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第3話 ありがとう
暴力的な描写が含まれています。
苦手な方はブラウザバックすることを推奨します。
詩羽は深雪のシャンプーを使い、頭を洗い、その他の部分も深雪の石鹸を使い洗っていく。
すべて石鹸で洗って、流す。
そして、あらかじめ深雪が入ろうとしていた湯船に詩羽は浸かる。
「あれ?これ、湊斗のお姉さんが入ろうとしてたんじゃないのか?」と考えるのが普通だが、詩羽には考える力はなかった。
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「ねぇ、あれ…」
「うわっ、本当だ……」
部活に入ってない学校の生徒がカフェやカラオケに寄り道しながら帰る時間、詩羽も自分の家に帰っていた。
学校に行く前は多少髪がきれいだったものの、もうボロボロだった。
そんな詩羽の姿を見ながら、周りの人は声をかけようともせず、笑い話や嫌悪感を共感するように話し始める。
詩羽は周りの対応を見ていないかのように、鞄をギュッと持ち、下を向きながら歩いた。
そして、自分の家に着いた。
「…た、だいま……」
詩羽が玄関を開け、最初の一文字は大きく声を張って出したが、それ以降は声が強制的に小さくなった。
だが、最初の一文字で聞こえていると思うが、「おかえり」の一つも聞こえない。
詩羽はリビングのドアの前に行き、開けるかどうか戸惑うが、最終的にそのドアを開く。
そこには、詩羽の母親が、髪でぐちゃぐちゃな頭を押さえ、机に突っ伏していた。
リビングは、誰かが暴れたような感じだった。
皿の破片がところどころ床にあり、そして衣服は洗われずにそのままぐちゃぐちゃに置かれていて、空になったペットボトルもあちこちに散乱し、カーテンはビリビリに破かれていた。
そのようなリビングを見て、詩羽は唾を呑み、
「あぁ、まただ。」と脳内でつぶやく。
「…ねぇ、なんでまたいるの…?」
母親は詩羽がリビングに来たことを、髪の中から確認する。
それに怒りが増したのか、母親はゆっくりと立ち上がる。
「だ…だって、私は……」
詩羽は母親がゆっくり近づいてくるのを見ながら、泣きそうになる。
その瞬間、母親は詩羽にビンタを喰らわせる。
喰らった詩羽は腰を抜かし、その場で尻もちをつく。
母親は「ふぅ」と、ため息よりも重い息を吐き、落ち着きを見せる。
「…ねぇ、なんで被害者面みたく、涙を見せるの…?」
詩羽は泣きそうになっていたが、もう家に帰る時点で泣いていた。
本人自体は気づいていなかったし、周りにも前髪で顔が見えなかったため、気づきもしなかった。
でも、尻もちをついたときに髪が少し揺れて、顔がギリギリ見えるようになった。
「…え…?なんで…私……」
詩羽は母親に、こんな顔を見せてはならないと懸命に涙を拭うが、止まる気配はなかった。
母親はそんな詩羽のことを見て、ビンタではなく、手で硬い拳を作り、詩羽の顔面に勢いよく入れた。
「…ぐ、はっ…!」
詩羽は床に背中を叩きつける。
母親はそんなのをお構いなしに、次々と詩羽に硬い拳を入れていく。
「なん、で!あんた、が!ここ、に!いる、のよ!!!」
テンポよく、硬い拳が詩羽に当たる。
そして、母親の髪に水が滴り、拳へと当たった瞬間、母親は殴るのをやめた。
母親も泣いていた。
「…もう、帰ってこないで……」
母親はその場を立ち、自分の部屋へとゆっくり足を運んだ。
詩羽はその一言を聞き、何も考えずに家を出ようとした。
立とうとしたその瞬間、詩羽は胸元を手で抑えた。
痣ができていた。
頭が空白で、痛みも何もない中、立ち上がろうと足に力を入れたら、急に息ができなくなったのだ。
詩羽は、なんとか息をして、痛そうに手で胸を抑え、一生懸命歩きながら家を出た。
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(あの後、湊斗と会った公園に行ったんだよね…)
詩羽は口まで湯船に浸かりながら、ぶくぶくと息を出す。
母親に暴力を振るわれて、染みて痛いはずだが、詩羽はなんとも痛がっていない。
沈黙が続く。
詩羽は、ふと自分の手を見た。
(…すごくふやけてる…流石にもう出ないと……)
お風呂から出て、体を拭き、事前に深雪によって用意されていた下着やパジャマを着る。
その下には付箋が貼ってあった。
「2階の突き当りの部屋で寝ること!」
多分深雪だろう。
詩羽はその付箋を取り、文字を見ながらその部屋へと移動する。
詩羽はその部屋のドアをノックもせずに開ける。
そこには、服を着替えている途中の湊斗がいた。
「…いや、え?」
湊斗は愕然としているが、詩羽はお構いなしに湊斗の部屋に入る。
「ちょいちょいちょいちょい…」
湊斗は詩羽のことを部屋から追い出そうとするが、詩羽は強引にベッドの上にちょこんと座る。
そして、湊斗にその付箋を見せる。
「…いや、姉さんかよ……」
綺麗な文字で深雪だってことは速攻で分かった。
それでも流石に湊斗は、なんで自分の部屋に連れてきたのか理由を聞きたかったから、深雪の部屋に行こうとした。
「だ、だめ…」
その瞬間、泣きそうな顔で湊斗の服の裾を掴んだ。
「いやっ、はっ!?」
湊斗はその手を振り払い、手で顔を隠す。
「ねぇ湊斗。」
「な、なんだよ…」
「なんで顔赤いの?」
「うるせぇ!!!」
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湊斗は、詩羽に一目惚れした。
最初に出会ったときは、長い髪で顔がほとんど隠れていて、その表情もよく見えなかった。
けれど、たった今、ふわりと香ったのは、深雪に譲ってもらったシャンプーや石鹸の香り。
それまで無臭だった詩羽の身体から、急に女の子らしい柔らかな香りが漂い始めた。
そしてようやく見えた、その顔。
あどけなさの残る、整った顔立ち。
誰だって、一目惚れするだろう。
まぁそんなこんなで、湊斗は急いで自分が使う敷布団を床に敷いた。
そして詩羽を自分のベッドで寝かせて、電気を消した。
「ねぇ湊斗…」
詩羽はベッドに仰向けの状態で湊斗に問いかけた。
「なにさ。」
湊斗は詩羽が寝ているベッドとは逆方向に寝返った。
「今日は、ありがとう。」
詩羽はそう言い、湊斗と同じく逆方向に寝返り、寝た。
湊斗は、口を押え、ギュッと体を丸くした。
湊斗は、心臓の音がうるさくて眠れなかった。
詩羽の「ありがとう」が、ずっと耳に残っていた。