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23 祈 (エピローグ)
『今は昔、~』のエピローグです。
≪しかし、結果的だとはいえ、動けるようになってよかったね≫
霧は空をひどくけぶらせているようだが、遠雷が聞こえてきた。霧で隠されている雲の色は徐々に黒くなっていっているに違いない。
「まあね。理由はぼくにもよくわかんないんだけどさ。たぶん、高温であぶられたから身体が柔らかくなったんだろうって思ってるよ」
≪微動だにできないよりかはいいよね。ずっと立ちっぱなしも疲れるもんだろう?≫
「どうだろう。あの頃は疲れとか感じなかったし」
それに〝儀式〟とやらの際、入念な水責めも関与しているんじゃないかと思われる。服を着たまま洗濯されたようなものだ。薄汚れた着物は、色を取り戻して明るさを手にしている。節に詰まった細かい泥の粒子が水で流され、火にあぶられたことで柔軟性を手に入れた……と、ぼく自身を納得させている。
「でも……」
ぼくは瓦礫撤去作業中だ。落ちないよう、足元に注意しながら残骸たちに目を配る。
「これ、故郷を失ったようなもんだよね。祠は大破するし」
≪いやぁ。我ながら名案だと思ったもので≫
彼の声は、自画自賛の匂いがする。≪君のサプライズのためなら、祠の一つや二つ、犠牲にするのは容易い≫
「勝手に壊していいものなの、これ。もし今帰ってきたら、どうするつもり。『守り神』だってこれはさすがに文句の一つや二つ言うと思うけど」
≪気にしないでしょ、別に。『形あるものいつか壊れる』は、あいつの口癖みたいなものだから≫
「そんなもんかな」ぼくは気のない素振りで背中を見せる。「あ、でも、ぼくの場合、もう一つあるのか」
≪……もう一つ?≫
そんなのあったけ?――みたいなトーン。
「真偽はどうあれ、昨日訪れたところもぼくの故郷みたいなもんでしょ。ここみたいに霧深い山奥でさ、今はもう壊れてないけど、祠があったし」
≪ああ、あそこ。もうないと思うけどね≫
「あそこはとてもよかった。ここみたいに雰囲気が良くてね。障子じゃなくて格子戸っていうのかな、四角い隙間から月ひかりで黄色くなった霧が祠の中に入り込んできて……ん?」
しゃべっている途中に聞き返す。「今なんて?」
≪あれ、俺なんか変なこと言ったっけ。ああ、|もうない《・・・・》って言ったかも≫
「……そんな危ない状況だったか? っていうか、山火事があったっていっても、まだ半日も|経過し《たっ》てないだろうし」
≪言っておくけど火で壊滅はないよ。まあ発端はそれだろうけどね≫
つい首を傾げてしまった。「どういう意味?」
≪えーっと、ちょっと待ってね……お、ちょうどいいね。号外が出てるみたいだ≫
突然辺りの風の勢いが強くなり、途端に弱くなる。
ひらりと空からペーパーが降ってくる。主の失った空飛ぶ絨毯、のらりくらりと霧の隙間を通り、高度を下げてくる。
≪これを読めばわかるよ≫
「号外……何の?」
≪読めばわかるよ≫
彼は理由を話してくれない。何を聞いたところではぐらかしの言葉を返してくる。いいからいいから、読んでみって。
見出しを読む。えーっと、なになに? 栃木県A村、突如として湖ができる。半径十数キロのクレーター、水深不明……。
「クレーター?」
≪ああ≫と彼。
「クレーターって、あの?」
≪うん≫
「夜に浮かぶ、月の?」
霧のなか、彼は説明する。
≪君を助けたあと、あの地では雨が降ってね。自然鎮火したらしいよ。その後も雨は降り続いて、それで湖ができたみたいだね≫
「……地割れでも起こったっていうのか」
≪地割れ? ああ、大地の化身のことか。違うよ、これは彼女の仕業さ≫
「その、『彼女』って誰だ?」
ぼくは素直に尋ねた。ため息っぽいものが霧から吐かれた。
≪合点が言ってない様子だね。というより未だ彼女が誰のことを指しているのかもよくわかってない……≫
