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#10:胎動
「おはようございます。」
私が出勤したのを見つけ、歩み寄ってくる影が1つ。
「おはようございます、亜里沙さん。昨日の分析の結果が出たので、お伝えしようかと。」
「おはようございます、ランフェさん。」
口角は上がっていたものの、瞳は笑っているとは言い難かった。不安げに揺れているようだ。
「既に他の方々には連絡しているんですけど、その……やっぱり、兎はどこかおかしいんですよね。」
デスクワークを始めていたり、電話に対応していたり、とにかく仕事をこなしている先輩たちの姿が目に入る。明日からはもう少し早く来た方がいいだろう。
「……起動できました。上と下のグラフを見比べてみてください。2匹のギルティの分析結果です。」
私には到底理解できなさそうなアプリケーションに、意味の分からない呪文のようなコードをランフェさんはなんてことないように入力する。にょきりと左側から伸びてきた棒グラフは、どちらもほとんどが黄色く、申し訳程度に右端に赤色が添えられている。極めてシンプルなグラフだった。
「同じグラフ、ですよね?」
「同じグラフですけど、同じグラフじゃないんです。」
なぞなぞのようなことを言い出した。同じグラフなのに、同じグラフではない。どういうことなのか、さっぱり分からない。
グラフを指差しながら、ランフェさんが付け足した。
「この2つ、別個体の兎のグラフなんですよね。それぞれの『色』の特徴がどのくらい入っているか、というか。」
「赤色とか黄色とか、黒色とか、たくさんの色のギルティがいますよね。何が違うのか、よく分からないんですけど。」
「一応、襲うものの傾向、群れで行動するかしないか、のような違いがあります。資料室に紙の本があるので、詳しくはそちらを見てみるといいと思います。」
「ありがとうございます。……つまり、この二つは別個体の性質グラフのはずなのに、全く同じ値を示している。それがおかしい、ってことで合ってますか?」
「はい、そうです!すみません、言葉足らずで……。」
「全然そんなことないですよ、そもそも私には分析とか、そういうことが出来ないので。」
私は機械音痴気味だ。スマートフォンの操作ならまだ出来るものの、パソコンとなると少し怪しくなる。ギルティの分析を行う機械となると壊しそうで触れない。外回りばかりやっているので、触る機会もそうそうないだろう。
「ああ、他のギルティのグラフも見ます?これは同じく昨日に戦った赤色ギルティの分析結果でして……。」
「本当だ。ちょっとずつ比率が違う。」
赤色、黒色、緑色、白色、青色。
カラフルな棒たちを眺めていると、扉が開く音がした。サポーターと見知らぬ誰かが会話している。服装からして、戦闘員ではなさそうだ。
「そっちも大規模作戦の招集がかかってる。うちの課がまとめた計画書があるから、全体共有をよろしく。」
大規模作戦。知らない単語だ。
少なくとも、今までの私はあまり理解していないまま先輩ウォリアーやサポーターたちについていって言われるがままに仕事をこなしている。10人を超えたことはない。
大規模作戦。飴玉を舌の上で転がすように、それの意味について味わっていたら、見知らぬサポーターさんはいつのまにかいなくなっていた。
「兎についての作戦でしょうか?」
「おそらくは。」
そう返したランフェさんの唇は、強張っていた。何かに怯えているようだった。
手渡された少し厚い紙の束、その文をなぞっていく。兎の出現範囲から推測して、際限なく現れる「兎の秘密」が隠されているであろう場所に突撃する。もちろん、準備を念入りにした上で。そういうことで、おそらく合っているのだろう。
近くの区民ホールを救護所、待機場所として借り、数十人のウォリアーとサポーターを動員する。それが、大規模作戦。
「……私も、準備するか。」
そう遠くない大規模作戦。それまでに、義足を確かめておかなければいけない。
文字通り、足を引っ張ることになったら大変なのだから。
「こんばんは、晴さんっていますか?」
「お、アリサちゃんいらっしゃーい!足におかしいところでもあったん?」
「特にないんですけど……もうじき、あるらしいじゃないですか。大規模作戦。」
「そういえばそうやったか。最近、変な兎のせいで難儀やって聞くさかいに。」
手を振って歓迎してくれた。クリエイターでもやはり大規模作戦のことは知っているらしく、晴さんは頷き、私に椅子に座るよう勧めてくれる。
「ハルさんも出なあかんからな。」
「あれ、クリエイターも作戦に?」
「外で武器とか足とか壊したらどないする。区民ホールの中で待機するだけやけど、一応作戦には参加するわ。」
「そうなんですね。」
「大丈夫やって!いつもとけったいなことは特にせぇへんし、お前さんみたくギルティに会うわけやないから。区民ホールに不意打ちしてこない限り。」
少し顔が曇っていたようだ。私の様子を見て、晴さんは快活に笑う。
私が彼らのことを心配するのも変な話だろう。まだ私は、この職に就いてからそう日が経っていないのだから。逆に私が心配される立場だ。
「気張るんはええけど、体は大切にせなあかんよ?アリサちゃんは人一倍、体に気ぃつけて過ごさんならんねやから。」
「……ありがとうございます。そうですね、無理はしないようにしないと。」
独り立ちしてからあまり触れられていなかった、人間の暖かさ。肉体的な意味ではなくて、精神的な暖かさ。自分が心配されていることへの喜び。心配されないと気が済まないとか、そういうわけではないのだ。ここに来るまでは、気にかけられることがあまりなかったので、実はコミュニケーションに飢えていたのかもしれない。
ゆっくりと、その言葉を噛み締める。
「そうやそうや。あ、アメちゃんいる?ハルさんのお気に入りのやつ。」
「いただきます!」
「はい、どうぞ。」
「あ、美味しそうです……ね?」
手首が、ない。
私が小袋を掴んでから、すとんと向こう側の手首が落ちた。
視界の端に肌色が映る。本来ならば映らないところに肌色、それから赤色がある。
まるまる切り落とされて血がついた、生々しい手、首……手首!?
「ぎ」
「ぎゃあああああー!」
「うわあああああ!?」
気づいた時には目の前に灰色の壁。
横には顔を真っ白にした人間。
「ひゃあああ!だれ、誰ですかあなた!」
「そっちこそ、突然飛び出してきて大声出して……って、生首!?」
「生手首よ、ただのジョークグッズ。」
ようやく相手を認識できた。ここに来てから初めて聞いた声、そう、ソレイユだった。ソレイユの剣を手にしたメルさんも一緒だった。
「いやー、綺麗に引っかかるな、お前さんら。用意しておいてよかったわ。」
「もう来ない!ぜーったい来ないから!」
「クリエイターに頼らず仕事するとか無理やで?」
「違う人に頼む!」
剣を引ったくってから風のように走り去っていくソレイユの姿を、私は呆然と眺めることしかできなかった。
「よく見れば分かるじゃないの、血のつき方とか。」
「突然出されたら分かりませんって!」
「みんながみんなメルちゃんみたいに見破りの天才ってわけやないから。ほんまに不意打ちには気ぃつけるんやで。」
「よく身に沁みました……。」
もうじき訪れるであろう大きな戦いへの緊張感は、既に薄くなりきっていた。
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もうじき訪れるであろう大きな戦いへの痺れを強く感じる。
ようやく、ようやくやってきた。待ち望んでいた、機会。
あたしはあと少しで貴方に。
締め方に迷った結果こうなりました。ノープラン執筆はこれだから良くないんですよねー、それでもノープランになりがち……。