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転送部
この仕事は、闇バイトなどではない。れっきとした仕事だ。
*
頭を内側から殴るような音で目が覚めた。その衝撃にあくびのような呻き声を上げながら、音の元凶に手を伸ばした。
『おはよう、寝てたよね?』
柔和な声が耳に届く。部長の東さんだ。お疲れ様です、と言おうとしたが、寝起きの喉は身体にへばりついていて、かすれた息だけが出てきた。
俺は枕元においていたミネラルウォーターを一気飲みして、喉の調子をとりもどしてから
「仕事ですか?」
と聞いた。
『悪いね、こんな時間に。そろそろ片付けておかないとまずい気がするんだ』
「今日は何処です?」
『隣町……〇〇町にある文房具屋。そこへ行く十字路のところ』
「了解です、すぐ行きます」
それと、と東さんは話を続けようとしたが、俺はそれを無視して通話を切った。スマホのホーム画面を見ると「20:57」と表示されていて、俺は落胆のため息を漏らした。「今日はもう流石に無いだろう」と早めの時間に微睡んでいたというのに。今日で五件目だぞ東のヤローめ。
そうやって心のなかで東さんに悪態をつきつつ、床に散らばった仕事道具に手を伸ばす。免許証、ハサミ、新品の軍手、そして会社支給のシート。
またスマホに目をやる。二十一時、一分。四分もかかった、と舌打ちをしながら玄関の階段を降りた。
空は足を振り上げたら簡単に割れてしまいそうなくらい、冷たい群青色に輝いていた。
「あー、片岡先輩ですか? お疲れ様っす」
そんな空に思わず目を細めていると、斜め前から無邪気な声が聞こえてきた。ぴょこぴょこと跳ねる、金髪。
「え」
誰かも分からない、突然の来客に向かって素っ頓狂な声を出してしまった。
「あれ、部長から聞いてなかったんすか? 今日から研修の『後藤』って言います!」
ああ、東さんが「それと」と言っていたのはこのことか。流石に「苛々していて電話を切っちゃって」とは言えなかったため「君が後藤くんね。ごめんね、部長から『研修生が来る』ってことしか聞いてなくてさ」と少し言い訳がましい返しをした。
「あー、それはしゃーないっすね。こちらこそ勝手に押しかけてすんません」
後藤くん。見た目も口調も軽薄で、やんちゃそう。それでも、会話の端々に人に好かれそうな雰囲気や笑みが挟まっている。そして、即席の言い訳を信じてしまう純粋さも。
もっと向いている仕事があるだろうに、とお節介にも考えながら「今日は助手席ね」と後藤を車に乗せる。会社の軽トラの、社名の下に書かれている「よりよい助け、よりよい未来」という薄っぺらいキャッチコピーと目があった。気分が悪くて目を逸らした。
「後藤くんってさ、なんで部署異動したの?」
「金が欲しいからっすよ!」
軽トラを走らせる空間。俺はそこでの七分の沈黙に耐えきれず質問すると、後藤くんは脊髄反射かのように答えた。
「もう少しで彼女と結婚するんすよね! その資金集めで」
「へえ、それはおめでとう。ここは収入が多いもんね」
「はいっ! 最初「手取り日収三十八万なんて闇バイトかなー」って思ってたのに、入社した感じガチで政府公認っぽそうだったから」
うんうん、と彼の話に耳を傾けながら、その無鉄砲さが羨ましく感じた。そして、その希望に満ちて軽やかなそれに釘を差すように
「まあ、実際心を削る仕事だからね。よし、着いたよ」
と彼の目に訴えた。必要な資格は普通運転免許証のみ。だからこそ、だ。
後藤くんを引き連れて、外に出た。時間は二十一時十六分。テレビ電話のアプリを開き、「部長」と示す小ぶりのゴシック体と見つめ合った。
東さんは三コールきっかりで出てきた。
「東さん、ここで合ってますよね?」
間髪入れず、テレビ通話で十字路を映し出す。ぽりぽりぽり、とスナック菓子が弾ける音が一定の速さで続く。実に呑気な音だ。
『そうそうそう。あと五分くらい……かな? グレーのパーカーが目印ね』
はい、と平坦な返事をする。慣れきってしまったこの行為に新しい風を吹かせるのはやっぱり、後藤くんだった。カメラに映る映らないの瀬戸際でピースサインを出している。
『でねでね、そのパーカー君、とっても成績優秀なんだ。剣道の方でもいい成績を収めているし、ボランティア活動の実績もあるし。今までになく最高の子だねえ、これが新人効果かなあ』
やけに甘ったるい口調で語りかける東さん。ぴこーんとソシャゲの通知音が流れてくるのを無視しながら、俺は「実際、物理的な人数も増えると業務も楽ですよね」と呆れつつ返した。
『そうそうそう。あー事務所待機、まじで楽だなあ。このままこれが続けば』
いいのに。彼がそう言いかけたところで電話を切った。今まで頑張ってふざけ続けて
いた後藤くんの足が、かすかに震え始めていたから。これから来るであろう現実__仕事に、怯えている。
