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3-4 改編
――事件が起きても、世界はいつも通り回る。たとえ組織の副団長と敵対しかけても。
すれ違う人は俺を気にしないか、顔見知りなら挨拶してくれる。どこにも非日常の気配は感じない。
夜、カーテンを閉じながら、俺はこれからの日々について考えた。
主神に会う。会って、一発殴る。その後、元気か聞く。邪神との約束はできる限り守りたい。
そうしたら、魔神に対処する。倒せなくても良い。永遠に解けない封印をかけるとか、起動条件を把握して絶対に起動しないようにするとか、他に方法はいくらでもある。
そうして、世界から脅威を取り除いて――俺は、何をしたいんだろう。
ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
天井に手を伸ばす。いくら手を伸ばしても、天井は掴めなかった。
「――っ」
魔力が俺の周囲に展開される。空間がねじれ、つながるはずのない場所がつながった。
俺の体が自動で転送され始める。転移先は魔界。
今ならまだ、転移を止められる。書き換えられた座標を元に戻してやれば良い。
しかし、俺の魔力は動かなかった。
――楽しそうだな。
そう思ってしまったから。
何が起こるか分からない未知の場所。転移した先には、一体誰がいるのだろう。
ワクワクが止まらない。
今の状況で俺が姿を消すのは悪手だ。ルーカスの疑念を加速させてしまう。
それでも、たまには何も考えずに動きたい。
俺は、転移させようとする力に身を委ねた。
◆
「お久しぶりです。呼び出しに応じていただけて助かりました。フィンレーの元に行くのは自殺行為ですから」
「帰る」
「お待ち下さい!」
なんで何も考えたくないのにこうなるんだよ。俺は邪神との約束も俺の目的も全部忘れて、全く未知の状況を楽しみたかっただけなのに。なんでアシュトンがいるんだ。
周りには当然のようにモンスターがいる。
力は少しだけだが回復した。効率を考えて動けば、十分|殺《や》れるはず。
脱力。倒すのに最適な順番を考える。決めた。
最初の獲物に向けて一直線に地面を蹴る。
頭を吹き飛ばした。これで一体。
続けて、横並びになっている二体へ狙いを絞る。心臓を抜き取った。
四体目、首筋を狙う。首を掻っ切るのが狙いだ。
ところが俺の手が届く寸前、モンスターは消えた。
アシュトンは胸を撫で下ろしている。
「被害は三体……戦闘データと引き換えと考えれば、安いでしょうか」
冷静な判断ができる辺り、感情に振り回されているわけではなさそうだ。
「話は聞こう」
両手を挙げ、武器を持っていないことをアピール。
俺の前からモンスターを消したことに、俺と対話または交渉する意図を明確に感じた。話を聞くぐらいはしても良いだろう。
「ありがたい。さて、どこから話したものか……最初から……いやフィンレーがどう言うか。うん、彼はどうせ幹部候補だし良いでしょう」
アシュトンは小さくつぶやき、思考を整理する。何か引っかかる単語が聞こえた気がしたが、よく聞き取れなかった。
「前提から話しましょう」
アシュトンはたっぷり一呼吸おいて、
「私たちとフィンレーたちは裏でつながっています」
は? じゃあ、あのルーカスとの会話は? 全て茶番? アシュトンたちと敵対して、モンスターを倒したのも――全部?
