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微睡みの共感覚
「...違法VR?」
キアリー・パークのインプラントクリニックで診察を終え、代金を払おうとしたタイミングで半分かかりつけ医になりつつあったキアリーにそんな言葉を聞いた。
「ああ...V、これはただの|依頼《オーダー》になるが...数あるVRの中でその不良を探してみるだけってのは受けてみるか?もちろん、報酬は払うさ」
「...とりあえず...VRってなんだ?ヴィネット・シルヴィーでは、ないんだろ?」
「そりゃそうだろ。VRってのは、ヘッドレスを頭に装着して、そのヘッドレスに入ってるゲームやデータを仮想空間として...あー、そうだな、二次元的なことが間近で起こるんだ。
まぁ、最近は痛覚や味覚も分かるようにもう一つの現実としての側面の強いVRばっかだな」
「楽しそうだな?」
「ああ、そうだな。やってみるか、V。そこまで危険じゃないはずだ」
「いいぞ、どうせ暇だからな」
そんな受け答えをした辺りで機械が破裂したような音と共に《《頭の中の相棒》》が現れる。
『何が暇だから、だ。てめえ、頭ん中に|クソ企業《オリオン》の|無能インプラント《クルーラー》が入ってんの忘れたのか?』
短い金髪を逆立てて怒る|金《ゴールド》になった男、及びレイズ・シルバーだった。
過去に大手企業であるオリオンを|単身《ソロ》で爆破し、|伝説《レジェンド》になった男。
死んだとされていたが、今や一人の|傭兵《万事屋》の頭の中で生きている。
そうなっている理由はレイズが無能インプラントと罵った今も蝕むクルーラーにあった。
頭の中の幽霊に「忘れてないさ。ただ、ほんのちょっとの気休めだ」と脳内の言葉を口に出さずに答えた。
『へぇ、気休めね...|違法VR《正解》を当てて、どうなっても知らねぇからな』
その時は助けてくれよ、と言いたくはなったが薄い希望だと思って胸の奥底に沈めた。
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『それが、俺が死んでから10年経ったVRか?』
この幽霊は俺よりもVR...仮想空間という代物に興味を示していた。
近くには誰もいない。自分の家なのだから、当たり前ではある。
人の目を気にする必要性がなくなり、脳内での会話を口に出した。
「...らしいな。レイズ、お前の時代にVRはあったか?」
『そりゃ、あったに決まってるだろ。痛覚や快感を感じるような内臓されたデータのビデオを感覚できる、ってのはなかったけどな』
「10年でも色々と変わるもんだな」
『ああ...今でこそ、思い知る』
お前ならそうだろうな。そんな言葉を返さずに重たいヘッドレスを装着する。
普段、汚れた街やネオンに輝く街ばかり映している瞳が暗い闇に放り投げられた。
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花の匂いが鼻腔をくすぐった。
機械化して排気ガスが充満したネオワシントンでは滅多に嗅がない匂いだった。
「...花か...昔、孤児院でようやく花を咲かせたものを嗅いだっきりだったな。
なぁ、レイズ_」
_お前も花の匂いを知っているのか、と聞こうとして振り返る。
誰もいなかった。ここは仮想空間でヘッドレスをつけていない脳内がこの場所を見ることも感じることもないことに気づき、少し気分が悪くなった。
そこには広大な花畑とやけに青い空が広がっているだけだった。
こんな仮想空間を好む夢好きがいるのか。
だったらVRなんて偽物を作らず、機械のような土地の一つでも買って、ぶち壊してこんなところを作ればいいじゃないか。
吐けないため息をついて頭にかかったヘッドレスを外した。
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見慣れた部屋の中にあの花畑にいなかったレイズの姿があった。
やけに不思議そうな顔をしていた。
何も言わないのをいいことにヘッドレスのデータを別のデータに入れ換えて、また装着した。
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今度は何やら甘い香りがした。人工チョコレートや花の香りでもない。
アロマのような、何とも奇妙な匂いだ。なんとなく、嫌な予感がした。
身体は椅子に縛りつけられて動かない。拘束された感覚までも現実とリンクしていることに悪態を吐くほかなかった。
声を出そうとした。くぐもった声しか出なかった。
口元の猿轡まで再現するなんて、やけに凝ったVRだ。
やがて、知らない男が入るなり頭に強い衝撃が走った。
追えない瞳が男の握られた拳を映した。殴られた痛覚はまだ残っている。
直後に腹に強い衝撃が入った。抉るような拳にくぐもったうめき声をあげて映像の行動のまま、椅子から転げ落ちる。
男が笑い、拘束されていた足の縄を懐に入れていたナイフで切った。助けてくれるわけではないだろう。
両足を掴んで引き寄せるようにして身体を動かされる。映像に支配された頭の中で警報が鳴った。
映像の誰かもくぐもった声をあげ、抵抗しようとする。逃げ出せるのか?