「引き返すなら、今」
俺は脅しにも近しい一言を発したが、彼は数秒の思考を要して
「先輩、仕事教えてください」
ときれいな九十度を描くお辞儀をした。悲しいやつ、と思った。
「俺がトラックを走らせて、そこの標識を過ぎたら十字路全体をシートで覆って」
後藤くんはもう声を発さなかった。こくこく、と食い気味に頷くのを確認してから、俺はシートを受け渡して軽トラの運転席に乗り込んだ。エンジンの唸りは、悲しいほどによく響く。
そこで息を潜めること、三分。「グレーのパーカー」が視界の端っこに映った。
一瞬だけ後藤くんのことが気になったが、それを考えるのも「仕事の邪魔」になるので、思考回路に蓋をする。
そして、アクセルを踏み込んだ。どっ、と何かをふっ飛ばしたような__いや、実際に人をふっ飛ばした鈍い音がこだまする。パーカーの紐が宙に舞う。
今俺は、人を轢いた。それも、十五歳の少年を。
後藤くんに指示した標識を過ぎてから、俺は軽トラを停止させた。バックミラーを覗くと、少年の血液がついたのにもかかわらずフリーズしている後藤くんがいた。
「時間無いぞ、早くしろっ」
仕方がなく乱暴な言葉づかいで叫ぶと、彼は我に返ったように「ごめんなさい! テンパっちゃって」と言いながら頬の赤を拭い、シートを広げた。
ばさ、という音とともに、十字路全体が「シート」にすっぽりと覆われる。
今からすることは、自首でも通報でも証拠隠滅でも国家に首を届けることでもない。
俺は十字路の正面に立つと、手を構えた。後藤くんに目配せをして、準備完了。
__ぱんっ、と乾いた手のひらがぶつかる音が、二人分。
その直後、後藤くんが耐えきれないように駆け出しシートをめくると、「成功しましたっ」と不安と罪悪感と恐怖で裏返った声で叫んだ。
俺達の仕事は「【勇者】を異世界に転生させること」だ。
「俺は」
先程の叫びとは打って変わり、子猫のような弱々しい声。
「俺は、外国のグロい映画とかたくさん見てきたから、もっと耐えられるって思ったのに。舐めてました」
「死体のこと、気持ち悪い?」
彼はずず、と鼻水を啜って首を横にぶんぶん振った。
「いや、違うんです。さーせん。ただ、何でこの仕事があるんだろうって」
沈黙。昼を照らすことができなかった月光が、彼のまつ毛に影を落としている。やわ、と揺れるそれに応えるように、『忘れ物』を手に取った。「後藤くん、そのシート小さくまとめておいて。それと、マッチ」
剣道の胴紐の破片、財布からはみ出していたチェキ、大量のカラオケのレシート。俺はそれらの形状を一つひとつ確かめるように指で摘んで『転生処理不可』と書かれた薄いポチ袋に入れた。くちゃ、とやけに生々しい音がする。
それと同時進行で、三本まとめてマッチを擦る。先に灯った橙色たちを袋の先端に近づけると、あっと言う間に灰になった。
「__」
何かを言う人の気配がして、思わず振り返った。後藤くんだった。きっちりと、ミリ単位のズレすらなく角が揃えられたプラスチック。よく覗き込むと、微かな鉄の臭い。
風が吹いても、その角はずれなかった。べっとりと赤が塗られた指に、痛くなるほどに抑えられていたから。
「うん。片岡くん、後藤くん、お疲れ。良かったらお菓子食べない?」
いつもならこの提案に「お腹いっぱいなんでいいです」と言うのだが、後藤くんが「いいんですか!」と目を輝かせるものだから、俺も半強制的に食べることになってしまった。
「いやあ、にしても新人は嬉しいね。私の方はちょっと、生活に支障をきたしてきたもんだから」
めずらしい。東さんが新人を褒めている。後藤くんは塩まみれの左手をさらに菓子の袋に突っ込みながら「いえいえ! そんなことないっすよ」と照れているが、俺は東さんの手のひらに目が行ってしまった。やけに皮が厚くなった、その手のひらに。
「人数が増えるとその分、丁寧に仕事できるからね。最近、あっちの方もうるさくなって『勇者たちがクエストを達成する気力がない』だの『特殊能力系の勇者が多すぎる』だの言ってくるし。大量に不足していた剣士枠がようやく埋まるよーよかったー」
そう喜びつつ、東さんは小ぶりな金庫のダイヤルに手をかける。二十四桁のそれをなんの迷いもなく、リズムよく回し、三つの札束を取り出した。
「はいこれ、二人に。所得税その他諸々除いて日収の三十八万。片岡くんには後藤くんの指導料として追加の三万円を」
血がこびりついた札束、そしてやけにしわくちゃで汗も染み込んだ万札が三枚。
「そうだ東部長、こんなに手取りがあってここの経営は破綻しないんですか」
ふざけた調子で後藤くんが聞くと、
「ぶっちゃけ、あのシートと名簿以外は全て人件費に回しているんだ」
と東さんも豪快に笑い返した。
交わす言葉はもう、必要なかった。
後藤くんも、俺も、同じ速度で事務所を離れる。正反対の方向に。
*
この仕事は、闇バイトなどではない。れっきとした仕事だ。