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夢の終わり <廃工場のビスクドール スピンオフ作品>
Sui様の短編カフェ内で連載されていた小説「廃工場のビスクドール」のスピンオフ作品となっています。本編を最終話まで読了した状態での閲覧を推奨しております。
※工場の過去、その後など、かなりの捏造あり。各位、すいません。もし「これは流石にアカン」となりましたらご連絡くださるとうれしいです。
※他の方のスピンオフの世界観と食い違っている箇所がございます、すいません(本編、スピンオフはすべて読了しております)。ご了承ください。
※きつい精神描写があるため、レーティングをPG12とさせていただきます。また、原作の雰囲気と少し差異がある内容のため、検索除外とさせていただきます。
今作の文章は前スピンオフ「夢はまだ覚めない」の「心の中で大きく腫れた「恐怖」という歪みが、、、」という部分を起点とし、その部分以降とは別軸の出来事として始まっています。今作を、「夢はまだ覚めない」の該当部分まで読破した後に読まれることをお勧めいたします。
https://tanpen.net/novel/192dc968-c422-4aa4-be21-a935b297fd28/
心の中で大きく腫れた「恐怖」という歪みが、腕の大きなヒビへと姿を変えた。
それを待っていたかのように、強い風が体を直撃した。初めて感じる「風」に、古く小さな陶器の体はいとも簡単に押し退けられる。
そのままよろけて、気が付いた時には床の感触が頬を伝っていた。反響がないのが、何故かこの上なく寂しい。
なんて惨めなんだろう。意地張って、一人で焦って、転んで。これだから動き回ることは好きになれない。
今までずっと信じてきたもの、「変わらない自分」がどんどん消えていっている。生憎、悲しみを晴らせるようなものは全て壊れてしまった。
何をすればいいのだろうか。ぱっくりとした不安と虚無感をどうにかしたくて、取り敢えず立ち上が、、、れない。
右手が動かないのだ。
手だけじゃない。右肘から先が動かない。
見ればさっきの傷は更に大きく広がり、右肘のすぐ上のところをぐるりと一周囲っていた。
体を動かすと、その線より付け根側だけがついてくる。
右腕が、壊れた。
「う、嘘でしょう、、、!?」
いつになく大きく、中身のない声が漏れ出る。
離れてしまった肘から先を、左手で持ち上げる。ぞっとするほど重く、冷たい。
そうだ。直さないと。一刻でも早く。
『アンフォームド・エターナイト、、、!』
できる限りの力で唱える。くっつかない。止まらない。
『アンフォームド・エターナイト!』
『|アンフォームド・エターナイト《En forme d'éternité》!!』
必死で叫ぶ。頼む。止まってくれ。壊れないでくれ。
よく考えてみれば、人形の修復を得意とする仲間が居たはずだ。でもそんな大事な事が脳の引き出しにあることすら忘れて僕は、孤独で頑固な人形は、ひたすら呪文を、、、呪文としての意味を失いただ願いだけとなった言葉を、狂い狂いに叫んでいた。
止まって。壊れないで。
「|En forme d'éternité《変わらないで》!!!」
ああ、もう。もう無理だ。直らない。「変わらない自分」が、今まで何があっても信じてきたたった一つの居場所が、粉々になってしまった。
何をする気力も無くなって、何故か周りを見渡す。
気持ち悪さを感じるほどに、青々と広がる雲のない空。
日の光に反射する、鮮やかな草木。
茶けた灰色の煉瓦くず。
全て知っているはずなのに、ここにある何もかも僕は知らなかった。
串刺しになった本。
折れ曲がった鉄骨。
ぼろぼろのロッキングチェア。
何も知らない。
のに、この景色は僕の中にある「大切なもの」の記憶をことごとく掘り返してくる。
煉瓦の隙間から、埃と蜘蛛の巣の香りがする。
なんて、、、なんて腹立たしいのだろう。
許せない。
煉瓦の欠片が、使えなくなったコンクリートが、白い土の塊ごときが、僕の大切な思い出の面をするな。思い出を汚すな。もうアミアンジュファクトリーは、ここにはない。だとしたらこの瓦礫は、何の意味も持たない。目に入れるだけで思い出を冒涜する。悲しみを生み出す。
そんなもの、壊れてしまえ。
僕の知っている右腕は、ヒビなんて入っていない。僕の知っている煉瓦の壁は、こんな歪な形じゃない。
僕の前にもう二度と、現れないで。
右腕を煉瓦の山に叩きつける。鋭利な音がする。
まだ消えない。
ありったけの力で煉瓦を持ち上げる。叩き落とす。踏み潰す。
足元から乾いた音がする。落ちていたノートを拾い上げて、引き破る。
まだ、まだ消えない。
僕の知っているロッキングチェアは、こんなにきしまない。傾いていない。
恨めしい。
恨めしくてたまらない。蹴り飛ばして、飛び乗って、木の繊維の一本一本までへし折らなくては。何も残してはいけない。
ひっつかんで叩きつける。叩きつける。左手の指に木片が引っ掛かる。踏みつける足に亀裂の入る音がする。
それなのに消えない。
周りのすべてのものが、思い出が、ぐるぐる回って、嘲笑う。襲い掛かる。
もういい加減にしてくれ!!
「ぅ、、、うあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
何もわからない。知らない。消えない。目を覆いながら、まだあまり崩れていない側の煉瓦壁へ飛び込んだ。
何かが割れて、崩れる音がする。
重いものが上にのしかかる。
何も、見えない。
音が止んだ。
静かになった。
懐かしい。こんなに静かなのは、いつぶりだろうか。
、、、ふと、何かが見えた。
狭い通路に、ありえないほど曇ったガラス窓。張り付いた蜘蛛の巣と、かすかに揺れるロッキングチェア。
ああ、僕のロフトだ。
帰ってきたんだ。
そういえば、あの小説は読みかけだったっけ。書庫の整理もしたいな。
しあわせな記憶。何故今まで忘れていたんだろう。
薄暗く静かな空間の中、ロッキングチェアに手をかける。
その瞬間、目の前は冷たい闇一色に染まった。
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ほうきでフロアを掃除していたある人形は、大きな叫び声を聞いた。
何かが崩れる音もする。
「大騒ぎ」はさっきで終わりだと思っていたのに。
まだ走ってもいないのに、息が荒くなる。
早くなった息に合わせるかのように駆け出した。
工場跡の隅の方が、不自然な壊れ方をしていたのだ。
大きな木片や紙きれ、煉瓦の欠片が細々と散らばっている。
その中には、陶器の欠片や布の切れ端も混じっていた。
叫び声の主が何を思い何をしたのかは、彼も何となく察した。
大丈夫だろうか。そう思い瓦礫をどけ始めた人形はあるものを見つけた。
ガラスでできた、割れかけの眼だった。
虹彩にあたる部分は青色とも緑色ともつかない色で宝石のような輝きをたたえているが、黒々とした瞳の中心から広がるように伸びているヒビが冷たく痛々しい。
何故かは彼自身にも分からないが、彼はその眼をポケットに入れて瓦礫に背を向け、再び歩き始めた。
この事をまず誰に、どう伝えたらいいだろう。
この人形は、どんな人だったんだろう。
そんな事を想いながら。
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