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第1話:社会の檻
--- ある日の朝 ---
コンクリートジャングルの隙間から零れ落ちた太陽の光は、いつも埃っぽく、冷たかった。
薄暗いアパートの一室。仄(ほのか)は、古びた鏡に映る自分を見つめていた。黒髪は無造作に伸び放題で、目の下には深い隈。学校では常に一人。向けられる視線は冷淡か、あるいは存在すら認識されていないかのどちらかだ。1 6年の人生で、「居場所」と呼べる場所はどこにもなかった。
窓の外では、楽しげに笑い合う女子たちの声が響く。仄は、鏡の中の自分に舌打ちをした。
(どうせ、誰も私なんか愛さない)
仄は、幼い頃から少し違っていた。孤児院で、自分を仲間外れにする子供や、虐待に近い態度をとる大人を見ると、衝動的に「殺してやりたい」と思った。実際に殺しかけたことも何度かある。その度に、彼女は社会から弾き出され、居場所を転々としてきた。このアパートも、いつまで住めるか分からない。
「……もう、疲れたな」
仄は、引き出しから綺麗なスティレットを取り出し、冷たい刃先を見つめた。
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同じ街の、少し離れた場所に、|白藍《はくあい》がいた。彼は人混みを避け、静かな公園のベンチで文庫本を読んでいた。彼の周りだけ、世界の雑踏から切り離されているかのようだ。
白藍もまた、仄と同じ孤児院出身だった。穏やかな外見とは裏腹に、彼もまた内に深い闇を抱えていた。自分をいじめる相手を、言葉巧みに誘導して自滅に追い込んだり、気を失うまで暴力を振るったりした過去がある。
「白藍」
不意に声をかけられ、白藍は本から顔を上げた。そこに立っていたのは、|雷牙《らいが》と|玲華《れいか》だった。
雷牙はがっしりとした体格に鋭い目つきは、街を歩くだけで周囲を威圧する。彼は孤児院時代、常に年下の子供たちを守るために暴力を振るい、問題児として扱われていた。血は繋がっていないが、玲華とは兄妹のように育った。
玲華はクールな表情と、周囲を的確に分析する冷徹な視線を持つ。彼女もまた、知的な策略で大人たちを翻弄し、孤立してきた。常に手に持っているのは、普通のペンに見えるタクティカルペンだ。
「よぉ、今日も平和主義者ぶってるな」
雷牙が少し口角を上げて言う。
「うるさい。君たちこそ、また怪しいバイト?」
白藍は本を閉じ、静かに答えた。
彼ら4人は、社会では問題児、あるいは透明人間だった。しかし、お互いの前では、唯一人間らしくいられた。彼らの間には、“お互いを絶対に傷つけない”という暗黙のルールがあったからだ。
「そろそろ、この退屈な世界にも飽きてきた頃だろ?」
雷牙が玲華の隣で呟く。
「どうせ私たちを愛してくれる人なんて、この社会にはいないんだから」
その時、白藍のスマートフォンが鳴った。見知らぬ番号。彼らは警戒しながらも、通話ボタンを押した。
『もしもし、白藍くんかな?』
声は、奇妙なほど穏やかで、しかし抑揚のない男性の声だった。
『君たち4人が、この世界でどれだけ孤独か、私はよく知っている。君たちの才能は、こんな埃っぽい場所で埋もれるべきじゃない』
3人は顔を見合わせた。なぜこの男が、自分たちのこと、そして4人全員のことを知っているのか?
『私は「ファントム」と名乗っている。君たちに、本当の「居場所」を用意した。望むもの全てが手に入る、楽園だ』
雷牙が舌打ちをする。
「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ、どこからかけ…」
『信じられないかい? では、この住所に来てごらん。すべてはそこから始まる』
通話が切れた後、スマートフォンに一つの住所が送信されてきた。そこは、この街で最も高級な住宅街にある、古びた洋館だった。
「行くのか?」
雷牙が尋ねる。
白藍は、ふと仄の顔を思い浮かべていた。彼女もまた、この世界に絶望しているはずだ。
「……行こう。どうせ、失うものなんて何もない」
4人は、退屈で冷たい自分たちの日常から、未知なる「楽園」への扉を開けるために、歩き出した。それが、彼らをさらなる地獄へと導く道程とは知らずに
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