ただ、それは映像のシナリオにないようで再び腹に強い衝撃が走る。
そのまま脱がされるような感覚があり、次に下に何かが入るような感覚がした。
長く太いが、ペンぐらいの太さ。肉が押し広げられる激痛がその異物が判明する度に与えられる。
痛みよりも背中に走る気味の悪さが勝った。
ただ、それが動き続ける中で柔らかくなった。そうすると、痛みよりも快楽が走る。
シナリオと違って理性の保った頭の中でいやでも与えられる快感に呑まれないように耐え続けた。
何度かくぐもった嬌声をあげた...いや、シナリオに伴ってあげさせられた、というのが正しい。
おかげで理性の保っていた頭の中は気持ちの悪さが大きくなっていた。
その辺りで映像は休憩のようなものを挟んでいて、ヘッドレスを外そうとした。
「...っ...?!」
先程まで簡単に外れたものが全く外れない。外れる気配すらない。
何かロックでもかかっているのか頭に強くしがみついて離れない。
映像の中の男はズボンのベルトに手をかけている。
映像の主人公は全く抵抗しなかった。完全に受け入れている。
男か女か、なんて分からない。どっちにしたって知らないクソ野郎のもんを受け入れる気は絶対にない。
足を掴まれたまま、下の感覚が強くなる。
そのまま考えたくもない異物に突き抜かれるような感覚と嫌な快感、頭の中で火花が散った。
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「...おい......おい、V!」
耳元で怒号のような声がして、ようやく瞼が開いた。
見慣れた部屋にキアリーが安堵したような顔で《《治療》》を行っていた。
「何があった?!お前、ヘッドレスをつけて脳を焼かれる寸前だったんだぞ?!」
「...あー......その、今...ヘッドレスに入ってるのが...|違法VR《ビンゴ》だったらしい...」
「そんなことは分かってる!やけに戻ってこないから来てみたら、
ヘッドレスには強制ロックのかかるウイルスが入ってたり、人体に害を及ぶ悪質な違法VRが入って、それでお前が脳ごと焼かれて廃人になりかけてたり...いくら違法VRを見つけるだけってでも、そこらにあるVRの中でそんな特大に酷いものを選ぶ馬鹿がいるか!」
「んなこと言われたって...単に売ってたものを入れただけだが...」
「入手経路は?!」
「......ナイトシティの......露店...」
「一番ダメなところから!?」
肩を掴まれ激しく揺さぶられる。視界の隅でおかしそうに笑うレイズがホログラムの煙草を吸っている。ふっと青い煙を吹いて口を開いて出てきたのは忠告と好奇心の言葉だった。
『だから言ったんだ、V。|違法VR《正解》を引いても知らないってな。
で?どんな仮想空間だったんだ?
脳が焼かれるほどだ...きっと|泥みたいな夢《素晴らしい夢》だったんだろうな?』
「本当に《《クソ》》みたいな夢だよ。二度と観たくないね」と脳内で返す。
『へぇ...そりゃ視たくないな』
脳内での記憶を見たのかレイズが珍しく賛同した。彼だって好きでもない奴とする気はないらしい。
『誰だってそうだろ』
そう台詞を吐いてレイズが粒子と共に消える。勝手に出てきて、勝手に消える。いつも通りの当たり前だった。
「V、いいか...報酬はそうだな...しばらく診察料は免除してやる、それでいいな。その代わり頻繁に顔を見せろ」
消えたレイズに代わり、キアリーが口を開いていた。
その言葉に違和感がないように返す。
「そんなのでいいのか?そりゃいいな、喜んで受け取るよ」
「喜ぶな。懲りろ、クソガキ」
珍しく暴言だったが、どうにもそれが嬉しいように感じた。
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「別にVも大人だろう?いいじゃないか、それぐらい」
「だとしても、依頼一つで死にかけろなんて頼んでない」
「死にかけ...へぇ、あの|ヴィル・ビジョンズ《V》が?らしくないね」
「ああ...別にアダルトビデオを見たって何も言わない。けどナイトシティからわざわざ物を卸さなくてもいいだろ」
「アンタ、親父臭くなってきたね」
その言葉に何も返せなくなる。歳をとってきたのか、年下をやけに世話する癖になりつつある。
ラム・ラインブレットの酒場で愚痴を溢しているのも、どうにも親父臭く思えてくる。
「...歳を取ると若いのが子供に見えてくるもんさ」
苦し紛れにそう返し、酒を煽った。
意識が混合する底で青い空の下に咲く花畑でも拝んでみたいと、普段、夢にも思わないことを考えた。
とにかく、今は慈愛が喉から手を伸ばす程に欲しかった。