「当たり前だよ。ぼくはその彼女と面識がないんだから」
≪それだよ、それ。彼女、まだ来てなくて良かったね、君、命拾いしてるよ。俺は人間たちには無知を知ってほしいと思ってるけど、このような無知は求めてないんだよね≫
「なんだ?何の話だ? 彼女に会ってるのか?」
≪ああそうだよ。それに会話もしてるはずさ≫
身に覚えがない――という顔をしていると客観的に思う。
≪彼女は忘却されるのが嫌いでね。それでよく来るんだよ、ここに。数日ごとに、あるいは毎日のように。俺のように二週間とか、一ヶ月とか間をあけたことなんてない。俺たちがこうして話すよりも前から、彼女は君のところに来て、会話をする時間を取るのさ。彼女が言うにはね、君はこう言ったみたいだよ。
『ぼくを助けてくれたら、君のこと大好きってことになるから。』って≫
そのセリフには聞きなじみがあった。どこで聞いた? いや、「こう言った」と彼が言ったから、ぼくが言ったことになるのか。
ぼくは思い出す作業をする。どこだ? どこでそんなことを言ったんだ。
「……あ」
思い当たってしまった。人間たちがここに来る前の場面。人間たちがぼくを探しに来た出来事、要因――。
嫌な予感を尋ねた。
「もしかして彼女、雨だったりする?」
≪……以外に何があるんだい?≫
ぼくは慌てて反論をする。
「いや、確かに言ったよ、あの時。でも返事は返ってこなかったし、反応だって……」
≪彼女は口下手だからね。それでも聞く耳立てるくらいの耳はあるさ。彼女は、雨音の範囲内ならどこにでも聞くことができる。俺よりベテランだぞ。なんてったって『太古の神』なんだから≫
声が詰まる。たしかに、あの後、すぐさま雨の勢いは弱まり、すぐさま|止《や》んで雨雲はどこかに流れ去っていった。その時のぼくはただ神頼みをしただけだった。
「だったら……」
ぼくは号外の紙に穴でもくりぬくかのように指を突き立てながら、
「だったら、これは。クレーターができたってのはどう説明をつけるんだ。彼女は雨の神。雨を司ってるんじゃなかったのか。大地が歪むほどの雨を降らせたとでも言いたいのか?」
≪『雨降って地固まる』なんていう言葉があるけれど、それは雨が止んだら、という必要条件が満たされないといけない。実際降り続けば地面は固まらずに緩み、崩れる。
彼女はまさにそれをやったんだろうね。君が炎であぶられたことがよほど頭に来たらしいね。俺によって空に飛ばされたあと、あの地には間断のない雨を降らせ続けた。地盤沈下を目論み、永劫輪廻のような雨を。
で、一日足らずで十数キロもの範囲の土地は水の重さで沈下して、クッキリと後を残すようなクレーターを作った。残ったのは〝円形の湖〟。ただそれだけの話さ≫
「それだけの話って。なぜ、そこまでして……」
ぼくはどこか心が浮ついた気分になった。
人々の行動で因果が起き、神の怒りを買って雨が降り続けて、湖になる。これじゃあまるで、『あの昔話』と同じ流れじゃないか、と。
頬杖でもついていそうな感じで彼は答える。
≪それが俺にもよくわからなくてね。女の執念か、ある種の「嫉妬」なんじゃあないかって。そういうわけで、彼女を再び怒らせてしまったので、結果、あの地は水に浸かってしまったということさ。
そうそう、君はものすごく壮大な力を使ったと思っているようだけど、俺らにとってみれば相当手加減したと思っているよ。卵の殻にひびを入れるのは|簡単《・・》だろう? 彼女、かなり手加減したはずだ。仮にほんのちょっとでも本気を出せば、この世界はもう一度〝ノアの箱舟〟を作らなくてはいけなくなる。世界の7割が海で出来ているっていうけど、それが本当の10割、全面が水で満たされて、それでも雨は降り続けて。まさに〝水の星〟になってもさして俺は驚かないね≫
ぼくは唖然となってしまった。
≪おっと。噂をすれば、か≫
霧がさあっと薄くなっていく。周りを回遊していた霧が抜け、空が見える。もう昼になっていた。
