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〖普通の定義〗
一人の男が薄暗い部屋の中で何かの資料を見ている。20代半ばで髪はボサボサだが、精悍な顔立ちをしていた。
男性はふと、|一条《いちじょう》イト、|田村《たむら》ミチルと書かれた名前のある二人の男性と男子の写真を見る。肌や背格好からそこそこの年齢差があるように感じられる二人の男である。
写真を見ていた男性はその資料から名前を探していく内に何を思いたったか携帯電話を触った。
そして、〖鴻ノ池詩音〗と印された人物に電話をかけようとして、手を止め、携帯電話をポケットへ入れた。再び、資料に目を通す。
この男性の名は、|桐山亮《きりやまあきら》。後の捜査担当刑事の一人、男性検事官である。
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貧相な家の中で、小さなカエルがお茶を淹れる。そして、それを一人の男性が砂糖を大量に入れて呷った。それをやや訝しげに見ながら紅茶を持った手を下げた女性の手が腰に吊られた銃に触れた。
カエルはそのカツンとした金属音に顔をしかめたが、すぐに取り直し、口を開いた。
「さて、どこから話しましょうか」
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キノコが跳ねない小道を進む男女。その隣にはダイナと名乗る薄汚れた猫がいる。薄汚れた猫は饒舌に話ながら遠くに見えた小屋に楽しげに走っていった。近くからカエルがゲコゲコと鳴くような声が聞こえている。
小屋からは楽しそうな声が聞こえ、奇妙な匂いが漂ってくる。
扉を開けると充満した奇妙な匂いが顔に浴びせかけられる。後ろにいたリリが少し咳き込んだ。
「この匂いは......なんです?」 (結衣)
「アルコール、っぽいですね」 (リリ)
二人の会話にダイナは、尻尾を立てて扉をカリカリと爪を立てる。やがて、結衣を見上げた。
「〖アリス〗、開けてよ。この先なんだ」
扉を開けてあげると、何重にも帽子を重ねた帽子を被る男性に花柄のティーポッドの頭をした細身の貴婦人、コック帽を被った二本足で立つトカゲがいた。匂いはよりいっそう強くなっている。
「おお、〖アリス〗か。ダイナ、賭けの結果はどうだったかね?ほら、あの、女王様の...赤薔薇を黒く塗った三月兎の件だ」
「やぁ、帽子屋。相変わらず帽子が多いね。非常食かい?...あの三月兎がすぐにへたっちゃったよ。心臓は止まってないけど、すぐに気絶したんだ。
女王様の一言目でね。耳が大きくって、普通のと違って音が大きく聞こえるんだろうさ」
「普通?なるほど、兎の普通か!確かに考慮するべきだったな...つまり、今回の賭けは...」
「|私《わたくし》の一人勝ちですわね!」
高らかに貴婦人が笑う。その横でコック帽を被ったトカゲが、
「...じゃあ、また尻尾を料理しなければなりませんねぇ」
少し残念そうに、悲しそうに自身のちょん切れたと思わしき尻尾を触る。尻尾には一部、骨が見えていて周りには赤い肉と血が見える。切ってから、さほど日が経っていないようだ。
「おや、君のご家族の尻尾はダメなのかね?」
「酷いこと言うなぁ、帽子屋さん。僕の家族の尻尾は皆、女王様がお食べになられたじゃないですか。生えてくるまで待って下さいよ」
「ああ、そうだった。失礼した。じゃ、尻尾料理はあと、10、20...1360品待たなきゃいけないわけだ」
「そうなりますね。生えてくるまでの期間でも皆さん賭けるものですから、予約があとを絶ちませんねぇ」
「まぁ、それはそれは......であるなら、リスの尻尾料理にしましょうか?一回きりなのが難点ですけれど」
貴婦人の提案。それを含めて、あまりにも異質な光景に理解しがたい会話。
「...ダイナ、これは一体なんですか?」 (結衣)
「賭けの報酬を話してるんだよ。このままだと、リスの尻尾料理になりそうだね」
「リスの...尻尾、料理......?」 (リリ)
「そう。ふわふわだけど、肉厚が良いんだよ。ま、そんなことは置いておいて、何か頼む?」
ダイナはテーブルに飛び乗って、メニューを口で挟むと二人の側へ持ってきた。
メニューには、『トカゲの尻尾切り逃走ステーキ』『シュワシュワ花の実のサイダー』『バチバチ蜂のハニーパンケーキ』『人面人参のソテーとゴロゴロじゃがいもスープ』『双子卵の茹で花』『あったか~いカカオの滝ココア』といった普通ではない変わった物がある。
ふと、下を見ると黒い触覚の生えた蟻のような小人が注文をとりにきていた。
「...『ココア』で」 (結衣)
「ジブンは、『パンケーキ』一つ」 (リリ)
「僕、温いミルクね。砂糖不使用のやつだよ」
そう伝えると、二人をテーブル席に促して、またテーブルへ飛び乗る。そして、これ幸いと毛繕いを始めた。それと同時に尻尾の切れたトカゲが厨房の奥へ引っ込んだ。
「まぁ、ダイナ。毛繕いをしていらっしゃるの?櫛でも貸しましょうか?」
「良いよ、ティー。猫の舌は、櫛より万能なんだよ」
