトラの手が腰に|佩《は》いた得物に伸びかけていた。
もしこれが抜き放たれたのなら、ヴィンは圧倒的な実力差によって完膚なきまでに叩きのめされていただろう。
「許す許さないの話じゃないし、俺たちはお前に許されようとも思ってねぇ。これは、復讐だ」
「復讐は何も生みません!」
「何も生まない? そりゃそうだろ、負債の返済なんだから」
ヴィンの正当な感情論と、テトラの薄っぺらい正論。
二つの正反対の言い分による議論は、平行線のまま進んでいく。
あるいは、議論ですらないのかもしれない。
ただただ己の言い分を伝えたいヴィンと、己を正当化するために喚き散らすテトラ。
両者に相手と和解するという選択肢がない以上、話し合いは平行線を辿る他ないのだ。
「……分かりました。後悔したところで、もう遅いですよ?」
テトラの手が腰の剣に伸びる。
一応あれでも代々騎士を輩出し続けている家の出身だ。剣を抜けばヴィンなどの傭兵では手も足も出ない。
――が、それは互いに一人だった時の話だ。
ここにいる傭兵はおよそ十人。
各々が先ほどのヴィンの話を聞き、戦意を漲らせていた。
対して、騎士は――テトラの味方はテトラただ一人。
「悪いな。これが|傭兵《俺たち》の戦い方なんだよ」
テトラをズラリと囲むのは、ヴィンたち傭兵。
一人で勝てない敵は、複数人で囲む。
テトラを一人の人間ではなく、復讐すべき敵として認識し、手段を選ばなくなったから採れる策だった。
「汚いですよ……!」
正々堂々をモットーとする騎士から見れば汚いに違いない、とヴィンは笑う。
一対多。しかも一対一で話していた延長上での出来事だ。テトラの目には、ヴィンは一人の人間を複数で袋叩きにする人としての風上にも置けない人間に写っているのだろう。
「汚い? いいや、確実に勝たないといけない|敵《相手》に死力を尽くさない方がどうかしてる」
実際、テトラは剣を持ち、ヴィンたちは素手だ。
数的有利があるとはいえ、武装の差は大きい。
文字通り死力を尽くして戦わなければ勝てないだろうし、手加減なんてしている暇はない。
「殴れ!」
「これまで散々俺たちを馬鹿にしてきた罰だ!」
傭兵がテトラにわっと群がり、テトラを殴りつけていく。
抵抗しないようにするためか、特に手足に重点的に打撃が加えられた。
「……ぁ、ぐ」
「とはいえ、騎士様を殺すと俺たちがお尋ね者だ。このくらいでやめておくか」
「私、をどうする、つもりですか……」
「別にどうもこうもしねぇよ。|騎士《お前》が|傭兵《俺たち》をコケにしたことはこれでチャラだ。まあ、これから先|王国《お前ら》の依頼を受けることはないだろうが」
ヴィンが言いたいことは全て言い終わったし、やりたいこともやり終わった。
「じゃあな」
これ以上テトラを痛めつけることもせず、ヴィンたちは小屋の外へ出ていく。
仲間の死が日常である傭兵にとって、嫌な思いをスッパリ割り切ることが大切だ。
とりわけ今は戦争中。たとえどんな極悪人、大罪人だろうと戦力になるのなら枷をつけた上で使った方が良い。
ならば、ただ少々傲慢なだけの騎士など、生かしておいて後にいくらでも利用すべきだ。
――ヴィン一行は、王都とは真逆の方へ進んでいく。
目的地は未定。風の吹くままに。