裂け目のような空とビル群の境界部分に、霧とは違う白っぽいものがあった。晴天に浮かぶ白い雲……ではないな。徐々に黒みを帯びてきている。暗雲。彼女の来訪のお告げ……
≪来たみたいだよ。なんか来るの遅いなぁと思ってたんだけどさ。どうやら雷とタッグを組んだようだ。人間が作った神話ではなんて言うんだっけ? トール? 黄色い閃光でもってひと槍突きに来たみたいだ。まあ〝誰〟とはいわないけどさ≫
「お、おい! なんでぼくが狙われるんだよ!」
≪なんでって、知らないよそんなの。しかし――≫
他人事のようにつづける。
≪『ぼくを助けてくれたら、君のこと大好きってことになる。』うーん、さすがだよ。こんな言葉俺には吐けないな。怖いもの知らずで若干のことには動じない、芯の強い女だから、こんなことが言えるのかね≫
「いや、だから中身は男だって……」
≪ああ、そういえばそうだったね。……となると、さらに構図は整うことになるね≫
「構図?」
≪|ぼく《君》と彼女、男と女だろ。つまり『横取りの構図』だな。君が連れ去られた遠因、あの洪水を起こしたのは彼女だよ。彼女は君に会いたがっていたが、いつまでもいることはできない。一年を通してみても、その十分の一程度しか近づくことはできない。ほんのちょっとだけ長くいたかった。ただ、それだけなんだよ。でも人間たちからすれば洪水が起き、彼女は見えない。だから、君が引き起こしたと思ってしまった。いわば彼女の「いすぎちゃった」というミスを君が横取りし、命を懸けて払拭しようとしたのさ。こりゃ同じ神様として、惚れないわけにはいかないね≫
そんなつもりはないと今すぐにでも弁明したいが、おそらくそれでは済まなそうな雷鳴が轟いた。
≪前に君のことを「中身はつまらない」って言ったけど謝るよ。「君、案外中身も面白い」ようで。
さてさて。俺は邪魔者のようだから、これにてずらかるとするかねぇ≫
「おい! 逃げる気かよ!」
≪当たり前。こうなると彼女おっかなくてさ≫
明らかに逃げようとしている。永劫螺旋の終わらない風切り音が途切れ途切れになって、単なる無害な風になって。霧はすっかり晴れてしまっている。
「お、おい! ちょっと待てよ。お前がいなきゃ、ぼくは何にもできないんだぞ」
≪だから良いんじゃないか≫
彼は思わせぶりなことを言った。
≪さあ、これが君の初仕事だ。ちゃんと彼女のご機嫌を取ること。ま、嫌なら逃げればいいじゃないか。ね、現代の〝じゃらくだに〟さま≫
最後にパチンッと指を鳴らしたみたいだった。最後の抵抗とばかりに一気に強くなって、瓦礫の残骸と鳥居にかかった号外の紙を吹き飛ばす。ふわりふわりと一枚の紙が飛ばされていって、余韻のみが残った。
風の余韻。本当に消えたようだ。
「ったく。マジで言ってんのかよこれ」
周囲は緑に包まれていた。二か月前の洪水によって泥だらけだった地面は息を吹き返したように苔が生え、つるが延び、光が差し込んでいる。綿毛が飛んでいる。タンポポか、ケセランパセランか。それらが自由に境内を飛び、謳歌している。
ここに――。怒ったような唸り声。雷の轟き。これから雨が降る。
ここに残されたのはぼくだけ。あの日と同じ、ぼくだけ。
「手加減してくれよ、今回は|神頼み《・・・》できないんだからな……」
ぼくはやるせない思いを払底したいがために、今しがた降り始めた雨雲を見上げた。
夜の霧のような薄闇。その反対側には、朝日に消えようとしつつある満月が、憐れむような目つきでぼくを見下ろしていた。(了)
23話(エピローグ)までと、長い間お付き合いいただきありがとうございました。あなたがお読みくださったから、この小説は無事完結を迎えることができたのだと思います。
これにて『今は昔、~』は終了となりますが、実は「本当のエピローグ」と呼ばれるものがあります。次話の公開をお待ちください。
※上がりました。