そう聞いて、ティーと呼ばれた花柄のティーポッド頭の貴婦人は櫛を引っ込めて、リリへと向き直る。
その頭のティーポッドはよく見るとひび割れが酷く、欠片一つ一つ磨かれていて綺麗だが何ともひび割れが気になるものだった。
「あら、貴方、綺麗な瞳だこと。瞳に自然の色がありますわね」
「ああ、どうも...そちらも素敵な頭ですね」 (リリ)
「そうでしょう?そちらの連れの方も綺麗なお顔立ちでいらして...」
「えっ、いや...そんなことはないですよ」 (結衣)
「いいえ。本当に綺麗な...ええ、とっても......綺麗で......」
「......あの......」 (結衣)
「...そうね、とっても良いわね。ねぇ、貴女、今から私の家にいらっしゃらない?少し、モデルをして貰うだけよ」
「モデル、ですか?」 (結衣)
「へぇ、良いんじゃないです?」 (リリ)
「...ティー、〖アリス〗は...」
「ダイナ、これは必要なことよ。それで、〖アリス〗...良いかしら?」
「...私でよろしければ......」 (結衣)
その言葉を聞いて、一瞬ダイナが目を見開いたが誰も気に止めるものはいなかった。
「それなら、この男は私が貰ってもいいかね?」
気に止めるものはいなかったが、口を挟むものはいた。帽子屋である。何重にも重ねた帽子を揺らしてリリへと投げ掛ける。
「はぁ...君ら人気だね」
「顔がいいからでしょうね」 (リリ)
「君...どこぞの王族みたいで鼻につくねぇ」
「褒め言葉として、受け取っておきますね」 (リリ)
一方、帽子屋。
「ふむ、同意ということで...よろしいかな、貴婦人」
「ええ、どうぞ。壊さないようにして下さいね」
「それは君の方だろう」
二人と一人と一匹の会話。話さない一人だけが遠くから聞こえるカエルの声を聞いた。
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「さて、どこから話しましょうか」
「何の話?」 (光流)
ドバドバと砂糖を入れた紅茶の二杯目を啜りながら光流が聞いた。
「私の、話です。聞いて下さいますか?なんなら、砂糖をもっと持ってきますけれど」
「...どうぞ」 (光流)
カエルが口を開いた。
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カエルの歌声は、基本ゲコゲコである(この世界観でのみを指す)。他の住民にはそれが歌として聞こえる。それが普通。
しかし、稀にそれから逸脱した才能や他とは違って変わった特徴を持つ者が生まれることがある。例えば、足が極端に大きかったり、何を言っても一つのことに完結したりする。それを含めて“異端者”と呼ぶことがある。
その異端者は数が少ない為、時に迫害や差別を受けることがある。
仮にその異端者が何を受けようが、世間は何の関心も示さない。
ただ、可哀想だの、不便そうだのと言って周りから逸脱した存在であることを強調するのみである。
簡単に言えば、|障害者《異端者》。
それが、
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「つまり、それが貴女だと?」 (凪)
「お恥ずかしながら、その通りです」
「へぇ。じゃあ、その声で番を見つける時、どうしてるの?」 (光流)
真顔でそんなことを聞く光流にカエルは黙り続けていた。
ただ、恨むように瞳に陰りを帯びて、睨んでいた。
「本気にしないでよ」 (光流)
「...そうですか。...前述の通り、これらが異質な原因そのものなんです」
「......迫害や差別を受けたことがあるんです?」 (凪)
「ええ、まぁ......詳しくはお話できませんが、言えるものなら、前の大会で女王様の怒りを買ったのは私の歌声のせいだと言い続けて、それはもう酷い嫌がらせを受けた後にお休みを出しました」
カエルはそう言い切って、ため息を洩らす。それを聞いてか光流が、
「何の抵抗も無しに言われ続けたの?」 (光流)
「えっ、いや...流石に抵抗はしましたけれど...」
「なら、何で泣き寝入りしてるみたいになってるの?」 (光流)
「...な、何を言っても異端の戯言だと言ってまるで相手にしてくれないんです!」
「?...それで、諦めたのが......」 (光流)
「貴女の落ち度ですよね?」 (凪)
何か美味しいところでも取られたかのように光流が凪を見つめる。それに伴い、凪が光流ににっこりと微笑んで見せる。直後に光流が吐くような仕草をした。
一方、カエルは肩を小さい身体なりに小さく震わせ、口をきつく結び二人の男女を睨む。
そして、おもむろに横にあった包丁スタンドのよく手入れのされた包丁を取り出して、二人に突きつけるが早く、一つの乾いた発砲音が響いた。
光流は何かをする気だったのか、置き場のない浮いた手を見つめていた。
凪の手には、薄く白い煙を立ち上らせる銃器(SIG P224 SAS)が両手で握られている。
その二人の前に胸元にぽっかりと小さな穴の空いたところから赤い血が流れ、身体が軽く痙攣している小さなカエルが無造作に横たわっていた。
刃物は、もう握られていなかった。