裏でつながっている――何の目的で? 世界の支配なんていう目的なら、フィンレーとルーカスで達成できるはず。
一番可能性が高いのは、やはりフィンレーが見せた魔神だろう。あれは個人でどうにかできる代物ではない。
それなら、なぜ組織を分けた? 表立って一つの組織として活動した方が動きやすいのではないか。
前提が崩れ、世界は一変した。
その動揺と混沌を飲み込んで、俺はアシュトンの話の続きを待つ。
「私たちの目的はただ一つ。魔神を倒すこと。魔神はご存知ですか?」
「ああ。フィンレーに見せてもらった」
「あれを放置してはいけません。世界の滅びを招く――私たちの長とフィンレーはそう考え、それぞれの組織を設立しました。
私たちは魔界を、フィンレーは人間界をそれぞれ支配し、魔神を倒すための手立てを探っていくことになりました。それが現在です。ご理解いただけましたか?」
「ああ、しっかりな」
「それを踏まえて伺います。私たちに協力して下さいますか?」
フィンレーではなく、アシュトンの方につく。その意味……本質的には同じ組織なのだから、所属を変えても理念は変わらない。
それでも所属を変える意味――俺の自由度? フィンレーの元ではどうやっても自由に動けない。アシュトンの元でもそうだろうが、魔法も自由に使えるし、邪術だって隠す必要がない。もう見せているからだ。
アシュトンの勧誘の意味を理解し、答えを述べる。
「この先、モンスターを一切使わないなら」
自分の要求を包み隠さず伝えた。これで駄目ならそれまで、やる気があるなら考えても良い。
「…………それは、私の一存で決められることではありません」
「ならやめだ。この先、お前らの言う長が直接出てくるまで、俺はお前らの交渉には応じない」
「そこをどうか! すぐにとは言えませんが、あなたの望む通りになるよう努力します。ですから、考えていただけませんか」
「駄目だ。俺は譲歩した。本来なら迷わず敵対しているところだが、その目的に免じてな」
アシュトンは歯噛みして、
「数日……いや三日。三日以内に結果を出します。我々の組織に加入していただけませんか、『ノル』」
ノル。アシュトンのその言葉を聞いた瞬間、俺の心がざわついた。俺の深いところを無断で覗かれているような……本能的な不快感。
俺は即座に自分自身の情報へアクセスした。
――名前を媒介して、俺の中の『ノル』という領域に保存されている情報がいじられている。
俺の決定が書き換えられ、人間性が穢れていく。
まずい。書き直さなければ。
「ぐっ」
堅い。まるでこのために何年も時間をかけてきたかのような硬さだ。魔法じゃないな。となると、虚無か? あの資料を書いたのは、アシュトンの組織の者の可能性もある。
効果が現れるまでの時間も非常に短く、一瞬で解除するのは無理だ。
月が顔を出した。――緊急接続。
『俺』という存在が奪われないためには、『ノル』ごと消してしまうしかない。
俺が使う邪術は、全て他の誰かが使っていたものを簡単に扱えるようにしたものだ。切り取るところを変えれば、真逆の性質を現すこともある。
――邪術『|名付け《フォルネウス》』改編開始。
元の効果は、名前を付けることでそれまでとは隔絶された新たな領域を作ること。
名前で領域を縛ることはそのままに、作ることと消すことを反転させる。
「できた――後は」
己の手のひらに文字を刻みつける。
「タイムリミット……『|名はいらない《フォルネウス》』っ!」
消去するのは『ノル』に記録された全ての情報。そして、アシュトンからの干渉。
俺の記憶はティナと出会ったところまで巻き戻り、そして――
「干渉が断たれた……? 一体なぜ」
俺は手のひらに痛みを覚えて、そこに刻まれた文字を目にした。目の前に立つ初めましての相手に、警戒しながら声を掛ける。
「お前は誰だ?」
男は、戸惑った表情のままなかなか答えない。
答えを待つ間、俺は手のひらの言葉の真偽を確かめるため、邪神の権限を使って俺についての情報を閲覧した。
確かに、『俺』という領域には大きな情報が保管されていた痕跡がある。手のひらの文字が本当なら、もう一つ領域があったのだろう。
前半は嘘ではない。では後半は?
――『名前を消した。そいつは敵だ』
そう刻んだのは、本当に前の俺なのか?
次回予告。
ノルが『ノル』として定義される前、まだ名無しで、ティナと出会って『ノル』と名乗り始めた頃までの記憶を残して、『ノル』は消え失せた。
右も左も分からない中で、アシュトンとの会話は続く。
「私はアシュトンと申します。あなたを組織に勧誘するために参りました」
次回、3-5 それぞれの信念