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幕引「Welcome back 混沌」
Ameri.zip
この物語はフィクションです。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
まだ朝の爽やかな空気が漂う、ほんのり薄暗い街中を歩く。ひんやりとした空気が頬を撫でていくのが気持ち良くて、思わず目を細めた。
ふと、路傍に小さなタンポポが咲いているのを見つける。そういえば、この世界に来て花を見かけたのは随分と久しぶりだ。小さくっても堂々と咲く姿に、自然と頬が緩む。
花を眺め尽くしてから立ち上がり、また歩きだした。目指すは家、僕の帰るべき居場所だ。
すっかり歩きなれた小道に入り、見慣れたドアを探し出す。そういえば、今は朝だから人が少ない。ここに来たばかりのギラギラとした夜の顔も、今は眠ってしまっているようだった。
ドアの持ち手に手をかけて、くいと重さのある扉を開く。ドアを閉めてから、いつものように「ただいま帰りました」と声をかけた。…声をかけるのは、こういう風に日を跨いだ時にうっかり甘い時間を過ごしていたシイさんとフーゾさんに遭遇してしまったことがあったからだ。
声が静かな玄関を伝ってリビングへと届いたかと思えば、タタタと足音がやって来る。しっかりと足を立て直して体をしゃんとさせれば、その数秒後に凄い勢いで何某かが吹っ飛んできた。
自分より上背のある白髪の男…シイさんが突撃してきたもんだから、危うくスッ転びそうになる。が、飛んできても良いように体勢を整えておいたので転ぶ心配はなかった。
「ぐえ、なんですかシイさん」
「おかえり~っ!!!零くんもうどこ行ってたの!!!!フレッシュな状態で知らせたかったのに~!!!」
朝から馬鹿みたいにデカイ声で、かつ耳元で騒ぐせいで耳がキーンとつんざくような衝撃がやってくる。うるさいと顔を押し退ければ、それどころじゃないんだって!とまた騒ぎだした。
「僕にとって今現在あなたの声量より重大な問題は無いんですけど」
「そうだけどそうじゃないの!!!もっとも~~っとおっきな!サプライズ!!!」
サプライズ、と言われても全く心当たりがないため、どういう意味ですかと問いを返す。が、どうにも核心をつかない答えだけが帰ってきてイラッとした。
「二人とも落ち着いて、いま朝だから」
「それはシイさんにだけ言ってくださいよ、僕は別に煩くないんです……けど………」
ば、と声のした方を振り向く。いや、そんなまさか。だって、彼は死んだはずじゃ……
「じゃん!昨日天界から舞い戻ってきましたフーゾ・ギディオンさんです!!」
「新たに神様になってリニューアル!てことで遅れちゃったけど、ただいま零くん」
「は、へ、いや、かみさまって、ハ?」
信じられなくて、シイさんに抱き締められたまま身動きができないままでいるとフーゾさんにもぎゅ、と抱き締められる。
暑苦しくなって、息もしづらい…はずなのに、それなのに、なんだかひどく泣きそうになった。いやてか、泣いてるわ。ハズ…
「あえ?!!零くん泣かないでぇ…」
「あらら、ごめんねぇビックリしたよねぇ。もういなくなったりしないよ~」
「う"~……その言葉、違えないでくださいね……裏切ったら怒りますから……」
照れ隠しでシイさんの胸に顔をずり、と擦り付ける。どうだ、涙でびちゃびちゃにしてやったぞとシイさんを見上げると、はわわとときめかれた。そっかこの人らまだ僕のこと可愛いとかほざいてたんだ。忘れてた。
「…零くんも帰ってきたことだし、朝ごはんにしましょか」
「確かに!オレフーゾの飯食いた~い!!」
「久しぶりですしね…」
だから離れてください、と二人を押し退ける。手を洗うために洗面所へと向かい、いつものように手を洗った。
ふと、鏡を見ると目尻がほんのり赤い自分がいる。その姿でRさんのことを思い出したが、すぐに頭の隅に仕舞っておいた。
「……これも、良いことの一つですよね」
鏡に向かって呟く。自然と口角は上がり、それがまるで言外にそうだと言っているようだった。
手を洗うついでに顔にも水を少しかけて、丁寧に拭き取る。さっぱりした気分で、僕は洗面所を後にした。
きっと今日は、良い日になる。
◇Thanks for reading!
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路傍の勿忘草をただ眺めていた。現実を受け入れたくはなくて、そのまま惰性でここまで来て、そうして最後の希望も潰えてしまった。
小さな花弁をひらと撫でる。その色が、この間会った若い男の、あの青い瞳を思い出させた。嗚呼でも、彼はもっとぐっと濃い青色だっただろうか。
「信じてみる」そう笑った彼の顔は、昔の僕にひどく似ていた。まだ醜いものを知る前の、無邪気な笑み。
「どうしてそんな顔ができるのだろう」
人殺しの癖に。そう呟きかけて、はたと止める。それは僕が言えたことじゃない。
花を摘み取り、手の中でくるりくるりと回してみる。揺れる花弁は随分と楽しげに見えた。
彼に手を差しのべたのは、類い希なる善性でも単なる気まぐれでもない。
|彼《落安零》は僕だ。でも、|先ほどの彼《この世界の落安零》は|僕《R》じゃない。彼は僕よりずっと、ずっと恵まれた環境にいた。
彼は知らない。自分の意思もなく知らない男に異世界へ連れ去られる恐怖を。生き延びるため無理やり人を殺した時の感触を。
自分を連れ去った男に犯されることも、狂った同居人に殴られることも、勝手に自分の体を変えられることも、大切な人に殺されることも、全部、全部、全部知らなかった!!
ぐしゃ、と勿忘草を握り潰す。パラ、と落ちた花弁は、もう二度と戻ることなく惨めに地面の肥となるのだろう。
ぐつぐつとした醜い嫉妬と、羨望と、どうしようもない哀しさが今にも体を食い破ってしまいそうだった。
この気持ちを、あの綺麗で純粋な彼にぶつけられたら、どれだけせいせいするだろうか。そんなことをしては消されかねないので、当然やらないが。
しばらく地面に伏せている花弁を眺めて、その後立ち上がる。これからどうするか、なんてこれっぽっちも頭になかった。
今はただ、体を休めたい。疲労でふらつく足にぐっと力を入れて、近くにあった宿を思い出す。あの宿、この世界にもあると良いんだけど。
歩きだしていけば、足の疲れは自然と気にならなかった。歩くことだけに集中していれば、あの醜い気持ち達の影も薄れていく。
空を見れば、もうすっかり夜の帳は降りきっていた。早くしないと、宿が終わってしまう。そう思い少し足のペースを早めだしたとき、不意に風が耳を撫でた。
「シイさん?」
咄嗟に振り向く。耳を撫でた風はゆるりとどこかへ消えて、僕の望んだ幻を掻き消していった。そう、幻。
この世界にあの彼はいない。僕を無理やり連れ去ったあの男はいないのだ。そう自分に言い聞かせて、また前を向く。
「……そんなわけない、よね」
言外に隠した淡い期待は、誰にも拾われることなく地面へと墜落して。肥となる頃には、そこには潰れた勿忘草のみが残っていた。
◇To be continued…?